第二十五章① 可愛くなりすぎた日(前編)
朝。
私――綾子は、ベッドから出てすぐ、宿の人に水を貰いに行った。
「お嬢、もうそろそろ10時ですけど…、間に合わないですよねぇ?」
「…びっくりしたぁ」
休日の食堂の奥から声が聞こえた。
にやりとしたマルさんの顔が見える。
「じゃあ俺は、昨日の店で待ってますね」
「…分かった」
「女の子は、身だしなみが大切ですもんね…」
(くっ…)
皮肉交じりの笑みを浮かべて、マルさんは宿を出ていった。
水入りの桶を持って部屋に戻った私は、
思いっきり開き直って、ゆっくりと身支度を始める。
(くそー、絶対可愛くなってやる)
寝間着を脱ぎ、芳香水を使う。
服を着て、顔や口のお手入れをし、櫛で入念に髪をとく。
「お休みだし、今日は香油使っちゃおうかな」
整えた毛先に少しだけ。
「あ~いい香り」
「…さて、お化粧しよっと」
この世界の化粧品と鏡に手こずり、
何度かの失敗を経て、ようやく終わった。
「よし、完成!…青みピンク最高!」
私は久しぶりの化粧に興奮しつつ、
マルさんの元へ向かった。
――――
「マルさん、お待たせー」
「本当に遅かったですね。お…嬢…」
「…もう…お昼……」
私を見たマルさんは目を丸くして、
言葉が途中で途切れて呆然としていた。
「んー、どうしたのかなぁ? マルキー君は」
「私の可愛さに見惚れて、固まっちゃったのかなー?」
「…お嬢、口調が変わってますよ」
「今日は、もう3杯目かなぁ? 飲み過ぎは良くないよー?」
「お嬢、お願いですから元に戻って下さい」
「少し店から離れましょう」
店の喧騒から少し離れたところで、足を止める。
さっきまで感じていた人の視線も、もう気にならない。
ふと隣を見ると、マルさんの空気が少しだけ引き締まっていた。
「お嬢が、そこらの街娘より化粧が上手いのが良く分かりました」
「確かに、可愛いですし、綺麗です。それに、いい匂いもします」
「…でも…やり過ぎです」
「俺も、これ程までに変わるとは思ってませんでしたから」
少し間を置いて。
「お嬢が巷の関心を引きたいのかは、分かりませんが」
マルさんの顔が少し厳しくなる。
私も背筋を伸ばした。
「これでは、変な男や娼館の手先の目を引いてしまいます。
もしかしたら、盗賊の目利きに目を付けられるかも知れません」
「でもさ、エルフさんとか、美人が多いよね。あの人たちは大丈夫なの?」
「エルフを襲おうとする奴は限られます。…魔法が怖いですからね」
「あとは、……そういうエルフはエルフだけの娼館にしか居ません」
「…そうなんだ」
「俺も白銀様から、お嬢を頼まれている身ですから…。
もう少しだけ控えてもらえると、ありがたいです」
「そっか…。やり過ぎちゃったか。…マルさん、ごめんね」
「いえ、お嬢に分かって頂ければ」
マルさんの顔が少し緩む。
「お嬢が俺より強くなってくれたら、俺は何も言いません」
「お嬢がもっと強くなって、
街道を一人で歩けるぐらいになったら、
もっと化粧をして、綺麗になって欲しいと思ってますよ」
マルさんは、いつもの穏やかな顔に戻った。
「それまでは、我慢になると思いますが…」
「うん、…そうだね。そうなれるのかは、分からないけど。
…そうなるまでは、少し控えるよ」
「俺も言い過ぎました。…すいません」
「ううん。
…マルさんが私のこと考えてくれてるんだなって、良く分かったよ」
マルさんが少し照れ臭そうな顔をして口を開く。
「でも…」
「…でも?」
「今日のお嬢は、本当に可愛いですよ。俺も誇らしいです」
マルさんの本音が聞けて、私は嬉しくなった。
その後、
私はハンカチ代わりの布で、化粧を少しだけ落とした。
――――
歩き始めた私たち。
「さてお嬢、今日はどうするんですか?」
