第十八章 暮らしが始まる音
朝。
目覚ましが鳴るよりも先に、
俺――ジャクイユは、体を揺すられる感覚で目を覚ました。
「……ん?」
半分寝ぼけたまま目を開くと、
そこには――スケさん――骸骨。
昨日よりは、顔との距離が少し離れている。
「……あー……」
思わず天井を見上げる。
(起きたら目の前に骸骨、よりは……)
(体を揺すられて起こされる方が、まだマシか)
そう自分に言い聞かせながら、体を起こした。
「……どうしたの?」
声をかけると、
スケさんは外を指差し、
次に、鍬を振るような仕草をしてみせる。
「……畑?」
さらに、やる気満々と言わんばかりに、ぐいっと胸を張る。
「スケさん……どんだけ張り切ってんだよ」
思わず苦笑しつつ、少し大きな声が出た。
朝食の前に、まず外へ出る。
地面に棒で線を引く。
――ここから向こう。
そう伝えて、畑との境界を決めた。
次にガレージへ向かい、シャッターを開ける。
スケさんは、しばらく悩んだ末、スコップを手に取った。
(ごめんよ……家にはツルハシがないんだ)
スコップを担いで畑へ向かうスケさんの足取りは、
驚くほど軽い。
黙々と耕し始めるその背中を見て、
感心しつつも、少しだけ複雑な気分になる。
すえぞうも、
新しい遊び相手ができたとでも言うように、
周囲をちょろちょろと動き回っていた。
(……朝から元気すぎだろ、この家)
最後のパンで朝食を済ませ、車に乗る。
今日は、ペットボトルを1袋分と、
一升瓶をミリナに見せてみるつもりだ。
出かける間際、
スケさんは、力強く手を挙げて見送ってくれた。
その仕草ひとつで、
どれだけ張り切っているかが、はっきり分かる。
俺も手を振り返し、スケさんに応えた。
――――――――――――――――――――
薬屋へ入る。
案の定だった。
ミリナの視線は、
俺ではなく、一升瓶に釘付けになっている。
(……ですよね)
ミリナに一升瓶を渡すと、
瓶を手にして、何やら次々と言葉を投げかけてくる。
俺はジェスチャーを交えて伝えた。
――買い取ってくれ。
――それか、買ってくれる相手はいないか。
ミリナは少し考え、
指を左右に振ってから、東の方角を指差した。
――欲しいが、ここでは無理。
(……えっ?)
(一升瓶ってそんな価値あるの?)
――東に、大きな街がある。そこへ行け。
(…街って、チラッと見えるあれか)
(でも言葉通じないし……)
俺が少し困っていると、
ミリナは落ち着けと言うように、両手を下げて見せた。
そして、胸に手を当ててから、外――街の方角を指差す。
(……今すぐじゃなくて、いいってことか)
(……まぁ、何とかなる、か)
奥の作業場へ移動すると、
今日も、種入りの木鉢と木皿が目の前に置かれる。
だが、
以前のような、嫌味たっぷりの置き方ではない。
(……少しは、打ち解けてきた、かな)
俺が「オッケ!」と言わなくても、
軽い返事ひとつで、もう通じてる。
お互いのジェスチャーも、
それなりに分かり合えるようになってきた。
―――
昼。
ミリナが出してくれたシチューを食べる。
三日続くと、さすがに思うところはあるが――
(……それでも)
食べさせてもらえるだけで、ありがたい。
自炊を続けてきた俺は、
他人が作ってくれる食事のありがたみを噛みしめながら、
素直に、美味しくそれを口にした。
この世界でも、ちゃんと生きていける気がした。
――――――――――――――――――――
昼からも、俺はひたすら殻剥きを続けていた。
いつの間にか、ミリナは見張りよりも、
店の仕事をしている時間の方が長くなっている。
客の応対、掃除、棚の整理。
暖炉に薪を足し、鍋に薬草を放り込んで、木杓子でゆっくりとかき回す。
鍋の前に立つその姿は、
俺が想像していた“魔女”そのものだった。
――妙に、板についている。
俺が増えた分、手が回るようになったのかもしれない。
そう思うと、少しだけ胸が軽くなった。
(俺も……ちょっとは役に立ってるのかな)
ときどきミリナがこちらへ来て、
俺の顔と、殻剥きで汚れた手元をじっと確認する。
何かを確かめるように見て、
首を傾げて、また店の奥へ戻っていく。
(……なんだろうな)
(俺も、ちょっと不思議だ)
―――
ティータイム前、エレジアが顔を出した。
どうやら彼女は、
ミリナの取引先であり、友人でもあるみたいだ。
種や薬草を卸しに来ることもあれば、
今日のように、何も持たずに、ふらりと現れることもある。
袋があるかないかで、だいたい察した。
ミリナがお茶を用意し、
静かな午後の時間が始まる。
今日のお茶は、少し薬草の匂いが強い。
(……うーん、これは)
顔に出たらしい。
気付けば、エレジアとミリナが揃って、俺の顔を覗き込んでいた。
「分かってるけど、飲め」
そんな圧を感じて、
俺は観念して、一気に飲み干す。
ミリナは満足そうに俺の肩をぽんと叩き、
エレジアは笑いながら「とても体に良いのよ」と教えてくれた。
ちなみに二人は、平然と飲んでいる。
(……これを普通に飲めるのか)
内心でそう呟きながら、
俺は何も言わず、また殻剥きに戻った。
今日のエレジアは、
ミリナの瓶詰め作業を手伝っている。
少しだけ手持ち無沙汰になったが、
俺は黙々と手を動かし続けた。
―――
夕方。
「今日はもういい」
そう言われて、帰り支度を始める。
戸口のところで、
ミリナが金貨を二枚、俺の手に乗せた。
ペットボトルのお礼らしい。
エレジアも、横で小さく頷いている。
「まだ沢山ある」
そう伝えると、
ミリナは指で、ほんの少しずつ、という仕草をした。
一升瓶は、
街で売るまではここに置いていけ、と言われた。
俺は軽く手を振って、薬屋を後にした。
――――――――――――――――――――
店を出て、手の中の金貨を見つめる。
家には米はある。
だが、パンも肉も、もう無い。
――今日は、この金貨で何か買って帰ろう。
(……そもそも)
(これ一枚で、どれくらいの価値があるんだ)
まずはパン屋に入った。
店番は、恰幅のいいおばちゃんだ。
軒先に並んだパンを見るが、数は少ない。
(……朝に来ないと、ダメっぽいな)
長いパンと、丸いパン。
それぞれを指差して、金貨を差し出す。
おばちゃんは一瞬、眉間にしわを寄せたが、
黙って金貨を受け取ると、
銀貨を九枚、銅貨を二枚、台の上に戻してきた。
(あー……)
(一万円札出した時の、あの顔だ)
(…ミリナ、結構色を付けてくれたんだな)
パンを受け取って、ふと思う。
(……袋は?)
