第二十一章 剣を振る前に学ぶこと
朝。
(う~ん、今日もいい天気!)
目覚めた私――綾子は、食堂に向かう。
食堂に行くと、マルさん――マルキーはまだ来ていなかった。
私は先に朝食を取る。
稽古のことを考えて、しっかりと食べる。
食べている最中に、マルさんが起きてきた。
「おはようございます、お嬢。今朝は、早いですね」
「うん、今日から稽古だし、しっかり食べておこうと思って」
「あんまり食べると、稽古中に戻しますよ」
マルさんが、薄っすらと笑う。
「食べてるときに、そういうこと言わないでほしいな」
「ま、お嬢なら、大丈夫でしょう」
苦笑いしながら続ける。
「すぐ食べますんで、食べたら一緒に行きますよ」
「うん、ありがとう。
いつか、一人で行けるようになるのかな……」
「お嬢なら、そのうちに、街の外も歩けるようになりますよ」
気休めでも、マルさんの言葉が嬉しかった。
私は、マルさんが食べ終わるのを待って、
二人で、先生――カール先生のところへ向かった。
―――――――
道場に着くと、先生は、また掃き掃除をしていた。
「おはようございます」
「おや、おはよう。今朝は早いんだね」
「はい、初日は大切ですから」
「そうかい、いい心がけだ。
じゃ、道場に上がって、少し待っていなさい」
そう言われて、私たちは道場に上がった。
端のほうには、昨日は無かった盾や武器が、いくつも置いてある。
先生が来るまでの間、私たちはそれらを眺めていた。
―――
「……気になるかい?」
掃除を終えた先生が、いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。
「……はい」
思わず、肩が跳ねる。
(どうやって……)
「綾子は、どれを使いたい?
……失礼、ここでは呼び捨てだよ」
「はい、構いません。……私は、盾を持ちたいと思います」
「綾子が言ってた、護りの剣だね」
「ふむ。では、まず盾と剣を持ってみなさい」
そう言われて、私は大きめの盾と長剣を手に取り、構えてみる。
(盾がけっこう重い……)
そして、初めて持つ実剣に、指先がわずかに震えた。
「うん、今日はお試しだよ。
うちは、すべての”得物”を扱えるように教えていく」
(えっ……なにそれ)
先生は私の反応を見て、続ける。
「色んな”得物”の短所や長所を知る。
そのうえで、相手の”得物”の短所を突くためだ」
「それにね、今は盾を選んでも、他の武器を学ぶうちに、
もっと得意な”得物”が見つかるかもしれない」
(深いけど……納得だわ)
「それじゃ、表に出ようか。土の上で稽古しよう。
床に傷がつくと、いけないからね」
―――
私たちは表に出た。
マルさんは縁側に腰を下ろして、こちらを見ている。
「そうだ、マルキー。
綾子の服と靴をいくつか、買ってきてもらえないか」
突然の言葉に、マルさんが目を瞬かせる。
「古着で構わない。どうせ汚れる。
下はズボンだよ」
「は、はい。分かりました」
言われるがまま、マルさんは道場を出ていった。
―――
気を取り直して、私は剣と盾を構える。
先生は木剣のまま、私と向かい合った。
「では、打ち込んできなさい。
どんなにみっともなくてもいい」
一拍置いて、続ける。
「最初は皆、みっともないもんだ」
「お願いします!」
私は、私なりに慎重に剣を振るった。
先生が受けたかと思えば、ひらりと避ける。
剣は空を切った。
「ほら。振り抜いてしまったら、
止めるか、逃がしなさい」
言われた直後、
空振りした剣が、自分の足に当たった。
(やばっ……)
「じゃ、そろそろ、わしも打ち込んでいくよ」
先生の木剣が、盾に軽く当たる。
そう思った次の瞬間、盾の影から剣が伸び、足に触れた。
次はそう見せかけて、
足運びだけで距離を詰められる。
頭。
首筋。
気づくたびに、木剣がそこにあった。
(これじゃ……)