「今日はねぇ、服が欲しい」
「すでに何着か持ってませんでしたか?」
「うん…、そうなんだけど。宿で使う、ちゃんとした寝間着が欲しい」
「あとは、外着がもう一着かな」
「寝間着なんて、古着でいいじゃないですか」
「うん、それでもいいと言えば、いいんだけどね。
でも…ディルさんの宿だから、身だしなみもそれなりにしないと」
「 ”そんなもの”なんですかねぇ」
「そうよ、少しは気を使わないと」
「…マルさんもそうした方がいいよ。分けて使えば、長持ちするし」
話を続ける。
「マルさん、”普段着”で寝て、そのまま出かけてるでしょ?」
「そうですよ」
「夏場とかどうしてるの?」
「夏は…、下着だけか、裸ですね」
「まさか、そのまま部屋を出るとかは、…ないよね?」
「さすがにそれは……ない…ですよ」
マルさんが冷や汗を流す。
「なんか…歯切れが悪いわね。
…どうせパンツ一丁で歩き回ったことがあるんでしょ」
マルさんの目が少し泳いだ。
「……そう…ですね。…あります」
「もーっ。ディルさんの宿でそれは、やらないでね」
「分かってますよ。俺もそういうところは、ちゃんとしてますよ」
そして、いつものように話を変えようとするマルさん。
「…で、お嬢、今日は…、”でもその前に”って言った後に」
一拍置いて。
「 ”ラーメン!” って言うんですよね」
「ピンポンピンポン! …正解! マルキー君に…100点!」
「すごーい、何で分かったの?」
「その、”ぴんぽんぴん”が何か分かりませんが…。
そりゃ分かりますよ。…昨日食べてませんし」
「それに…」
「それに…?」
「…ほぼ毎週食ってるじゃないですか」
「あちゃー、バレてたか」
「…いや、…いつも一緒に食べてますよね」
「そうだねー。ちょっとボケただけだよ」
「そんな歳でもないでしょうに」
「違うの! ”ボケ”は、”とぼける”って意味なの!
ここハッキリしておかないと、色々とツッコまれるの!」
私は、なぜか冷や汗が出てきた。
「んもぉ。こういうとこ、マルさんノリが悪いなぁ」
「海苔ですか?」
「ちがうの!」
「もぉ。マルさんがボケ役の方が良さそうね」
そんな会話をしながら、”私の案内”でラーメン屋に向かった。
――――
「今日のお店は、ここ!」
「ここですか、…あまり人が入っていないようですが」
「うん、でも多分ラーメンあるだろうなって匂いがしてたから」
「匂いですか」
「ごめん、雰囲気ね」
「またラーメンギャンブルですか」
「そうよ。そうしないと、良いお店は見つけられないでしょ?」
「確かにそうですね。それはラーメンだけに限らない話ですし」
「でも、この間の味噌ラーメンは、外れでしたね」
「そうだったわね。やっぱり魚介に味噌は難しいみたい」
「でも、なんでだろうね。…お味噌汁とかだと美味しいのに」
「不思議なもんですね」
「じゃ、お店入ろっか」
そこは大通りから一本外れた飲食街の一角。
小さな看板と控えめな入口からは、
ラーメンの気配が感じられないお店。
店内は想像以上に落ち着いた雰囲気だった。
私たちはテーブル席に座った。
メニューを見て、ラーメンがあるか確認する。
「すいませーん、おすすめのラーメン2つ下さい」
「…またですか」
「今日は、ちゃんとメニュー見たもん」
私は自分の”勘”を信じて少し胸を張る。
マルさんは苦笑いしながら、そんな私の横顔を見ていた。
「ここは”当たり”よ。…”匂い”がする」
「…雰囲気ですよね?」
「ちがうもん。…ちゃんといい匂いがしてるもん」
「それじゃ、楽しみに待ちましょう」
私は手早く”儀式”を行う。
マルさんの苦笑いも相変わらずだった。
しばらくして、店員さんがラーメンを運んできた。
魚介が香る白いスープに、麺と具が見え隠れしている。
