第二十五章② 可愛くなりすぎた日(後編)
少しだけ気分を持ち直した私は、
マルさんに手を引かれたまま歩いていた。
道沿いに小さな看板が掲げられたお店――
ブリンガー・スレッドに着いた。
「はい、お店に着きましたよ、お嬢」
「中に入りましょうね。
…ほら、ここに座っていいですよ」
「店員さんに、
お嬢に似合いそうな服を選んでもらうように、少し頼んできますね」
「…分かった」
「うちのお嬢様の……。……それと気分が晴れるような……」
マルさんが店員さんに色んなお願いをしていた。
「さ、店員さんが良い服を持ってきてくれますよ。
温かい飲み物も出してくれるそうです。
俺も隣でお嬢に似合うか、ちゃんと見ますからね」
「…分かった」
「今日は、お嬢様ですよ。…いつもですけどね」
「…ありがとう」
私は、店員さんに言われるがまま、色んな服を試着する。
親切な店員さんのお陰で、少しずつ笑顔が戻ってきた。
「うわー、これすっごく可愛い」
「お嬢、良く似合ってますよ」
「良くお似合いです」
「またまたぁ、店員さんまで。社交辞令はいいですよぉ」
「いえ、本当に良くお似合いですよ」
薄いパステルブルーのチュニックとスカートのセット。
裾は軽く広がり、帯剣もできるよう細工されている。
私は、この服を試着した瞬間、思わず笑顔になった。
「お嬢、飲み物が来ましたよ」
「えぇ…? これ、抹茶オーレじゃないの?」
「”おーれ”が分かりませんが、抹茶ミルクです」
「でも、さすがお嬢、物知りですね」
「抹茶は高級品ですからね。
いくら国の首都でも、手に入れられる人や店は、ごく僅かです」
「さぁ、温かいうちに飲みましょう」
私はカップを手に取り、ふわっと立ち上る香りを吸い込む。
「いただきます」
「う~ん、久しぶりの抹茶オーレ。美味しいな」
「美味しいですね」
私は、ふと、この国の名前が気になった。
「そう言えばさ、この国って、なんて名前なの?」
「グレース王国ですが、…言ってませんでしたか?」
「…うん、初めて聞いた気がする」
「建国は…、いえ…名前が変わったのは250年ぐらい前です」
「あー、あれだ。…また英雄様絡みなんだね」
「そうです」
「ほんとに、色んなことを行った人なんだね」
「そうですね、俺も今更気付くことが多いです」
「その前って、なんて国だったの?」
「俺も、うろ覚えですが、確かバルガリン王国だったかと」
「へぇえ。
…あのね、もっとこの国のこととか、英雄様のことが知りたいんだけど」
「そうなると、国営の図書館ですかね」
「ただ、入館料とか、高いと思います。…そもそも…入れてもらえるかどうか。
あと、本の数もどれぐらいあるか分かりませんし、正しいかどうかも…」
「そっかぁ、羊皮紙だもんね」
「あとは、生き証人に聞くのが一番ですが、これも難しいと思います」
「あ…、エルフさんたちだね」
「…そうです。人間側についたエルフは少なく、ましてや当事者なんて…。
あちら側のエルフの口は堅いでしょうし」
「そうだよねぇ、…あいつの話なんてしたくないって、多分言うよね」
「一応、英雄様一行の中に、エルフが居たと伝えられてはいますが、
本当のところは分かりません。
人間側のプロパガンダだという人も多いです」
「本当だったとしても、もう死んでいるかも知れません」
抹茶オーレを一口含んだマルさんが続ける。
「魔族も同じです。…あと、長命な魔族は、この国には来ないでしょう」
「なんで?」
「英雄様の恐ろしさを一番知ってますから」
「英雄様は何を……?」
「この国と魔族領の境に、……とても大きな湖があるとだけ…」
「うっわっ…、まさかそれって…」
「ええ、そう言い伝えられてます。
…でも、今はその湖に街があって、魔族との交流も多くなってるそうです」
「じゃあ、そこに行けば、話が聞けるかも知れないのね」
「ええ。エルフ国も同じく、交流があるかも知れませんね」
(旅もいいかも。…楽しそう)
「あとは…、国内ですね。
地方を回って、言い伝えを聞いて回ったり、英雄様の痕跡を探すことですかね」
「旅をしながら、生き字引のお爺ちゃんに話を聞いたりするやつだ」