(盾なんて意味がない。むしろ、邪魔だわ)
私は盾を置き、剣だけで先生を捉えようとした。
「おっ、本気になったか」
少しだけ、楽しそうに言う。
「遠慮はいらない。打ち込んできなさい」
私は両手で剣を握りしめ、無我夢中で打ち込んだ。
先生は、そのすべてを、受け、払い、避けた。
「よし。そこまでだ」
「少し、休憩しよう」
カールは綾子の様子をちらりと見た。
(……息が上がらんな)
私は胸に手を当てた。
やっぱり、息は乱れていない。
それが、かえって悔しかった。
「その気持ちは、大切だよ」
先生は、こちらを見ずに言う。
「納得するまで、悔しがりなさい。
上達するからね」
「はい!」
見透かされていたのが分かって、
少しだけ、恥ずかしかった。
―――
縁側に腰を下ろし、私は聞いてみた。
「私……本当に、何も出来なかったです。
先生、すごい」
「そうかい」
間を置いて、続ける。
「綾子も、いずれは、これくらい出来るようになる」
「本当ですか?」
「うん」
こちらを見る。
「これだけ打ち込んで、
息が乱れていない。それだけで、大したもんだ」
そう言われて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
(たとえ、何かの力のおかげだとしても……)
――――
次に先生は、簀巻きを用意した。
「これを斬る体験をしてみようか。
なあに、お試しだ。失敗して当たり前だよ」
「恥ずかしがることは、何もない」
そう言って、先生はまずお手本を見せてくれた。
特に気負う様子もなく、
――スパッと。
一刀で、簀巻きの上の方が斬り落とされる。
「あ……」
あまりにあっさりしていて、声が漏れた。
「剣の流れと、刃の向きが合ってないと斬れない。
それとね、当てるだけじゃだめだ。引きながら斬る」
(……包丁と同じだ)
「今の話は、忘れても構わないよ。
どうせ、体で覚えることだからね」
実際にやってみたが、まったく斬れなかった。
刃は弾かれ、手に嫌な衝撃だけが残る。
(分かってるつもりなのに……身体が、ついてこない)
「最初は、そんなもんだ」
先生は私の手元を一度見て、静かに言った。
「今の自分が分かっただろう。
それだけで、今日は充分だよ」
「……はい」
「じゃあ、剣と盾を元の場所に戻しなさい。
木剣を持って」
「はい」
「ここからしばらくは、ずっと木剣だ」
―――
私は武器を元に戻して、木剣を持った。
「マルキーが戻ってくるまでは、道場で素振りしてなさい。
好きに振っていい。
ただ、相手がいると思って、素振りしなさい」
「はい!」
それだけ言うと、先生は私の素振りをしばらく眺めていた。
十数分もすると、何も言わず、道場の奥へと下がっていった。
―――
黙々と木剣を振り続けていると、
奥から魚を焼く匂いと共に、ふわりと懐かしい匂いが流れてきた。
(……味噌汁?)
匂いに引き寄せられそうになりながらも、
私は言われた通り、相手を思い浮かべて剣を振り続けた。
(思い浮かべても先生しか出てこないから、全部避けられてるけど)
そうしているうちに、マルさんが戻ってきた。
「買ってきました」
「お帰りなさい」
差し出された古着は、本当に古着だった。
いつ破れてもおかしくない、遠慮なく汚せそうな服。
靴も、あの足の裏が痛くなる靴。
「おや、マルキーお帰り。いいところに帰ってきた。
それじゃ、お昼にしようか」
奥の部屋で、先生が昼ご飯を振る舞ってくれた。
ごはんに、味噌汁、焼き魚、それに漬物。
「うわ~、こんな物が食べられるなんて……」
私の瞳が、また潤んだ。
「気に入ってもらえるといいが。さ、お食べ」
「いただきまーす!」
「いただきます!」
私とマルさんは、揃って頭を下げ、箸を取る。
「ん~、美味しい……!」
(この世界に来て、…味噌汁が食べられるなんて!)
