第二十七章② アブラムシ……?
そうこうしてると、マルキーが休憩から戻ってきた。
「行ってきました」
「おかえりー」
「先生から聞きましたけど……」
「いきなり連携しろって言われたんですが……」
「ええ、大丈夫ですよ。僕が合わせますから」
「なんか…すみません。よろしくお願いします」
「じゃあ、やってみましょうか」
「はい」
二人が持ち場につく。
しばらくすると、数匹の虫が飛んでくる。
マルキーが1匹へ向かって走った。
それを見たオーダが、反対側へ回り込む。
「……?」
綾子は二人を見比べた。
マルキーが虫を追う。
その先へオーダが回る。
一閃。
次の虫へ向かう。
マルキーが振り返ることはない。
それでも、二人の動きが噛み合っている。
「そこ!」
今度はマルキーが仕留める。
残りの虫をマルキーが追い込む。
逃げた先には、すでにオーダがいた。
一閃。
また一閃。
虫が落ちる。
「お見事です」
「いやいや、マルキーさんも」
二人は何事もなかったように次の虫を待つ。
「……すごい」
綾子は思わず呟いた。
今度も4匹の虫が別々の方向へ飛んでいく。
マルキーが右へ。
オーダは左へ。
中央の2匹は、そのまま二人の間を抜けようとする。
「マルさん、そっち!」
綾子が声を上げる。
「大丈夫ですよ」
オーダが答えた。
マルキーが右の1匹を落とす。
その瞬間、オーダが左の1匹から視線を外した。
中央へ向きを変える。
――ヒュッ。
さらに一閃。
抜けようとした虫2匹が落ちる。
その間に、マルキーが左の1匹へ向かっていた。
そして最後の1匹も落ちた。
「……え?」
綾子は目を丸くした。
マルキーが最後の1匹を落とすことを、オーダは最初から分かっていたのだろうか。
そんなことを考えている間にも、二人は次の虫へ向かっていた。
――――
「じゃ次は綾子さん、俺と組んでみますか」
「えっ?」
「大丈夫です。ちゃんと指示しますから」
「はい……」
「マルキーさんはそこで見てて下さい」
「カール先生への報告もあるでしょうし」
オーダが指揮所の方向を見る。
「……まあ、見てると思いますけど」
「ありがとうございました。連携…面白かったです」
「オーダさん、やっぱり凄いですね」
「そうですか?」
「はい。お嬢の休憩中に、俺…要らないんじゃないかと思いましたから」
「あはは…。いつもなら二人一緒に休憩入ってもらうんですけどね」
「今日は、カール先生の意図もありましたから」
オーダが微笑む。
「でも、マルキーさんがいたから、俺もあれだけ楽に動けたんですよ」
「マルキーさん、ちゃんと虫以外も見てましたし」
「そうだよ。マルさんも凄かったよ」
「ありがとうございます、お嬢」
――――
オーダと綾子が組んで、しばらく虫は飛んで来なかった。
「飛んで来ないねー」
「矢の回収が終わった後ですからね……」
「そっかー」
ずっと体を振り続けて、周囲に気を配っていたオーダが綾子を見る。
「なんか、マルキーさんに聞いたんですけど」
「ラーメン好きらしいですね」
「うん、そうだよー」
「どこの店行ってます?」
「う~ん……色々かな?」
「美味しいと思った店は通うけどね」
「あの店は行きました?」
「どこどこー?」
「あの通りの裏の……」
「あー行った行った!」
「白いスープのお店ね」
「あそこ美味しいですよね」
「うん、でも初めて行った時、大変だったんだよ」
しばらくの間、ラーメン談義が続いた。
「今、俺がはまっている店があるんですけど…」
「カラムじゃ、今のところ唯一の豚骨醤油の店です」
「ほんと!? 行きたい!」
「場所教えますんで、今度行ってみて下さい」
「えー? せっかくだから一緒に行こうよ」
「連れてってよー」
「じゃあ、休みが合えば……」
苦笑いするオーダの視線が動いた。
「……そろそろ飛んでくると思いますんで」
「綾子さん、少し下がって下さい。…その木の向こうぐらいに」
口を尖らせながら綾子が移動する。
「えー? ラーメンの話、もっと聞きたかったなー」
「いつでも出来ますよ」
「…来ましたよ。……綾子さんは、そこから2本向こうの木のそばへ」
「はーい」
綾子は言われた場所へ移動した。
しばらくすると、1匹の蝶が飛んでくる。
「そっち行きますから」
オーダの声が聞こえた。
蝶は、そのまま綾子の目の前へ飛んできた。
「えいっ!」
綾子が木剣を振る。
蝶が地面へ落ちた。
オーダの周りに居た鶏が一斉に動く。
「やった!」