「そうです。…ただ、何にしろ、馬車での移動になりますから、
移動も大変で、宿や食事にもお金が掛かります」
少しの間。
「勿論、盗賊や山賊も…」
「あーそれ、私が強くなれないとダメなやつ」
軽いため息が出る。
「これは大変だねぇ…歴史を紐解くのも。…一苦労では済まなさそう」
私は話を聞いて心が踊った。
――でも。
英雄様やこの国の歴史よりも、私を解きほぐしてくれたマルさん。
「マルさん、今日もありがとね。励ましてくれて。本当にありがたいよ」
「いえいえ、お嬢の心を守るのも、俺の役目ですから」
「…うん。例え役目でも、嬉しいよ」
私は、マルさんに迷惑をかけていた気持ちに胸が詰まっていた。
「でね、服の話に戻るけど、…やっぱり目立たない普段着でいいや」
「マルさんに迷惑かけたくない」
マルさんは、しばらくの間考えていた。
「…分かりました」
少しの間の後。
「お嬢は、お嬢が気に入る普段着と寝間着を買って下さい」
「俺が、その薄青色の服を買いますよ」
「えぇ…? …でもマルさんにも白銀様にも申し訳ないよ」
「大丈夫ですよ、白銀様なら許してくれますよ。…お嬢の心が大切です」
またマルさんが照れ臭そうに言う。
「…それに」
「それに…?」
「俺がお嬢に着て欲しいんです」
「えっ…? そ、そうなの?」
マルさんの顔が少し赤くなる。
「…無理にとは言いませんよ。お嬢が嫌なら、もちろん無理に着なくていいです」
「ううん…嫌じゃないよ。…でも、どうして?」
「単純に…似合っているからです」
「…それに、お嬢はまだスカートをお持ちではないですし」
マルさんは少し言葉を詰まらせながらも、真剣な目で見つめてくる。
その真っ直ぐな気持ちに、私は思わず頬を緩めた。
「…でも…いいの?」
「また私が目立っちゃって、マルさんが困るよ」
「…大丈夫です。…俺が何とかします」
「分かった…じゃあ、買って貰っちゃおっかな」
「分かりました。今日は、その姿で街を歩きましょう」
マルさんのお陰で気分も上がり、その後も街散策を楽しみながら続けた。
――――――――――――――――――――――――
その頃、オルベイン商会では。
「ディル坊は、居るかい?」
「は、はい。すぐお呼びしますので、こちらへ」
普段は滅多に訪れない、店主を”坊”呼びする珍しい客に、店員は驚いた。
奥に通されたカールは椅子に座らず、用意されたお茶を立ったまま飲んだ。
しばらくした後、ディルが部屋のドアを開ける。
「これはお珍しい。クレイゲン先生、ようこそいらっしゃいました」
「ああ、久しぶりだな」
「先生、そろそろ私を”ディル坊”と呼ぶのは、やめて頂きたいです」
「わしにとっては、お前さんは”ディル坊”だよ」
ディルは昔を思い出し、少しだけ郷愁にふける。
「どうぞ先生、お掛けになって下さい」
カールがようやく椅子に座る。
「先生は…相変わらずですね」
ディルがふふっと笑みを浮かべた。
「…で、今日は、どういったご用向きでしょう」
「ああ、少し聞きたいことがあってな」
ディルは何かを悟って、少し身構える。
「はい」
「綾子のことだ」
「…はい」
「あの娘は何者だ?…お前さん、何か知っておるな」
少しの間の後、ディルが口を開く。
「ここまで来て“それ”を聞く。
先生は…もう答えをお持ちなんでしょう?」
「やはりそうか」
「私からは”それ”を言えません。言えば命は無いそうですから」
「そうか」
何かを納得したカールが答えた。
ディルは無言のまま、カールを見る。
「だがな」
一拍置いて。
「あのドラゴンが、わしらをどうこうはしないだろう」
カールが続ける。
「わしやお前さんの家は、”英雄”に所縁があるからな。
話したところで何も変わらんさ」
「大体お前さんは、”それ”を知ってて、綾子をわしの元へ紹介したんだろう?」
「ええ、そうです」
「お前さんも相変わらずだよ。手紙一つで済ませおって」
「しかし私も…先生が、こんなに早く尋ねてくるとは思いませんでした」
「まだ確信ってわけではなかったが」
カールが一拍置く。
「綾子の異質さには、すぐに気付いた」
ディルが目を見開く。
「ほう、やはり違いますか」
