35 お茶 オリバー視点
「……」
その日、私は部屋で一人執務をこなしていた。
後ろには屋敷の老執事が控えている。
(あぁ、忌まわしい……)
しかし、私はこの男があまり好きではない。
理由はこの男が先代公爵である実父の側近でもあったからだ。
厳格な父が死んでやっと自由になれたというのに、この執事が後ろにいると何だか今もなお父親に監視されているような気分になるのだ。
(正直かなりストレスだ……)
こんなときにストレスを癒やしてくれるのはいつだってローザとたった一人の息子であるリオだったが、今は何故だか彼らの顔を見る気にもなれなかった。
前妻と離婚したあの日からどうもうまくいかない。
限界を感じた私は近くにあったベルで侍女を呼び出した。
「お呼びでしょうか」
「茶を持って来てくれ」
「承知しました、旦那様」
侍女は頭を下げて部屋を出て行った。
しばらくして、侍女が戻って来た。
トレーに紅茶を乗せて手に持っている。
彼女は紅茶の入ったティーカップをそっと私の机に置くと、一礼してすぐに部屋を出て行った。
(色々あって疲れているみたいだ……少し休憩しよう……)
羽根ペンを置いた私は出されたお茶を一口飲んだ。
が、しかし――
「……」
お茶を飲んだ私は、何故だか妙な気分になった。
(……何かが違う)
私が望んでいたのはこれではない。
自分でもよく分からない感情になった。
こんなのは初めてだ。
いつもと変わらないことなはずなのに。
(私は今一体何を考えているんだ……?)
茶、と聞いて思い出すのは十年近く前のある日のことだった。
元妻であるエミリアと結婚したばかりの頃。
一度だけ彼女が部屋にお茶を持って来たことがあった。
『旦那様、お茶をお持ちしました』
女は下心など少しも見えない純粋な顔でそう言った。
その顔がただただ気に食わなかった。
(そんな目で私を見るな……)
どのみち私はこの女に愛を返してあげることは出来ない。
一生日陰者として生きなければならないローザが可哀相だし、彼女を裏切るような真似だけはしたくなかったからだ。
昔からずっと私の味方だったローザ。
父に叱られては涙を流す私を何度も励ましてくれた。
だからこそ、今度は私が彼女に何かをしてあげたかった。
私の寵愛は全てローザに与え、ことあるごとにこちらに歩み寄ろうとしてくる妻にはキツく当たり続けた。
公爵の正妻――公爵夫人という地位があるのだからそれでいいだろうとずっとそう思っていた。
『ハーブティーです。不安やストレスを和らげることが出来るんですよ。私の母もよく父に淹れていて……』
そういえばあの女はあの日そんなことを言っていたような気がする。
(私は何て言ったんだっけな……)
『不快だ。今すぐ部屋から出ろ』
(……とんだクソ野郎だな)
夫として最低だったと思う。
あれから妻は二度と俺にお茶を持って来なくなった。
私はその後も変わらずに部屋で執務を続けていたが、疲れた様子の私を見て後ろに控えていた執事が声をかけてきたのだ。
『旦那様、お疲れのようでしたら奥様の持って来られたお茶を一口飲んでみてはいかがですか』
『……何故私が?毒でも入っていたらどうするつもりだ?』
『もし毒を入れているのであればあんな風に奥様自ら持ってくることは無いでしょう。それに、奥様の母君であるログワーツ伯爵夫人はお茶を淹れるのがとても上手なことで知られています』
『……」
たしかに彼女の持って来たお茶からはとても良い香りがする。
私は無意識にティーカップの取っ手に手を伸ばしていた。
『……!』
一口飲んでみて驚いた。
こんなにも美味しい茶は飲んだことが無かった。
苛ついていた心が穏やかになり、体に溜まっていた疲れが取れていった。
(何だこれは……本当にあの女が淹れたのか……?)
あんな小娘がこのような高度な技術を持っているとは到底思えなかった。
結局私は、用意された茶を飲み干した。
「……」
妻のお茶を飲んだのはあの一回きりだ。
今でもあのお茶の香りや味をハッキリと思い出せる。
それほどに私はあの女が淹れた茶を好んでいたらしい。
認めたくないが、否定しようのない事実だった。
しかし今になってそんなことを考えてもどうしようもならないことを私は知っている。
(……くだらないことを考えるのはやめよう)
私たちはもう離婚したのだから。
これからは愛するローザとリオのことだけを考えていればいいのだ。
私はそう結論付けて再度執務に取り掛かった。