「お見事です」
「すごーい!」
綾子は目を輝かせる。
「本当に目の前に来た!」
オーダは微笑んだ。
「言われた場所で待ってたら、ちゃんと来た……」
綾子は落ちた蝶を見ながら、嬉しそうに木剣を握り直した。
「次も頑張る!」
「ええ」
オーダがまた体を振る。
「……来ますよ。…今度はそこから1本戻って下さい」
「はい!」
2匹目の蝶が飛んでくる。
オーダが少しだけ位置を変える。
蝶が綾子の方へ向かってくる。
「えいっ!」
――バシッ。
「やった!」
「お見事です……」
マルキーがオーダを見る。
「オーダさん」
「はい?」
「これ、もしかして……」
「何でしょう?」
「連携じゃなくて、接待になってません?」
オーダは苦笑した。
「まあ、余裕がある時くらいはいいでしょう」
「やっぱり……」
マルキーが呆れたように呟く。
「そりゃあ、可愛い子には優しくしますよ」
「……そういう問題ですかね?」
「そういう楽しみがあってもいいじゃないですか」
オーダは笑いながら、また周囲へ視線を向けた。
「ほら、次が来ますよ」
「はーい!」
「って、ねぇ……なんか鶏さんたちが私の周りに集まって来てるんだけど……」
鶏を気にしながらも、綾子は元気よく木剣を構えた。
――――
しばらくオーダの接待が続いた後、
果樹園の外から騒がしい声が聞こえて来た。
オーダが弓隊の方へ目を向ける。
「……何かあったようですね」
「油虫が出たぞー!」
遠くから声が響いた。
「アブラムシ……?」
綾子が首を傾げる。
マルキーが何か言う前に、オーダが綾子を見る。
「綾子さん、日当アップのチャンスですよ!」
「え?」
「油虫は1匹、銀貨5枚です!」
「そうなの!?」
綾子の目が輝いた。
「5枚?」
「ええ。一匹で5枚ですよ」
「ちょっと頑張っちゃおうかなー」
(アブラムシ1匹で銀貨5枚だなんて)
(……これはボーナスチャーンス!)
綾子が木剣を握り直す。
「その意気ですよ」
オーダが笑った。
だが、その直後だった。
丘の向こうから、何かがこちらへ向かってくる。
1匹。
2匹。
3匹。
次々と姿を現す。
その数は、10匹を軽く超えていた。
体長は50cmを超えている。
「……」
綾子は目を凝らす。
黒い。
丸みを帯びた身体。
地面を這うように素早く動き、時折、羽を広げて低く飛ぶ。
しかも、その進路はなぜか綾子へ向かっていた。
「……なんで?」
綾子が後ずさる。
「お嬢?」
マルキーが声を掛ける。
「いや……」
1匹が地面を走る。
また1匹。
その後ろから、さらに何匹も続いてくる。
カサカサと脚を動かしながら、黒い影が近づいてくる。
「…………」
綾子の顔から血の気が引いた。
見覚えがある。
日本で何度も見た。
暗い場所から突然現れ、こちらへ向かってくる”あれ”。
そして何より――速い。
「……G?」
小さく呟いた瞬間。
綾子の身体が反応した。
「いやああああああああああああああああああああああ!!」
全力で走り出す。
「お嬢!? どうしたんですか?」
「無理! 無理無理無理!」
「全然、アブラムシじゃないじゃないのぉぉおおおお!」
「油虫ですけど……」
「綾子さん、チャンスなんですよ!」
「いらない! いらないからぁ!」
綾子は振り返りもしない。
その後ろから、油虫の群れが追いかけてくる。
「お嬢、意外と足が速いですねー」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょぉぉぉ!」
「わしも混ざるぞ」
いつの間にか、カールがオーダの横に立っていた。
オーダが油虫を見ながら呟く。
「……妙ですね」
カールが尋ねる。
「油虫は、女に寄ってくる習性でもあるのか?」
「いやぁ……聞いたことないですね」
「ふむ……」
カールは油虫の群れと、遠ざかっていく綾子を交互に見る。
「せんせぇええええええ! 助けてぇええええええええ!」
「綾子! こっちに来い!」
「オーダ! 鶏を遠ざけろ!」
カールが前に出て声を張る。
綾子は必死に走る。
「いやあああああああああああ!」
「大丈夫だ! わしの前を通り過ぎなさい!」
一拍。
「絶対に止まるなよ! 終わるまで何度も横切れ!」
「せんせぇええええええええええええええ!」
綾子がカールの横を通り過ぎる。
カールは剣を抜いた。
近づいてきた1匹へ踏み込む。
一刺し。
油虫が息絶える。
続く油虫も、身体を傷つけすぎないよう、急所だけを正確に突いていく。
