第十二話「石を踏んだだけです」
【一】
予選が終わった翌日、市場はいつも通りだった。
いつも通り、のはずだった。
クロウドが市場に入ると、マッコが真っ先に声をかけてきた。「おい、本戦も頑張れよ!」隣の干物屋のケルタが腕を組みながら「まあ、悪くなかったよ」と言った。野菜を並べていた老商人が目を合わせて、小さく頷いた。
普段は素っ気ない顔をしている人たちが、今日は少し違った。
勝手に鼻が高くなっている——そういう顔をしていた。
クロウドはそれを見て、にっこりした。
(調子のいい人たちだ)
でも、悪い気はしなかった。むしろ、温かかった。この街で生きてきた日々が、少しずつ形になっている気がした。
本戦の組み合わせが発表された。
予選を勝ち上がった三十名によるトーナメント戦だった。
クロウドは組み合わせ表を見た。予選とは明らかに違う名前が並んでいた。冒険者ギルドの上級冒険者、元騎士団員、他の街から遠征してきた剣士たち——それぞれに実績があった。
「本戦からは刃を落とした鉄剣を使用する」と規約に書いてあった。
鉄の重さがある。刃こそないが、まともに当たれば骨にヒビが入る。予選の木剣とは、話が違った。
クロウドは組み合わせ表を畳んだ。
(やるしかない)
【二】
本戦一回戦。
相手は三十代の冒険者だった。体格がよく、剣の扱いも手慣れていた。予選の相手とは全然違った。
最初の一合で、クロウドはわかった。
(一撃では崩れない)
予選では一合で決まっていた。でも、この男は違った。攻撃を受け流しながら、こちらの隙を待っている。経験がある男の戦い方だった。
線は見えた。時間もゆっくりになった。でも、相手の攻撃を避けるだけでは勝てなかった。こちらから崩す必要があった。
三合、四合と打ち合った。
クロウドは相手のパターンを読んでいた。右を三回見せてから左に来る癖がある。踏み込む前に、わずかに右肩が落ちる——
五合目。右肩が落ちた。
クロウドは左に動きながら、相手の踏み込みの勢いを利用した。男の体重が前に流れた。その瞬間、柄を首筋に当てた。
審判が旗を上げた。
観覧席から声が上がった。「また勝った」「あの動き、何なんだ」「烙印持ちが——」
---
二回戦の相手は、怪力の持ち主だった。
一撃が重かった。受け流すたびに、腕がしびれた。力で押し切ろうとする戦い方だった。
(真正面から受けたら折れる)
クロウドは避け続けた。受けなかった。相手の力を流した。疲れさせた。
十合以上打ち合った末に、相手の動きが鈍くなった。そこで動いた。
二回戦も突破した。
観覧席の空気が、また少し変わっていた。最初の「出ていけ」という声はほとんど消えていた。代わりに「あの子供、本物か」という声が増えていた。
【三】
準決勝の相手は、第十一話で声をかけてきた男だった。
名をシアンといった。王都から来た剣士で、過去の大会でも上位に入った実績があると、会場のざわめきが教えてくれた。
二人が向かい合った。
観覧席が静かになった。
シアンが構えを取った。
クロウドは見た。足の幅。重心の位置。剣を持つ手の角度——
(……強い)
これまでの相手とは、また違った。構えだけで、それがわかった。
シアンが動いた。
音がしなかった。足音が聞こえなかった。水が流れるような動きだった。剣が来た——線が見えた。クロウドは避けた。でも、シアンはすでに次の動きに入っていた。
連続で来た。一撃、二撃、三撃——全部避けた。でも、じりじりと後退していた。
(クレインの剣術を受け続けた。倒せない相手じゃない)
クロウドは踏みとどまった。反撃に入った。シアンが受けた。弾かれた。また来た。また避けた。
十合、十五合——
会場が静まり返っていた。
「なんだこの戦いは」誰かが言った。
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二十合を超えた頃だった。
クロウドは状況を整理していた。
勝てる。おそらく、勝てる。あと数合、シアンの癖を読み切れば——
でも。
(騎士団推薦枠)
頭の中に、その言葉がよぎった。
優勝すれば、騎士団推薦枠が手に入る。でも、それはクロウドが望むものではなかった。冒険者になりたかった。街の外に出たかった。騎士団に入ることは、その道とは違う。
それに——
クレインの顔が浮かんだ。騎士団という言葉を聞いた時の、あの表情。何かある。まだ聞いていない。でも、確かに何かある。
(ここで優勝する必要は、ない)
クロウドは決めた。
次の合——シアンが踏み込んだ。クロウドはわずかに足を動かした。石を踏んだふりをした。体勢が崩れた。
首に、剣が当たった。
審判が旗を上げた。
シアンの勝ちだった。
【四】
観覧席がざわめいた。
市場の方向から「あーっ」という声が上がった。マッコの声だった。残念そうだった。
でも、別の声も聞こえた。
「よくやった」「烙印持ちが準決勝まで来た」「あの動き、本物だったぞ」
最初と比べれば、別の会場のようだった。烙印持ちへの嫌悪感を持つ者は、負けたことを大いに喜んでいた。でも、それ以外の声の方が、今は多かった。
シアンがクロウドに近づいた。
「わざと躓いたな」
クロウドは少し間を置いた。
「石があったんですよ」
「そうか」シアンは言った。「……惜しかった」
それだけ言って、踵を返した。
クロウドはその背中を見た。
(わかっていたか)
三位決定戦は、楽々と終わった。
相手は準決勝で疲弊していた。クロウドは三合で決めた。
表彰式で、賞金の金貨一枚と装飾の剣を受け取った。観覧席から拍手が上がった。最初の「出ていけ」とは、全然違う空気だった。
全部が変わったわけではなかった。烙印持ちへの偏見は、一つの大会で消えるものではなかった。でも——
少しだけ、変わった。
それで十分だった。
会場を出ると、クレインが柱の陰に立っていた。
帽子を深く被っていた。腕を組んでいた。
「……来てたんですか」
「散歩の途中だ」
「会場の隣が散歩コースですか」
「うるさい」
クロウドはにこりとした。
「準決勝、どうでした」
クレインはしばらく黙っていた。
「……悪くなかった」
「わざと負けたのは、わかりましたか」
「わかった」
「怒りますか」
「怒らん」
クレインは少し間を置いた。
「騎士団のことは——」
「まだ聞きません。クレインが話したくなった時に話してください」
クレインは黙っていた。
帽子のつばの下から、少し目を細めた。
「……そうか」
二人で並んで、夕暮れの道を歩いた。
金貨一枚と装飾の剣。三位。
クロウドには、それで十分だった。
むしろ——
(三位で、十分すぎた)
灰の街が、橙色に染まっていた。