どうやら、この世界では、
買い物にも事前準備が必要らしい。
―――
次は肉屋だ。
店主は、想像通りの体型をしたおじさんだった。
やはり夕方で、品数は少ない。
並んでいるのは、腸詰めが数本と、塩漬けらしい肉だけ。
(やっぱり、朝か昼だな)
仕方なく、
見慣れたサイズより一回りは大きい腸詰めを指差す。
銀貨を渡すと、
おじさんは脂まみれの手でそれを受け取り、
そのまま腸詰めを持った手を、ぐっと突き出してきた。
(……あ、そういう感じ)
(お釣り、ないのね)
そして、やっぱり――
(……袋が、ない)
パンを脇に抱え、
長い腸詰めをそのまま手に持って、店を出た。
―――
八百屋にも寄りたかったが、
これ以上持てそうになく、そのまま通り過ぎる。
(ネギっぽいのと、デカいチンゲンサイみたいなのがあるな)
(あれはニンジンか? 細っそいな)
そして――
角を曲がった先で、視界に入ったものを見て、立ち止まった。
(……あ)
(俺、今日、車で来てたんだった)
車の前まで来て、改めて悩む。
(……どうしよ、これ)
(下に敷く物が、何もない)
少し考えて、
俺は運転席の窓を開け、腸詰めを外に突き出した。
そのまま、家まで帰ることにした。
――――――――――――――――――――
家に着くと、車のドアには脂がべっとりつき、
すえぞうが大はしゃぎで大変だった。
買ってきた物をいったん台所に置き、
俺は外に出る。
スケさんの畑作りを見る。
手を挙げるスケさんに、俺も手を挙げ返した。
地面は、かなりの広さがすでに掘り返されている。
俺なら、とても一日では終わらない量だ。
「なんか……、広過ぎない?」
思わず声が出た。
一辺が軽く50mを超えているようだ。
(この広さは…、とても面倒見切れるとは思えん)
「スケさん、凄いよ。本当に好きなんだね。
でも、もう遅いし、家に入ろう」
そう言ってスケさんの肩甲骨を撫でながら、
俺たちは一緒に家へ入った。
(……休みになったら、俺も手伝おう)
―――
台所で、腸詰めを見つめる。
大きさに少し悩んだ末、一本だけ焼いてみた。
見た目も匂いも、なかなか美味そうだ。
パンと腸詰めを持って部屋へ行く。
「すえぞう君は、今日もドッグフードね」
すえぞうの残念そうな顔に、胸が痛む。
そして、食べてみる。
「……思ってたのと違う」
腸詰めは塩気と血の味が強く、
ハーブの匂いもきつい。
食感は柔らかく、パリッと感とは程遠かった。
(あー、これ……すえにあげなくて正解だわ)
(ポトフとか、煮込み向きのやつだ)
―――
今日も、スケさんに少し質問をしてみる。
――君は、寝るの?
少し間を置いてから、スケさんは頷いた。
必要なのかどうかは、うまく聞けない。
――力は強い?
親指を上げる。
試しに、軽く腕相撲をしてみた。
指は細いが、握った感触は悪くない。
……が、俺はまったく歯が立たなかった。
――他にも、同じような骨の人はいる?
知らない、という反応。
最後に、ペンと紙を数枚渡し、
指で示しながら、この世界の数字だけを書いてもらう。
言語の習得は大変だけど、
毎日目にしていれば、数字くらいは覚えられるだろう。
一枚は壁に貼り、
もう一枚はズボンのポケットへ。
お礼に、手持ちの野菜の種を全部見せた。
袋の絵を指差し、シャカシャカと振ってみせる。
――暖かくなったら、植えようね。
そう伝えて、
ついでに去年収穫した山盛りの黒豆も見せた。
スケさんの眼窩の奥が、
さっきよりも光って見えた。
(……うん、やっぱり怖いわ)
第十八章 終わり