「次だ!」
綾子と油虫の動きを見ながら、カールも位置を変えていく。
「はいぃぃいいいいいいいいい!」
綾子が横を通るたび、カールの剣が油虫を仕留めていく。
「先生、流石ですね……!」
1匹を仕留めたマルキーが、思わず声を漏らす。
「油が取れるからな」
カールは淡々と答える。
「……そこですか」
「いい臨時収入になる」
カールは最後の一匹を仕留めた。
その頃には、綾子はカールの背後に逃げ込んでいた。
涙目の綾子がカールの背中越しに口を開く。
「先生……ぐすん」
「もう大丈夫だ」
「ほんと……?」
「ああ」
綾子は恐る恐る顔を出す。
地面には、倒された油虫が並んでいる。
「……」
「どうした?」
「……絶対、近づかないからね」
マルキーが不思議そうな顔で綾子を見る。
「なんで怖がるのかが、よく分かりませんが……」
「うるさい! 嫌なものは嫌なの!」
カールは油虫を見た。
「そうか」
鶏の対処を終えたオーダが戻ってきた。
「では、これらは街道警備団が回収します」
「良かったぁ……」
「何がだ?」
「持って帰るとか言わなくて……」
「あはは。貴重な資源ですからね」
「綾子さん、仕事終わりまでやれます?」
「……ごめんなさい。……Gの恐怖が……まだ続いてて……」
「わしが代わろう」
「綾子は、終わるまで休んでいなさい」
「……はい」
綾子は、油虫が置いてある方向を見ないようにして、
終了時間まで指揮所で過ごした。
――――
時刻が16時を過ぎた頃。
交代の夜勤組が現れる。
(なんか……人が集まってきた……)
「皆さーん! 終了でーす! 上がって下さーい!」
オーダが伝えて回った。
皆が続々と指揮所に集まってくる。
(あ……、終わったんだ……)
「お疲れ様でした! 今から本日分の日当をお渡しします!」
皆が順番に日当を受け取って解散していく。
「カール先生とお二人も、お疲れ様でした」
「では綾子さんは、銀貨8枚」
綾子は銀貨を受け取ると、嬉しそうに眺めた。
「マルキーさんは、油虫1匹分を入れて、金貨1枚と銀貨3枚です」
マルキーも日当を受け取る。
「結構貰えるんだね」
「そうですね」
「そして、カール先生は日当が…あっ……」
カールとオーダの目が一瞬合った。
それを見たマルキーが首を傾げる。
「失礼しました。油虫の状態が良かったので、
少し色を付けて、合計で金貨5枚と銀貨8枚です」
「先生すごーい」
綾子が目を輝かせる。
「……すごい、で済ませていい金額なんですかね」
マルキーが思わず呟いた。
「まあまあ。今日はこれで終わりですから」
オーダが笑う。
「よかったぁ……」
綾子が顔を上げる。
「さて、後は夜勤組に任せて、俺も帰ろうかな」
「やっぱり夜勤、あるんですね」
「ええ」
「夜勤は楽ですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ランタン灯せば、大抵の虫は寄ってきますし」
「勝手に落ちて、光で眠らない鶏が喜んで啄みますから」
「へぇえ」
(Gも鶏さんが食べればいいのに……)
「それでも日没と夜明けは結構大変ですし、光に寄って来ない虫も居ますからね」
「中には、夜の立ち回りの練習になるとか言って、好んで夜勤する人も居ます」
「そうなんだ……」
「今度、やってみますか?」
「いえ……私は……」
カールを見ながら綾子が返した。
「あのう……」
「はい?」
「少し聞きたいんですけど……」
綾子が唾を飲み込む。
「あのG……油虫は……街の外では、いつもあんなに出るんですか……?」
「そんなことはないですよ」
「あれは多分、ごみ処理場から逃げた個体が繁殖したんだと思います」
「ごみ処理場から……?」
「油虫は何でも食べますから、ごみ処理には都合がいいんです」
「大きくなった個体は、資源として売れますし」
「へぇええ……」
「でも……なんで私を追ってきたの……?」
「それが分かんないんですよね……」
オーダも困ったように首を傾げた。
「でも、面白かったですよね」
マルキーがニヤニヤしている。
「マルさん、ひどいぃ! 本当に怖かったのに」
「まあまぁ……お二人とも。…その辺りは調べてみますから」
「よし、そろそろ街に戻るぞ」
「はい」
「お三人とも、お疲れ様でした。お気をつけて」
「オーダ君もな」
「ありがとうございました」
「オーダさんありがとう」
――――
帰り道。
綾子は、まだ少し疲れた様子で歩いていた。
「……今日は色々あったね」
