第十二章③ 湯上がり娘と英雄の伝説
「さぁ、次は宿を取りに行きましょう」
「宿屋にお風呂はあるの?……何も知らないから教えて」
綾子はまた、意地悪に返した。
「ありませんよ、皆、公衆浴場で体を洗います」
「じゃあお風呂が先!……お風呂入りたい」
「わかりました、…お風呂行きましょう」
マルキーは慣れて来たのか、ため息も漏らさない。
「先にお金を渡しておきますね。銀貨2枚で足りるでしょう」
公衆浴場の前でマルキーが銀貨を取り出す。
「お嬢はゆっくり入って下さい、俺は先に宿を取ってきます」
「マルさんは入らないの?」
「俺は、宿で身体拭きますから」
そう言うと、マルキーは人込みの中へ消えていった。
入り口で銀貨を払い、布と石鹸を貰う。
まだ込み合う時間帯ではないらしく、人は少ない。
脱衣所へ行き、服を脱ぐ。
綾子はふと首を傾げた。
(なんか…、日本の銭湯に似てるわね……)
(もしかして……)
洗い場で髪と体を洗う。
(……シャンプーもリンスもない……)
不満は残るが、綾子は身体の汚れを落とし、湯船に浸かった。
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」
久々に感じるお湯の温かみに、綾子は声にならない声を上げた。
周囲の客が一瞬、こちらをチラリと見る。
(やば……、銭湯だった……)
顔は赤くなったが、綾子は気にせず、湯船の温かさをじっくり味わった。
満喫した綾子は、湯船を出ると、
火照りの残る身体のまま服を着て、出口で石鹸と布を返す。
「……ふぅ……気持ち良かったぁ……」
公衆浴場から出ると、
通りの向こうでマルキーが待っていた。
「温まりましたか?」
「ええ、……とっても」
「…良かったです、では、宿屋へ行きましょう」
マルキーが小さく声をかけると、綾子は元気に頷いた。
――――――――――――――――――――
風呂に満足した綾子は、火照った頬を風にさらしながら歩く。
潮風が髪や衣服を優しく揺らす。
港町の喧騒も、今は心地よく耳に届く。
遠くで船の汽笛が鳴り、魚売りたちの元気な声が行き交う。
綾子はふと深呼吸をして、目を細めた。
(……うん、気持ちいい……)
マルキーは微笑みながら、そんな綾子の横を歩く。
港町の風景を眺めつつ、
今日の慌ただしい出来事を、少しだけ噛み締めるように進む二人。
――その時。
「よいしょーっ!」
威勢のいい掛け声と共に、軽快な車輪の音が通りを抜けていく。
綾子はそちらに視線を向けた。
二輪の車に人が乗り、
それを前の男が引いて走っている。
「……あれって、もしかして」
「人力車ですよ」
「やっぱり……」
聞き慣れた言葉に、綾子が目を瞬かせる。
「人が人を運ぶ乗り物で、大きな街なら大抵は走ってるそうです」
「へぇ……」
綾子は、通り過ぎていく人力車をしばらく目で追った。
(まさか、こんなとこにもあるんだ……)
「これも、英雄様が広めたものだと聞いています」
「……へぇぇ、やっぱり」
どこか納得したように、小さく頷く。
「色々なことを広めたんだね……その人」
「…そうですね。……人力車、乗ってみます?」
「ううん。…いいわ。」
「靴を買う前だったら、乗ってたかもだけど」
また不思議そうな顔をするマルキー。
「宿まではもう少し掛かりますよ」
「……そう。…でも歩きたいの」
私は、
風呂上がりの余韻と、新しい靴の感触を確かめながら、
ゆっくりと宿までの道を歩いた。
――――
「着きましたよ、こちらがお世話になる宿屋です」
マルキーが案内する扉をくぐると、思ったよりもこじんまりした宿屋だった。
木の床も清潔で、優しく香る薪の匂いが居心地の良さを感じさせる。
「……思ったより、悪くないわね」
綾子は小さく感心しながら、荷物を抱えたまま中を見回す。
「そうですね、…ですが、お嬢、
部屋の料金は、良心的ですよ。贅沢はできませんから」
マルキーの口ぶりには、少し気を遣う節もある。
その時、背後のテーブル席に、ディルがさりげなく座っているのに気付く。
誰にも声をかけず、静かに二人を見守る姿は、
商人としての余裕と威厳を漂わせている。
「この宿は、当店の取引先専用でもあります。