「うわー、これは美味しそう」
「…真っ白ですね」
二人でスープに口をつける。
熱さと香りが鼻をくすぐり、思わず目を細める。
「う~ん! 美味しい!」
「これは…、美味いですね」
「濃厚な魚介出汁にミルクが、すごく合ってるわ」
「これはチャウダー系ね。麺は細めで、スープに合ってる」
「これも魚介の暴力ですよ。それをミルクで上手く抑えられてますね」
「そう、それ!」
「これなら…、おかわり出来そうだわ」
「えっ…?」
「冗談よ」
ラーメンの湯気と香りに包まれながら、私たちは自然と笑顔になっていた。
しかし――
髪を留めていたヘアピンが突然、ラーメンの器の中に落ちた。
跳ねたスープが顔にかかる。
「落ちちゃった…」
「お嬢、落ち着いて」
「私のラーメンが…。私のヘアピンが…」
「まず…顔を拭きましょう」
「…うん」
小さな混乱に、店内の音も少し遠くに感じられた。
「じゃ、俺がヘアピンを取り出しますからね。
ちゃんとボロ布で拭きますから、大丈夫ですよ」
「…うん。…ありがとう」
「ラーメンの残りは、どうします?」
「……食べる……」
「予備のヘアピンは着けなくていいんですか?」
「我慢する……」
「…ゆっくりでいいですからね。ラーメンを楽しみましょう」
「…うん」
私は気分が沈んだまま、ラーメンを食べ終えた。
マルさんの優しさが本当にありがたかった。
――――
「お嬢、次は寝間着と外着でしたね」
「……うん」
「では、行きますよ。はい、お手々つなぎましょうね」
「…うん」
マルさんは、ずっと私を気遣ってくれていた。
「俺が知ってる、少し良い店にでも行きましょうか」
「…うん。…ありがとう」
「少し遠いですからね、何かお話しながら行きましょう」
「……」
「お嬢は、今まで、ヘアピンが落ちることはあったんですか?」
「……なかった」
「どんなヘアピンを使ってたんですか?」
「……アメピン」
「その”あめぴん”は、この辺りでは売ってないんですか?」
「…うん、…売ってないの」
「じゃあ、オルベイン商会の細工職人に作ってもらいましょうよ」
「……」
言葉に詰まった私は、答えようか迷った。
「…お嬢?」
「 ”また”高くなりそうだから…白銀様やマルさんに申し訳なくて…」
マルさんが上を向いて少し考える。
「”また”というのは、ペンダントのことですね」
「あの時、”奥で待ってて”と言われたのを思い出しました」
「…うん」
「…いくら掛かったんですか?」
「……金貨…20枚……」
マルさんが引きつった顔になった。
「…うえ~ん。そんなに高いとは思ってなかったの……」
「……ディルさんが…これでも安くしてるって…うえ~ん」
その顔を見た私は、申し訳なさから自然と泣き声がこぼれた。
マルさんが困った顔をする。
「…まぁ、大事な白銀様の宝石ですからね…。
少し高くても、丁寧な作りに仕上がって良かったじゃないですか」
「……ありがとう……うぇ~ん」
「今回も同じですよ。お嬢の心に関わる大事なことです。
…大丈夫です。
白銀様も大目に見てくれますよ。目も大きなお方ですからね…はは」
「……うん。……ぐすっ……」
「俺からディルに頼んでみます。お金も俺が出しますよ」
「…ありがとう」
「ほら、涙を拭きましょうね。せっかくの”べっぴん”さんが台無しですよ」
「…うん」
「お嬢には、絵を描いてもらいましょう。
…その時に、”あめぴん”がどんなものか教えて下さいね」
「…分かった」
私の涙が、ようやく止まる。
今まで言えなかったことを口に出して、
溜まっていたものが洗い流されたように感じ、
少しだけ気分が晴れた。
「ほら、お店が見えてきましたよ。もう少しですからね」
道沿いの景色も、少しだけ明るく見えるような気がした。
第二十五章① 終わり




