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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第69話 焼き入れ

 最初に動いたのは、セシリアだった。

 右手を前に突き出す。空気が凍る。氷が集まって、鋭い槍の形を作る。それがセラフィナに向かって飛んだ。


 セラフィナは躱さなかった。

 氷の槍がセラフィナの胸に当たった。高い音がした。金属に何かがぶつかる音だった。槍が砕けた。破片が散った。セラフィナは一歩も動かなかった。


「……っ」


 セシリアの表情が変わった。

 セラフィナは砕けた氷の破片を見下ろした。


「神の贈り物は、そう簡単には破れぬ」


 そのまま、前に出た。

 踏み込む速度が速かった。鋼の体が重いはずなのに、それを感じさせない。剣を抜かない。拳のまま、セシリアに向かう。


 セシリアは咄嗟に氷の壁を作った。厚さ一尺ほどの、透明な壁だ。

 セラフィナの拳が、壁に叩きつけられた。

 壁が砕けた。粉雪のように飛び散った。


 セシリアが後退する。そこにセラフィナが迫る。


「セシリア殿下」


 ジョセフが前に出た。

 手のひらから炎を放った。セラフィナの顔に向けて。直接ではなく、周囲に炎を広げた。周囲を炎で満たす。フロギストンを追加して、さらに炎を大きくした。


 セラフィナの足が止まった。

 しかし、倒れなかった。


「先ほどの話を聞いていなかったのか?私は大火災を生き残ったのだぞ」


 呆れたような言葉だった。


(燃やすつもりではなく、窒息狙いだったんだけどな。窒息させられないのか)


 ジョセフは舌を巻いた。フロギストンで酸素を押しのければ、呼吸ができなくなるはずだった。しかし、セラフィナは普通に動いている。皮膚が硬化しているだけでなく、呼吸の仕組みまで変わっているのかと舌打ちした。


「流石は神の贈り物、ですね」


 ジョセフは言った。軽い口調だった。しかし、内心は違った。


(全く余裕がない)


 セラフィナはジョセフを見た。


「凡下の懺悔の時間だ」


 一歩、前に出た。


「貴様の炎は確かに強い。しかし、私の皮膚には届かぬ。焼くには時間がかかりすぎる。その間に、私がお前を潰す」


 ジョセフとセシリアは後退しながら、距離を保った。セラフィナが追う。氷の壁を作るたびに、拳で砕かれる。炎を放つたびに、意に介さず前進してくる。


 防戦一方だった。

 セラフィナが笑った。


「どうした。二人がかりでこれか。氷と炎、二つのギフト持ちがかかってきても、これが限界か」


 ジョセフは後退しながら、セラフィナを見ていた。


「神の寵愛を受けた私には、人の力など届かぬ。それがわからぬようだな」


 セラフィナの声に、笑いが混じっていた。確信の笑いだった。自分に与えられた神の愛、ギフトは他のギフトを凌駕するという、揺るぎない確信。


 その言葉を聞きながら、ジョセフは考えていた。


(鋼か)


 セラフィナの皮膚は鋼だ。炎を当て続ければいつかは溶けるかもしれない。しかし、その前に殺される。

 では、別の方法で鋼を壊すとしたら。


(焼き入れ)


 ジョセフの頭の中で、記憶が繋がった。

 鋼を高温に熱して、急冷する。すると鋼は硬くなる。しかし、同時に脆くもなる。もろくなった鋼は、衝撃で割れる。


 セラフィナの皮膚を、一度熱して。急冷すれば。


(できるか)