「喜んでくれて嬉しいよ。お代わりもある。
遠慮せず、食べなさい」
「はい!」
二人で残さず、きれいに平らげた。
「とても、美味しかったです!」
「それは良かった。
お昼はしっかり休みなさい。午後からも素振りだからね」
「それと、綾子はその古着に着替えなさい。
今の服が汚れたら、勿体ない」
「はい!」
(汚れる……? 何をするんだろう)
「しかし、マルキーは、いい塩梅の古着を買ってきたね」
そう言い残して、先生は奥へと下がっていった。
私は小さな疑問を胸に残したまま、着替えを済ませ、
午後の稽古が始まるまで、静かに身体を休めた。
――――――
午後になり、先生の指導が入った。
「綾子、木剣を貸しなさい」
私が木剣を渡すと、先生は懐から小瓶を取り出して、
中の赤いものを、
刃先に丁寧に塗り始めた。
「先生、それは何ですか?」
「これはね、 “鉛丹”と言って、船に塗ったり、
職人さんが“当たり”を見るときに使うものだ」
(……なんで、そんなものを)
私の疑問を察したのか、先生は手を止めずに続ける。
「これが付いた場所が、綾子の足や腕、
身体のどこかに当たらなくなるまで、続ける」
「午前中、少しヒヤッとしただろう。
本当に足を怪我する前に、癖を直すためだよ」
「剣の扱いは、身体で覚えるものだ」
そう言って、先生は木剣を私に返した。
「マルキー。お前さんも木剣を持って、
綾子の前で構えてくれ」
「はい。……あの、お嬢と打ち合うんですか?」
「そうじゃない。ただ、構えるだけでいい。
たまに構えを変えたり、打ち込むふりをしておくれ」
「……分かりました」
「疲れたら、私と交代しなさい」
そう告げると先生は縁側へ下がり、
何か作業を始めた。
―――
しばらくの間、マルさんの構えに合わせて素振りを続ける。
でも、
どうしても先生の手元が気になった。
(先生は……なにをしてるんだろう?)
「これは私の内職だよ。革細工の手伝い。門下生も他にいないからね」
また先生は、私が考えていたことに答えてくれた。
(門下生がいない?)
(……そうだ、お月謝!)
「……先生。……お月謝のお話ですが」
今度は先生より先に口にできた。
「ありがたいね。うーん、どうしようかね」
私とマルさんは先生のところへ歩み寄る。
「二人で、月に金貨15枚くらいくれると、嬉しいね」
「いやいや、俺は遠慮しますよ」
マルさんは反射的にそう言った。
「うーん、じゃあ――
マルキーには、手が空いてるときに、
道場の掃除や洗濯、それから買い物を頼もうか」
「それで、月に金貨10枚」
先生の目が、ほんの一瞬だけ、きらりと光った気がした。
私はマルさんと目を合わせ、少しだけ言葉を交わす。
「……それで、お願いします」
少しだけ、先生の術中に嵌められた気もした。
それでも、この人しかいない――そう思った。
「ありがたい。助かるよ」
―――
それから夕方まで、マルさんと素振りを続けた。
先生は変わらず内職をしている。
「最初から、そんなに頑張らなくてもいい。
用事があるとき、好きなときに帰っても構わないよ」
「はい、ありがとうございます」
「日も暮れてきたし、今日はここまでにしよう」
「はい!」
道場に木剣を戻し、私は着替えようとした。
「綾子、着替えないで。そのまま帰りなさい」
(えっ?)
