第十話「罠だとわかって、乗り込んだ」
【一】
その使いの者が廃屋を訪ねてきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
三十歳ほどの男だった。身なりは整っていたが、目が落ち着かなかった。話しかける前から、視線があちこちに泳いでいた。
「クロウドという方はこちらにお住まいでしょうか」
「俺ですが」
男は一瞬、クロウドの顔の布を見た。それから、少し間を置いて続けた。
「依頼をお願いしたいのですが。街外れの倉庫にある荷物の確認と仕分けです。一日あれば終わる仕事かと」
「報酬は」
男が告げた金額を聞いて、クロウドは黙っていた。
高すぎた。荷物の確認と仕分けにしては、あり得ない金額だった。
クロウドは男の顔を見た。息の吸い方。肩の力の入り具合。視線の逃げ方——
(やましい気持ちが蠢いてる感じがした)
話の辻褄も、微妙にずれていた。倉庫の場所を聞くと、少し考えてから答えた。場所を知っているなら、すぐ答えられるはずだった。
それでも、クロウドは笑顔で言った。
「わかりました。引き受けます」
男は少し安堵した顔をして、去っていった。
クレインに話した。
「街外れの倉庫で荷物の仕分けの依頼が来ました」
「それだけか」
「報酬が高すぎます。使いの者の目も泳いでいた」
クレインは腕を組んだ。
「……やめろ」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない」
クロウドはにこにこしながら言った。
「罠なら罠で、そこから何かが掴めます。それに——」
少し間を置いた。
「依頼料、高いんですよ。もったいない」
クレインは深く息を吐いた。
「……ったくお前ってやつは」
「一人で行きます。何かあれば逃げます」
「剣は持っていくか」
「もちろん」
クレインはしばらく黙っていた。
「……無事に帰ってこい」
「帰ってきますよ。いつも」
クロウドはにこりとした。クレインは眉間に皺を寄せたまま、何も言わなかった。
【二】
上級区画の一角に、グレッドの執務室があった。
グレッドは四十代の男だった。髪をきちんと撫でつけて、服に皺一つなかった。役人としての誇りを、全身で表現しているような男だった。
「うまくいくか」
執務室に呼んだ闇ギルドの男に、グレッドは言った。
「問題ありません。烙印持ちの子供一人です」
「烙印持ちが行方不明になっても、誰も騒がない。わかっているな」
「もちろんです」
グレッドは窓の外を見た。
平民地区の雑然とした街並みが見えた。あの中に、布で顔を隠して歩き回る少年がいる。烙印持ちが堂々と街を闊歩している。それだけで、グレッドには許せなかった。
町の秩序。町の調和。それを守るのが自分の仕事だった。
烙印持ちは、その調和を乱す存在だ。
消えるべきだ——グレッドにとって、それは疑いのない真実だった。
【三】
倉庫は街外れの、人通りの少ない場所にあった。
クロウドは倉庫の扉の前に立った。
中の気配を感じた。複数いる。息を殺している。待ち構えている——
(やっぱり、そうか)
クロウドは扉を押した。
中は薄暗かった。荷物が積み上げられていた。そして、四人の男が待っていた。全員、体格がよかった。武器を持っていた。
「来たな、烙印持ち」
先頭の男が言った。
クロウドは扉を閉めた。逃げなかった。
「依頼の件ですが」クロウドは言った。「荷物の確認と仕分けはどこにありますか」
「そんな依頼はない」
「そうですか。では依頼料だけいただいて帰ります」
男たちが笑った。
クロウドは男たちの顔を順番に見た。一人ずつ、読んだ。
先頭の男——自信がある。経験がある。リーダー格だ。次の男——目が泳いでいる。こういう仕事に慣れていない。三人目——腕を組んでいるが、重心が後ろに寄っている。怖じ気づいている。四人目——先頭の男の顔ばかり見ている。指示待ちだ。
(四人いる。でも、全員が同じ温度じゃない)
クロウドは二番目の男に向かって言った。
「あなた、こういう仕事は慣れていないですよね」
男の顔が、わずかに変わった。
「闇ギルドに入ったのはいつですか。最近ですか」
「……なんで」
「目を見ればわかります。慣れている人と、慣れていない人は、目が違う」