「あの娘は、どれだけ激しく動こうが息が乱れん」
少しの間。
「それにな、打たれ強さも尋常じゃない」
「最初は、街娘と変わらなかったが」
「最近はマルキーの打ち込みが何度当たっても、耐えておる」
「ま、痛みはあるようだがな」
カールが続ける。
「そこで、わしが試しに何度か当ててみたんだがな」
「先生もお人が悪い」
「大の大人でも骨が折れるか、のたうち回る打ち込みを、耐えておった」
ディルが苦笑いする。
「さすがに真剣では試せんからな」
「当てた箇所は赤くは腫れるが、すぐに引いてるようだ」
ディルが驚いた顔をする。
「やはり”英雄”と…同じなんですかね」
「だろうな」
「と…なると…」
しばらく沈黙が続いた。
「で、ディル坊よ、お前さんは綾子をどうするつもりだ?」
「どうもしませんよ」
「私の家も、かの英雄に恩がある家系です。
恩返しとして、綾子の助けになればと思っていますよ」
「先生も、そう思っているんですよね?」
「ああ。そうだな」
カールは目を細めて、視線を外す。
「だがな」
しばらくの間。
カールの顔が険しくなる。
「剣は教えられても、生き方までは教えられん」
「わしが道場を閉めた理由は、お前さんも良く知ってるだろう」
「ええ、…勿論。私も最後の門下生の一人でしたから」
「なら、分かるだろう」
「大丈夫ですよ、綾子なら」
「あの子は、しっかりしていますよ。それに礼儀正しい」
「うちに伝わる、話の中の英雄とは大きく違います」
「それは先生もご存知でしょう」
「ああ、そうだな」
「先生のご先祖様も…」
「…ああ」
「なら、一緒に綾子を見守って行きましょうよ」
「ああ」
「なにより…、綾子は可愛いですからね」
「そうだな」
二人の間に、言葉のない時間が流れた。
二人は揃ってお茶を飲んだ。
ディルがカールの湯呑にお茶を注ぐ。
「先生、綾子の剣の腕前の方は、どうなんですか?」
「まだまだ…だな」
「…入口に立ったところですか」
「ああ。見え始めてはいるが、速さにまだ頭が追いついておらん」
「これからですね」
「そうだな」
二人は同じように微笑んだ。
「忘れていたが」
一拍置いて。
「初めてあった日に、綾子は、わしの木剣を折りおってな」
ディルがまた驚く。
「…ほう、それは凄いですね」
「英雄の力か…それとも…魔力でしょうか?」
「分からん。…わしに魔力は見えんからな」
「その後の綾子は”力”を?」
「いや」
「まだ”力”の使い方を知らないんでしょうか?」
「だろうな」
カールが続ける。
「知識はあるだろう。横にマルキーが居るからな」
「使い方と制御ですか」
「使い方は”切っ掛け”がないと、どうにもならん」
「それにな」
一拍。
「それで綾子が”掴む”かは分からん」
「こればかりは、どうにもなりませんね」
「ああ」
「制御は、先生に任せるとして…」
「制御は教えられても、”使う使わない”は本人の意志だ」
「”使わない勇気”ですね…」
「お前の兄弟子たちも…」
カールがまた目を細める。
「あの二人のことは残念でなりません」
「今頃何をしているのやら」
「うちの隊商が風の噂で聞いた話ですが、…一人は西に居ると」
「そうか」
「何度も言ってますが、先生の責任じゃありませんよ」
カールは西側を見つめて、目を瞑る。
しばらく、重たい沈黙が続いた。
ディルが気を利かせて先に口を開く。
「綾子なら大丈夫です。…優しい子ですから」
「ああ」
「あの子が道を踏み外さないように」
「そして、迷わないように、道を照らしてあげましょう」
ディルが続ける。
「かの英雄に倣う必要も、並ぶ必要もありません」
「街の為とか、この国の、この世界の――英雄になる必要もありません」
「あの子なりに”今の英雄”になってくれれば、それでいいじゃないですか」
「そうだな」
二人は目を合わせて顔をほころばせた。
――――
「先生…今日は、うちで夕食食べていきませんか?」
「今日は、地魚がいくつか入ってます」
「おお、霜降りか炙りで頼む」
「分かりました。それと――」
ディルが、少しだけ口元を緩める。
「今夜は、良い酒もご用意しておきます」
第二十五章② 終わり