(服に……赤いの、ついてるのに……)
「これも稽古だ。その格好で通うんだ」
(……うそでしょ)
「先生……あの…靴もですか……?」
「そうだよ、どうかしたのかい?」
「…ええ、その…この靴だと……足が痛くて」
「ふむ…仕方がない」
(ほっ、…良かったぁ)
「綾子」
「はい」
「帰りに、誰が綾子を見るか。
逆に、誰が見ないか。それを観察しなさい」
先生は穏やかな声で続ける。
「なるべく、視界の端で捉えるんだ。
面と向かって見返しちゃいけない」
「……はい」
「あとはね――」
先生は少しだけ笑った。
「恥を、恥と思わないことだ」
胸の奥がきゅっと縮む。
「……分かりました」
そう答えて、
私とマルさんは、先生に見送られながら、道場を後にした。
――――――――――――――――――――
歩き始めると、他人からの視線が思った以上に刺さった。
皮膚じゃなく、心の奥をつつかれる感じ。
マルさんは、私から少し距離を取って歩いている。
「ちょっと……なんで私から離れるのよ!」
「いや、なんでって言われても……」
完全に他人の振りだ。
(誰が見てるかより……見られてるのが恥ずかしい)
(早く……早く宿屋に……)
視線を避けようとして、うつむきかけて――
思い出す。
(……視界の端、だった)
私は正面を見たまま歩いた。
人の顔を見ない。
でも、気配だけを拾う。
こちらをじろじろ見る人。
一瞬だけ目をやって、すぐ逸らす人。
まったく気にしない人。
(……見ない人、こんなに多いんだ)
それに気づいた瞬間、
胸の奥の熱が、ほんの少しだけ引いた。
それでも――
服についた赤い色より、
私は顔を真っ赤にしながら、宿屋へと急いだ。
――――
宿屋に入ると、宿の人に一瞬だけ、白い目で見られた。
でも、すぐにいつもの表情に戻る。
(……一瞬、か)
マルさんは、最後まで距離を保ったままだった。
「薄情者……!」
「お嬢、勘弁して下さいよ。俺だって慣れが必要なんです」
「ひっどーい。
明日からマルさんにも赤いの付けちゃおうかな」
「それは、やめてください」
苦笑いするマルさんを見ていたら、
ささくれだった気持ちが、少しだけ丸くなった。
「さ、お嬢、夕食にしましょう」
「私、先に着替えてくる。
マルさんは、先に食べてて」
部屋に戻り、急いで着替える。
鏡に映った自分の顔は、まだ少し赤かった。
――――
体を動かしたからか、
晩ご飯は、いつもより美味しく感じた。
「お嬢、そろそろ機嫌、直してくださいよ」
「ふん……。
マルさんが明日、汚い服で来るかどうか、見ものね」
「えっ」
目を丸くするマルさんを見て、
私は、ようやく小さく笑った。
(……これも、稽古なんだ)
そう思えるようになったのは、
ほんの少しだけ、前に進めた証だった。
――――――――――――――――――――
部屋に戻って、
今日のことを思い返しながら、私はベッドに腰を下ろした。
朝から晩まで、体も心も、ずいぶん動かした気がする。
それなのに、不思議と嫌な疲れはなかった。
カール先生は、厳しいことを言わない。
でも、逃げ道も作ってくれない。
ただ、「続けなさい」と、静かに示してくる。
ディルさんは、私の前に道を作ってくれた。
私が立ち止まらないように、
静かに、背中を押してくれた。
マルさんも……。
今日だって、何も言わずに、少し離れて歩いてくれた。
あれもきっと、私のためだった。
けど、
いつも当たり前みたいに隣にいてくれる。
そして……白銀様。
あの御方に戴いた、色々なものが、
今の私を支えてくれている。
剣を学ぶ理由は、
まだ綺麗に言葉にできてないかもしれない。
でも、剣を振り続ける未来だけは、はっきり見えた。
明日も、その次の日も。
何度、恥をかいても。
何度、思い知らされても。
私はここで剣を振る。
そう思うと、胸の奥から何かが込み上げてくる。
静かに瞼を閉じながら、
深く、息を吐く。
私は、これから続いていく日々に身を委ねた。
第二十一章 終わり