 加熱はできる。フロギストンを集中させれば、局所的に温度を上げられる。

 急冷はセシリアのギフトがあれば可能だ。


「セシリア殿下」


 ジョセフは後退しながら、小声で言った。


「合図したタイミングで、セラフィナを氷で閉じ込めてほしいんです。できますか」


 セシリアは一瞬だけジョセフを見た。


「氷で閉じ込める、とは?」

「体ごと、氷の中に。急速に冷やす感じで」


 セシリアは少し間を置いた。


「わかった。やってみる」


 理由は聞かなかった。ジョセフに賭けると、そう決めた。



―――



 ジョセフは炎を放つふりをしながら、フロギストンを操った。

 狙いは炎ではなく、熱だ。フロギストンを広げて、セラフィナの体表に触れさせる。炎のヴェールのようであった。それが、セラフィナの橙色の髪の毛によく似合う。


 セラフィナはジョセフの狙いに気づいていなかった。炎などきかぬと馬鹿にして、前進し続ける。

 温度が上がっていく。

 一度目の合図。


「今です」


 セシリアが動いた。


 足元から冷気が噴き出す。セラフィナの足元の草が一瞬で白くなる。冷気がセラフィナの体を包むと炎が消えた。そして氷が表面を覆い始める。

 セラフィナは驚いた顔をした。しかし、氷を砕こうとした瞬間、氷が溶けた。セラフィナの体温が氷を溶かした。


「これだけか」


 セラフィナは言った。

 ジョセフはもう一度、炎のヴェールでセラフィナを着飾る。


「今」


 再び、急冷。

 セラフィナがまた氷を砕く。しかし、今度は砕く前に一瞬だけ、皮膚の表面に細かい亀裂が走るのが見えた気がした。


(いける)


 ジョセフは確信した。

 もう一度。今度は最大限に。

 フロギストンを、セラフィナの体表に集中させた。セラフィナの鋼の皮膚が、じわじわと赤みを帯びていく。気づいていない。気づいてくれるなと祈る。


(神の使徒と戦うのに、神に祈るってのも変だよな)


 ジョセフの心に余裕が生まれていた。

 そんなジョセフの変化にセラフィナは気づかない。

 セラフィナが拳を振り上げた。ジョセフに向かって。


「今」


 セシリアの冷気が、セラフィナを包んだ。

 冷気が一瞬でセラフィナの全身を覆った。表面が白くなる。氷が張る。急速な冷却。赤みを帯びていた鋼の皮膚が、一瞬で冷やされる。

 音がした。

 細かい亀裂の音だった。鋼が収縮する音だった。



―――



「終わりです」


 ジョセフは言った。

 セシリアはジョセフを見た。


「氷の槍を、もう一度」

「……しかし、さっきは」

「今度は違います。やってみてください」


 セシリアは少し迷った。さっき槍は砕けた。同じことをしても意味がない。

 しかし、ジョセフの目を見た。

 やると言っている目だった。


 セシリアは手を上げた。氷が集まる。槍の形を作る。

 セラフィナは氷の槍を見た。


「また同じことをするのか」


 躱さなかった。さっきと同じように、正面から受けた。

 氷の槍が、セラフィナの腹に当たった。

 今度は、砕けなかった。

 槍が、皮膚を貫いた。

 亀裂が走った。鋼の皮膚が、槍の通った跡から割れていく。音がした。金属が割れる音だった。槍は腹を貫いて、背中へと突き抜けた。


 セラフィナは、動かなかった。

 信じられないものを見たというように、目を開いたまま、下を見た。腹から突き出た氷の槍を見た。

 赤い、真っ赤な血が槍を伝わって地面に落ちる。


 膝をついた。

 ジョセフは近づかなかった。セシリアも動かなかった。


「……神の」


 セラフィナは言った。声が、かすれていた。


「神の、加護が」


 ジョセフは何も言わなかった。


「なぜ」


 セラフィナの目が、ジョセフを見た。


「なぜ、神の贈り物が」


 ジョセフは答えなかった。

 答えられなかった。


「私は、神に選ばれたのでは」


 セラフィナの声が、小さくなった。


「選ばれたから、生き残ったのでは。家族が死んで、私だけが生き残ったのは」


 声が途切れた。

 セラフィナは、ゆっくりと横に倒れた。

 鋼の皮膚が、ゆっくりと元の色に戻っていった。亀裂の入った皮膚が。橙色の髪が、草の上に広がった。


 ドームの中が、静かだった。

 セシリアは目を伏せた。

 ジョセフは空を見た。氷のドームの向こうに、青い空が見えた。歪んで見えたが、空は空だった。


「……行きましょう」


 ジョセフは言った。


「いや、疲れた」

「ええ」

「ちょっとだけ、胸を貸してくれ」


 セシリアはそういうと、自分の頭をジョセフの胸にあてる。

 協力して死を乗り越えたことで、セシリアの気持ちは大きく動こうとしていた。


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