先頭の男が「黙れ」と言った。でも、二番目の男の動揺は広がっていた。
「あなたたちも、使われているだけですよね」クロウドは続けた。「烙印持ちの子供一人を始末しろ、と言われた。誰に言われましたか」
「関係ない」
「あります。俺を消した後、依頼人があなたたちを消さないとも限らない。口封じのために」
三番目の男が、わずかに後退した。
先頭の男が舌打ちした。
「うるさい。やれ」
二番目の男が躊躇した一瞬——
先頭の男が動いた。
クロウドは剣を抜いた。
線が、見えた。
世界がゆっくりになった。先頭の男の剣の軌道が、空中に引かれた。右からの横薙ぎ——クロウドは左に半歩動いた。剣が空を切った。
そのままカウンターを入れた。柄で男の手首を打った。剣が落ちた。
四番目の男が突っ込んできた。線が見えた。正面からの突き——体を右に動かしながら、男の腕を掴んで勢いを利用した。男が自分の体重で前のめりになった。壁に激突した。
二番目の男は、もう動いていなかった。
三番目の男が後退した。
「……化け物か」
先頭の男が言った。手首を押さえながら、クロウドを見ていた。
「違います」クロウドは言った。「ただ、あなたたちが遅いだけです」
先頭の男は、しばらくクロウドを見ていた。それから、舌打ちして言った。
「……引き上げだ」
男たちが倉庫から出ていった。
クロウドは一人、薄暗い倉庫に残った。
息を整えた。
先ほど襲ってきた物たちの頭目らしき懐から抜き取っていた紙。
闇ギルドへの指示書だった。グレッドの署名があった。
クロウドはそれを懐に入れた。
(これで、十分だ)
【四】
グレッドの執務室を訪ねたのは、翌日の昼だった。
受付の者が止めようとした。クロウドは笑顔で「グレッド様に折り入ってお話があります」と言った。受付の者は戸惑いながらも、取り次いだ。
執務室に通された。
グレッドは椅子に座っていた。クロウドを見た瞬間、顔色が変わった。
「……なぜお前が」
「依頼の件で参りました」
クロウドはにこやかに椅子に座った。
「荷物の確認と仕分けの依頼ですが、倉庫に行ってみたら荷物がなくて困りました。代わりに、面白いものを見つけましたが」
懐から書類を取り出した。テーブルの上に置いた。
グレッドの顔が、青ざめた。
「……それは」
「グレッド様の署名がありますね。闇ギルドへの指示書です。烙印持ちの少年を始末しろ、という内容の」
沈黙が続いた。
グレッドの手が、震えていた。
クロウドは続けた。声のトーンを変えなかった。
「これを誰かに渡すつもりはありません。俺はそういうことに興味がない」
「……では、何が望みだ」
「今後、俺には関わらないでください。それだけでいいです」
グレッドは震えながら頷いた。
「それと」
クロウドはにこりとした。
「依頼料をいただけますか。仕事はちゃんとこなしましたので」
グレッドの顔が、さらに青ざめた。
「……仕事、だと」
「倉庫に行って、荷物を確認しました。荷物はありませんでしたが、代わりに書類を見つけました。確認業務は完了しています」
グレッドはしばらく黙っていた。それから、震える手で金を出した。
クロウドは丁寧に受け取った。
「ありがとうございます。良い取引でした」
立ち上がって、一礼した。
扉を開けて、廊下に出た。
扉が閉まった瞬間、グレッドの椅子が軋む音がした。
【五】
帰り道、クロウドは空を見上げた。
青かった。雲が流れていた。
(烙印持ちだから消えても構わない——そういう世界だ)
わかっていた。この世界がそういう場所だということは、生まれた時からわかっていた。誰も気にしない。誰も助けに来ない。消えても、誰も騒がない。
(でも、そうはいかない)
クロウドは前を向いた。
まだ十四だった。冒険者にもなれていない。この街の外にも出ていない。世界はまだ、ほとんど見えていない。
でも——
灰の街から、少しずつ、動いていた。
廃屋に戻ると、クレインが扉の前に立っていた。腕を組んで、難しい顔をしていた。
「無事か」
「無事です」
「怪我は」
「ないです」
クレインはしばらくクロウドの顔を見た。それから、短く言った。
「……飯にするか」
クロウドは笑った。
「はい」
二人で廃屋に入った。
夕暮れが、農村の空き地を橙色に染めていた。