「そうですね」
マルキーが綾子から見えないようにニヤつく。
「油虫が出るまでは、楽しかったのになぁ……」
「そうですね……」
「二人とも、油虫の一件で忘れておるかもしれんが」
カールが前を向いたまま口を開く。
「今日は、オーダ君の動きをよく見たな」
「はい」
「綾子は、まず仕事と状況に慣れることだ」
「はい」
「慣れてくれば、少しずつ周りが見えるようになってくる」
「周り……?」
「今のお前さんは、目の前の虫を追うので精一杯だろう」
「……はい」
「周りが見えるようになれば、今度は周りで何が起きているのかが」
一拍。
「分かるようになる」
「なるほど……」
「まずは、そこまでだ」
綾子は小さく頷いた。
「分かりました」
「マルキーは、オーダ君との連携をどう感じた?」
「……かなり勉強になりました」
「そうか」
カールは前を向いたまま、小さく頷いた。
「なら、それぞれ今日の経験を身につけなさい」
また一拍。
「これからの話は、それからだな」
「はい!」
「分かりました!」
二人の声が重なった。
――――
街道をしばらく歩いた。
今日一日のことを思い返していた綾子は、
ふとマルキーが少し後ろを歩いていることに気付いた。
「……そういえば」
マルキーが小声で口を開く。
「先生が油虫を仕留めた数がですね……」
間を置いて。
「多分9匹なんですよ……」
「そうなんだ……」
「それがどうかしたの?」
マルキーは歩きながら、指を折っていく。
「一匹、銀貨5枚でしたけど、色がついて銀貨6枚……」
「ふんふん」
「そうなると、9匹で銀貨54枚」
「そうなるね」
「先生が受け取ったのは……金貨5枚と銀貨8枚」
「うん」
「……銀貨58枚」
マルキーが少しの間、足を止める。
「……4枚、多いんですよね」
「うんうん。…それが先生の日当なんじゃないの?」
マルキーが追いつくまで、綾子はゆっくりと歩いた。
「色がついた分を考えても、銅貨を足しても……合わないんですよね」
マルキーがごくりと唾を飲み込んだ。
「お嬢の日当は銀貨8枚でしたよね?」
「そうだよ」
「俺、見てたんですけど」
一拍。
「他の人の日当は、金貨1枚だったんですよ」
「えっ? ……そうなの?」
綾子も驚いた。
「これは何か裏があると思いまして……」
「あるかもしれないけど……」
下を向いたまま歩く綾子がマルキーの方を向く。
「……じゃあさ、直接先生に聞けばいいじゃん」
マルキーはカールを見る。
少し先を歩いているカールは、こちらを振り返らない。
「いやそれは……さすがに……」
「じゃあ、私が聞いてみるよ」
「いやいや……いいですよ。……やめておきましょう」
足早にカールに近付く綾子が声を掛けた。
「先生ー!」
「どうした?」
「先生が仕留めてくれた油虫…って、9匹ですよね」
「そうだな」
「1匹銀貨6枚だったんですか?」
「知らん」
「計算すると金貨5枚と銀貨4枚で、4枚合わないんですよね」
「……ってマルさんが言ってますけど……?」
「お嬢……!?」
冷や汗を流すマルキー。
「それはな」
カールがマルキーに微笑みながら答える。
目を逸らすマルキー。
「準備と弁当代だ」
カールはさらに綾子に向けて微笑む。
「それから、お前さんたちの監督代だな」
「ああ、そういうことなんだ」
「そういうことですよ」
マルキーが必死に頷く。
「いや、だから……最初からそういうことだと思ってたんですよ」
「えぇー?」
綾子の一拍。
「私、何も聞いてないしー」
「お嬢……」
マルキーの冷や汗は止まらない。
「助けて下さいよ……」
「綾子、明日の稽古が楽しみだな」
「そうですね、先生!」
マルキーは少し嫌な予感を覚えながら歩き続けた。
――――
街に戻ると、カールが口を開いた。
「本当はな」
「道場に戻って、晩飯の魚を、綾子に捌いてもらうつもりだったんだが」
「えー? 私……魚捌けませんよぉ?」
「いや、これから学んでもらう」
「今日は……?」
綾子がカールを見上げる。
「……」
「……まあ、今日は初仕事だったからな」
カールが小さく息を吐く。
「どこかで食べて帰るか」
「やったぁ!」
「ほらマルキー、行くぞ」
「は、はい!」
第二十七章② 終わり
【※一口メモ】
この世界の”油虫”から採れる油は、
工業用の潤滑剤やグリスの優秀な原料として利用されています。
まぁ、見たくも触れたくもないのは、綾子も私も、読者の方々も同じでしょうけど。




