第十二章② 港町の午後とお買い物
オルベイン商会を出た二人。
綾子は、ディルが笑った理由を、どうしても聞きたかった。
「えっ!?……商人が銀行も兼ねてるの?」
「そうです。…ここではそれが普通です」
マルキーは言葉を選び、慎重に答えた。
「でも、あの時のお嬢は…面白かったですよ」
「ひどーい、…それは、さぞ面白かったでしょうね」
綾子が口を尖らせる。
話を変えようとするマルキーが提案する。
「……では服を買いに行きましょうか」
マルキーの案内で、衣服店に向かう。
――――
店は庶民向けの小さな店で、
入るとすぐにマルキーは店員に金貨入りの袋を見せる。
「店員が良さそうな物を用意してくれますよ」
その言葉をよそに、綾子は店内を興味深げに見回す。
しばらくすると、
店員が持ってきた衣服は、見た目は平凡な庶民風だった。
綾子は少し残念そうに袖を通すが、
生地の厚みや着心地には満足している様子だ。
「…これにするわ。色違いでもう一着と…」
「あと、下着も何着か下さい」
服を気に入った綾子は、その上から帯剣する。
剣を見つめ、ふとドラゴンの言葉を思い返す。
言葉に出来ない思いを胸に、ぎこちなく腰に剣を帯びた。
マルキーも自分用の上質な衣服に着替え、街を歩く準備を整えた。
――――
店を出て、足取りが軽いマルキーが綾子に尋ねる。
「次は、どうされますか?」
「あのね、靴屋さんに行きたい」
「その靴じゃダメなんですか?」
「うん。…お願い」
「…この靴、街に入ってからちょっと足が痛くて」
石畳を踏むたびに、足の裏にじんわりとした痛みが広がる。
森や街道では気にならなかったそれが、
街に入ってから存在を主張し始めていた。
マルキーが、不思議そうな顔で綾子を見る。
「……分かりました。
…でもお嬢が気にいる靴があるかどうかは…分かりませんよ」
「そうなんだ……。でも、今よりはマシな靴があるんでしょ?」
「それは…ええ…。勿論です」
どこか歯切れの悪い返事だった。
――――
通りを少し外れた先に、革の匂いが漂う店があった。
軒先には、大小さまざまな靴が並べられている。
どれも似たような形で、見慣れないものばかりだ。
「ここなら、ある程度は揃っています」
「…うん」
綾子は店先の靴を見つめながら、少しだけ不安になる。
(……どれも、同じに見えるんだけど)
店の中に入ると、棚には革靴がずらりと並んでいた。
底の薄いもの、足首まで覆うもの、
そして、ひときわ値札の高い靴が目に入る。
「お嬢、まずはこの辺りを試してみましょう」
マルキーが、慣れた手つきで一足を手に取った。
「これは?」
「一般的な靴です。軽くて歩きやすいですよ」
「……それ、今履いてるのと同じじゃない?」
「ええ、そうですね」
即答だった。
綾子は、じっと靴を見つめる。
(ダメだ、話が通じてない……)
「では、こちらを」
マルキーが次に手に取ったのは、
足首までしっかり覆う革のブーツだった。
「これなら、底も厚くて丈夫です」
「お、ちょっと良さそう」
綾子は受け取って履いてみる。
――が。
「……か、硬っ……」
思わず声が漏れた。
足首も甲も、まるで板を巻きつけられているような感覚だ。
少し足を動かすだけで、革がぎしりと音を立てる。
「最初はそんなものですよ。すぐに馴染みます」
「…えぇ? ……これ馴染む前に足が死ぬよ……」
なんとか立ち上がり、数歩歩いてみる。
こつ、こつ、と乾いた音。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「これ……滑らない?」
石床の上で、わずかに足が流れる。
底を見れば、つるりとした革のままだった。
「ええ、その方が歩きやすいですよ」
「いやいやいや、怖い怖い!」
「絶対雨の日とか転ぶでしょこれ!」
「……?」
またもや、話が噛み合わない。
綾子はブーツを脱ぎ、そっと元の位置に戻した。
「……他、ない?」
「そうですね……」
マルキーが少し考え、店の奥に視線を向ける。
「あちらに、少し変わった靴があります」
視線の先には、他よりも明らかに値札の高い一角。
並んでいる靴の底には、ざらついた素材が貼られていた。
「これは?」
「鮫の魔物の皮を加工したものですかね。…これなら滑りにくいかと」
「……お値段は?」
「……それなりに」
少しだけ間があった。
綾子は一足を手に取り、恐る恐る履いてみる。
足を下ろす。
石床を踏む。
――ぴたり、と止まる。
「……あ」
思わず、小さく声が漏れた。
「滑らない……」
「ええ」
「それに、さっきより全然マシ……」
完全に柔らかいわけではない。
けれど、足裏への負担は明らかに違っていた。
綾子は、少しだけ考えてから顔を上げる。
「……これにする」
「分かりました」
「……高そうだけど」
「高いですね」
「…でも足に優しいから」
綾子がそう言うと、
マルキーは、わずかに苦い顔をしながら、店主に代金を支払った。
綾子は、その様子を少しだけ気にしながらも、
新しい靴の感触を確かめるように、足を軽く動かした。