何か困ったことがあれば、私に申し付けください」
ディルの短い言葉に、マルキーはやや気まずそうに頭を下げる。
綾子は、その静かな雰囲気に少し身を引き締める。
綾子はディルに深々とお辞儀をした。
「まずは部屋を確かめて、荷物を置きましょう」
マルキーが声をかけると、綾子は頷き、宿屋の奥へと進んだ。
「お嬢は聞きたいこともあるでしょうから、
夕食は遅めが良いですね、…頼んできます」
部屋に入った綾子がぐるっと見回す。
(簡素だけど、いいお部屋……)
――――
マルキーが部屋に来る。
「俺の部屋は隣です、何かあれば駆け付けますよ」
「ありがとう。マルさん」
綾子はベッドに腰を下ろし、マルキーに椅子をすすめた。
「では、お話を聞きましょうか」
二人は合わせたかのように唾を飲み込んだ。
「…あの、英雄様のお話なんだけど…」
「…はい」
「いつ頃の話なの?」
「はっきりとは知りませんが、250年以上前に居たと伝えられてます」
「名前は?…なんて人?」
「名前は伝えられていません。…名乗らなかったとしか…」
「その人はどんなことをしたの?」
マルキーは少し言葉を選ぶように、間を置いた。
「……英雄様は、盗賊退治で名を上げたと聞きます」
「盗賊退治?」
「はい。街道に巣くう山賊や盗賊を、徹底的に討ったそうです」
マルキーは小さく苦笑する。
「……徹底的に、です。
情けは掛けなかったとも伝えられてます」
「逃げた者でも、悪事を働いた者なら、決して見逃さなかったと……」
綾子は思わず息を飲む。
「それだけではありません。
諸侯や貴族……時には王族であっても、民を苦しめる者は同様に……」
「……王族まで?」
「ええ。悪人と見れば、立場など関係なかったそうです。
……尽く、裁かれたと伝えられています。
生きて逃げ延びた者は、ほとんど居なかったとも」
マルキーは肩をすくめる。
「ですから……英雄様を恐れる人も、少なくないんです」
少し間を置いて。
「……ですが、それでも争いは止まらなかったそうです」
綾子は首を傾げる。
「争い?」
「ええ……種族の問題です」
マルキーは少し声を落とした。
「人間は、他の種族と子を成せるでしょう?」
「……え?」
綾子は思わず聞き返す。
「それができるのは人間だけなんです。
エルフと魔族では子を成せませんから」
「そ、そうなんだ……」
「エルフも魔族も、それを良く思っていません。
血が混ざる、と言って嫌う者も多いんです」
綾子は言葉を失った。
「それで人間を、"血を汚す者たち"と呼ぶ者も居ました。
今でもそう思う者は居ると思います」
マルキーは一度、言葉を切る。
「そして西の魔族は、魔物を率いて攻め込んできたそうです。
獣人やダークエルフも、それに加わったと……」
「……そこへ東のエルフ国も参戦したと聞きます。
人間を滅ぼす好機だと考えた者も居たのでしょう」
マルキーは一息つき、続ける。
「そのどちらも、英雄様たちと白銀様が止めたと伝えられてます」
綾子は思わず黙り込んだ。
「ただ……その……やり方が、かなり強引だったそうで……」
マルキーは言葉を選ぶように続ける。
「英雄様は地方によって呼び方が変わりまして……」
「土地が変われば、悪魔だの、破壊者だのと言う人も居ます」
(……悪魔?……破壊者?)
「ですが……その英雄様が、らーめんなどの食べ物を広めたと伝えられてます」
「俺が知ってるのは、これぐらいです……」
(間違いない、過去にこの世界にきた人が居るんだ…日本人が……)
衝撃的な話に、綾子はそれ以上聞けなかった。
その後、二人は宿屋の夕食を取り、
どこか落ち着かないまま、静かな時間を過ごした。
綾子はベッドに入り、
今日の出来事や英雄様の話、これからのことをあれこれ考えた。
(……ラーメン……日本人……どうしてこんなことが……)
(…悪魔…破壊者。白銀様は、私に何を望んでるのかしら……)
ふと、剣を見つめながら考える。
(白銀様は人助けを望んでいた……)
窓の外では、港町の波音と遠くの船の汽笛がかすかに聞こえ、
夜の静けさが綾子を包む。
(剣か……)
穏やかな夜の中、
なかなか寝付けなかった綾子も、いつしか眠りに落ちていた。
第十二章③ 終わり




