第71話 禁書庫
禁書庫の扉は、重かった。
鉄で補強された木の扉。錠が三つ。しかし、鍵はどこにもなかった。アリアが持ち去ったのか、あるいは別の場所にあるのか。
「壊すか」
セシリアが言った。
「そうしましょう。無理に解錠しようとしたら、毒針が飛び出す罠があるかもしれませんし」
大陸一の宗教施設にある禁書庫の鍵である。
どんな罠があるかわかったものではない。安全を考えれば、遠距離からギフトで壊すのが一番である。
セシリアの作り出した氷の矢が、鍵を射抜いた。
「ちょっと待ってください」
ジョセフは念のためフロギストンを生成し、禁書庫の中に流し込む。
これで仮に中に刺客が隠れていたとしても、窒息させて排除できる。
およそ10分ほど待って、中に入いることにした。
「間違って火をつけてくれるなよ」
セシリアが言った。
「そこは任せてください」
ジョセフは扉を押し開けた。
―――
禁書庫の中は、薄暗かった。
フロギストンを除去してから燭台に火を灯すと、ぼんやりと輪郭が浮かび上がった。
棚が並んでいた。壁際から中央まで、何列もの棚が立っている。書物。巻物。羊皮紙の束。長い年月を経た紙の匂いがした。埃の匂いも混じっている。
セシリアは棚を見上げた。
「これだけの量か」
「全部は読めませんね」
ジョセフは棚を歩きながら、背表紙を確認していった。ラドン教の出来たころに使われていた言語で書かれたものがほとんどだ。
奥まった棚の、一番下の段。
ジョセフの手が止まった。
他の書物と違う違和感。何が、と言われるとわからないが、兎に角強い違和感があった。
気になって取り出すと、文字が違った。
小さな冊子だった。表紙に文字が書いてある。
ジョセフはその文字を見た。
日本語だった。
(日記って漢字で書いてある)
ジョセフは息を止めた。
間違いない。これは日本語だ。平仮名と漢字が混じっている。くずし字ではあるが、新字体で書いてあるため読めた。
「どうした」
セシリアが隣に来た。
「何か見つけたか。なんだ、見たことない文字だな」
「ちょっと待ってください。読んでみます」
「読めるのか?」
「わかりません。しかし、目を通してみる価値はあるかと」
ジョセフは冊子を開いた。
―――
冊子は、本当に日記だった。
最初のページに日付があった。この世界の暦ではなかった。しかし、書かれている内容から、相当昔のことだとわかった。
書き出しはこうだった。
『見知らぬ土地に転移してから、三年が過ぎた。言葉はようやく覚えた。この世界に、日本語を読める者はいない。だから、正直に書く』
ジョセフは読み続けた。
書き手は、この世界に転移した人間だった。名前は書いていなかった。出身地も、元の時代も書いていなかった。ただ、突然この世界に来て、何もわからないまま生き延びた、と書いてあった。
『この世界には、リシア教という信仰がある。多くの神を持つ、穏やかな宗教だ。その中にウランという神がいる。創造の神、あるいは根源の神とされている。しかし、リシア教の神々の中では、それほど重要視されていない。一柱に過ぎない』
ジョセフは次のページをめくった。
『私には、何もない。財産もない。血筋もない。しかし、頭はある。歴史を知っている。人間がどのように支配され、どのように動かされるかを、私は元の世界で学んだ。それを使う』
さらに読む。
『一神教を作る。ウランを唯一神とする宗教だ。多神教は緩い。信者の結束が弱い。しかし、唯一神を持つ宗教は違う。神への絶対的な帰依が、強い結束を生む。そして、その神の代理人となれば、絶対的な権威を持てる』
ジョセフは少し手を止めた。
ラドン教が計算されて作り出された話だった。信仰ではなく、支配のための設計だった。
その事実に興奮し、食い入るように読み続けた。
『まず、心の弱った貴族に近づいた。病の妻を持つ者。後継ぎに恵まれない者。戦で傷ついた者。彼らにウランの言葉を伝えた。私の作った言葉だが、それは言わなかった。神の言葉として語った。効果は覿面だった。人は、救いを求めている』
『勢力が大きくなるにつれ、リシア教との摩擦が生まれた。しかし、私には計算があった。人至上主義を唱えた。亜人は人より劣る。人間こそが神に選ばれた存在だ、と。支配層はこの思想を喜んだ。自分たちの支配を正当化する言葉だからだ。支配層を取り込めば、リシア教への弾圧も可能になる』
ジョセフは深呼吸した。
『リシア教の書物からウランの名前を消した。ウランはリシア教の神ではない。ウランは唯一神だ。そう書き換えた。反発した者は排除した。残った書物を禁書とした。真実を知る者が減れば、やがて誰も疑わなくなる』
最後のページ。
『私が作ったものが、私の手を離れていく。もはや、私が動かさなくても、組織が動く。私が死んでも、ラドン教は続く。それでいい。私はただ、生き延びたかっただけだ。そのために、少し大きなものを作りすぎた』
日記は、そこで終わっていた。
―――
「……読めたか」
セシリアがジョセフを見ていた。いつの間にか、横に立っていた。
「読めました」
ジョセフは冊子を閉じた。
「ラドン教の創始者は、神の言葉を聞いたといい預言者ではなく、単なる詐欺師です」
セシリアは少し目を細めた。
「詐欺師?」
「別の世界から来た人間です。この世界とは違う場所で生まれて、気づいたらここにいた。そうして、支配のためにラドン教を作った」
「本当なら――」
セシリアはそこで一旦言葉を止めた。
「お前はどうしてその文字が読める」
ジョセフは少し間を置いた。
想定していた質問だった。
「フロギストンが教えてくれました」
セシリアはジョセフを見た。
「フロギストンが?」
「この世界には存在しない物質のギフトですから。ひょっとしたら、ラドン教の創始者と同じ世界から来たのかもしれません」
ジョセフは笑った。うまい誤魔化しとは言えなかった。
セシリアはしばらくジョセフを見ていた。
嘘だ、とセシリアは思った。
しかし、言わなかった。ジョセフに秘密があることは、とっくにわかっていた。それがなんであるか気になるところであったが、それを聞いてしまえば、今の関係が終わるような気がしていた。
言えないなら、言えないでいい。
セシリアはそう思った。ジョセフが隠したいなら、隠したままでいい。そのうち、話してくれる時が来るかもしれない。来ないかもしれない。それでも構わない。
「わかった」
セシリアは言った。
「それより、この内容をどうする」
ジョセフは冊子を手の中で回した。
「公表はまずいと思います」
「なぜ」
「ラドン教の信者は今も大勢います。彼らの信仰の根拠が、一人の人間の作り話だったとわかれば、どうなるか。怒りが向かう先が、どこになるか。今は混乱を増やすべきではないかと」
セシリアは少し考えた。
「……確かに。今は帝国の安定が優先だ。これが世に出れば、帝国の宗教政策にも影響する。ベネディクト・ハイルとの関係にも」
「時期を見て、ということでいいと思います。使い道はある。ただ、今ではない」
セシリアはジョセフを見た。
「お前と私だけが知る、ということにする」
「はい」
「約束だ」
「約束します」
ジョセフは冊子を元の棚に戻した。
二人は禁書庫を出た。
廊下に出ると、松明の光が壁を照らしていた。ラドン教の神話の絵。光の中に立つ人影。炎を従える神の姿。
ジョセフはその絵を見た。
(第三の火となるウラン。同じ名前の神の秘密を暴くのが、偽物とされた燃素、フロギストンだとは何とも皮肉だねえ)
そう、フロギストンに話しかけた。