先ほどまでの不快な痛みは、幾分か和らいだ。
(……日本の靴とは全然違うけど、これなら大丈夫かな)
――――
足取りが軽くなった綾子を見たマルキーが尋ねる。
「…武器とか防具、……見に行きますか?」
綾子は手にした袋をぎゅっと抱きしめ、小声で返す。
「ううん、…それは……もう少し考えたいの」
少しの間の後、マルキーはゆっくり頷いた。
「では、ご飯でも食べに行きましょう。
お嬢は、何が食べたい物、あります?」
マルキーの声に、綾子は安心した笑顔で頷いた。
「お任せするわ、私、…なんにも知らないし!」
顔を引きつらせたマルキーと、したり顔の綾子は、
飲食店へ向かった。
――――――――――――――――――――
店に近付くと、魚介の香ばしい匂いと人だかりが目に入る。
「……すごい匂いね……」
綾子は少し鼻をしかめながらも、目をきらきらさせて周囲を見渡す。
「大丈夫ですよ、慣れます」
マルキーが微笑む。彼の落ち着いた声に、綾子は少し安心した。
店内に入ると、店員がメニューを持ってくる。
羊皮紙に手書きの文字が並び、見慣れない料理名がいくつも書かれていた。
「えっと……これは魚のスープですか?」
綾子が指差すと、店員はにっこり頷き、身振りで大きさや調理法を示す。
「では……おすすめをください」
綾子は緊張しながらも小さく声を出す。
ほかに数点の品を注文し、二人は食事が来るのを楽しみに待つ。
そして、目の前に魚介がたっぷり入った黄金色に輝くスープが置かれた。
「……わぁ……」
嬉しそうな顔をする綾子。香りも鮮やかで、見た目だけで胸が高鳴る。
「おいしい……」
口に運ぶと、潮の香りと僅かな酸味、濃厚な旨味がふわっと広がった。
思わず目を閉じる綾子を、マルキーはにこりと見守る。
「……気に入りましたか?」
「うん……とっても……!」
少しずつ緊張がほぐれ、綾子の笑顔が店内に溶け込む。
外の港町の喧騒も、今は遠く感じられた。
食べながら、マルキーがカラムの食文化を語った。
「カラムと言えば、やはり海の幸ですね。
他にも魚介を使った様々な料理がありますよ」
目を輝かせて話を聞く綾子。
「煮たり焼いたり、蒸したりは当然ですが、保存が効く干物や、
俺は食べませんが、”さしみ”と言って、生でも食べます」
「しかも、その”さしみ”を飯の上に乗せた”すし”ってのもあります」
「他には、"ぴざ"とか"ぱすた"、
あとは、"ちゃーはん"とか"らーめん"もあります」
「えっ!?……は?…刺し身?…寿司?……ラーメン!?」
聞き慣れた言葉に驚きを隠せない綾子。
「はい、なんでも、昔居た英雄様が広めたそうです」
綾子の手が止まる。
「他にも、"そば"だの"うどん"だのもありますよ」
(えっ……、それって……日本人……)
「ラーメンは…」
「…いえ、その英雄様は、…どうなったの?…いつ頃居たの?」
「お嬢、その話の続きは宿屋でしましょう」
マルキーが目を丸くする綾子を諫める。
「今は美味しいスープを楽しみましょう。
らーめんはいつでも食べられます」
「そ…そうね……」
綾子は冷めぬ興奮を抑え、魚介スープを最後まで楽しんだ。
二人は、食事の余韻を残しながら店を後にする。
――――――――――――――――――――
店を出てからの綾子の心は、一つのことでいっぱいだった。
(……ラーメン、……ラーメンがある……)
「ねぇ、ヘアゴムとヘアピンが欲しいんだけど」
「…へあごむ…は、分かりませんが、ヘアピンなら装飾品店にありますよ」
「行きたい。……連れてって」
マルキーは仕方なさそうに笑い、綾子の手を取って店へ向かう。
―――
店の扉を開けると、木の棚に色とりどりの小物が並んでいた。
金属の光沢や、柔らかな布の風合いを活かした装飾品が、所狭しと並んでいる。
「わぁ……すごい……」
綾子は目を輝かせ、棚を見回す。手を伸ばしたくて仕方ない様子だ。
「落ち着いて、まずは見て決めましょう」
マルキーがそっと諭す。
だが綾子の指は、あちこちのヘアピンや小さな飾りに伸びる。
「簪が多いわね……あれも可愛いし、これも素敵だけど」
(アメピンってないのかな……)
「お嬢、あれこれ触るのは……」
「だって、いいものが欲しいの!」
綾子はつい口走る。マルキーは小さくため息をついた。
(あれ?……ばねが弱いし、すごく大きいのね……)
扱い慣れた日本の物と違い、とても大きく挟む力も弱かった。
(……ヘアゴムもないわ、紐かリボンしか置いてない)
少し歩き回った後、綾子は手にいくつものヘアピンと紐、リボンを握った。
「これ全部欲しい」
真剣な顔に、マルキーも思わず困惑する。
「お嬢も女の子ですねぇ、こんなに沢山……」
マルキーが呆れ顔で頷く。
「…う、うるさい!…必要なの!」
何度も頷きながらマルキーが清算を済ませ、二人は店を出た。
綾子は小さな袋をぎゅっと抱えながら、心の中でそっとつぶやく。
(……これでラーメンの準備は出来た……)
マルキーは気付かないふりをして、街の賑わいの中を歩く。
第十二章② 終わり




