第69話 焼き入れ
最初に動いたのは、セシリアだった。
右手を前に突き出す。空気が凍る。氷が集まって、鋭い槍の形を作る。それがセラフィナに向かって飛んだ。
セラフィナは躱さなかった。
氷の槍がセラフィナの胸に当たった。高い音がした。金属に何かがぶつかる音だった。槍が砕けた。破片が散った。セラフィナは一歩も動かなかった。
「……っ」
セシリアの表情が変わった。
セラフィナは砕けた氷の破片を見下ろした。
「神の贈り物は、そう簡単には破れぬ」
そのまま、前に出た。
踏み込む速度が速かった。鋼の体が重いはずなのに、それを感じさせない。剣を抜かない。拳のまま、セシリアに向かう。
セシリアは咄嗟に氷の壁を作った。厚さ一尺ほどの、透明な壁だ。
セラフィナの拳が、壁に叩きつけられた。
壁が砕けた。粉雪のように飛び散った。
セシリアが後退する。そこにセラフィナが迫る。
「セシリア殿下」
ジョセフが前に出た。
手のひらから炎を放った。セラフィナの顔に向けて。直接ではなく、周囲に炎を広げた。周囲を炎で満たす。フロギストンを追加して、さらに炎を大きくした。
セラフィナの足が止まった。
しかし、倒れなかった。
「先ほどの話を聞いていなかったのか?私は大火災を生き残ったのだぞ」
呆れたような言葉だった。
(燃やすつもりではなく、窒息狙いだったんだけどな。窒息させられないのか)
ジョセフは舌を巻いた。フロギストンで酸素を押しのければ、呼吸ができなくなるはずだった。しかし、セラフィナは普通に動いている。皮膚が硬化しているだけでなく、呼吸の仕組みまで変わっているのかと舌打ちした。
「流石は神の贈り物、ですね」
ジョセフは言った。軽い口調だった。しかし、内心は違った。
(全く余裕がない)
セラフィナはジョセフを見た。
「凡下の懺悔の時間だ」
一歩、前に出た。
「貴様の炎は確かに強い。しかし、私の皮膚には届かぬ。焼くには時間がかかりすぎる。その間に、私がお前を潰す」
ジョセフとセシリアは後退しながら、距離を保った。セラフィナが追う。氷の壁を作るたびに、拳で砕かれる。炎を放つたびに、意に介さず前進してくる。
防戦一方だった。
セラフィナが笑った。
「どうした。二人がかりでこれか。氷と炎、二つのギフト持ちがかかってきても、これが限界か」
ジョセフは後退しながら、セラフィナを見ていた。
「神の寵愛を受けた私には、人の力など届かぬ。それがわからぬようだな」
セラフィナの声に、笑いが混じっていた。確信の笑いだった。自分に与えられた神の愛、ギフトは他のギフトを凌駕するという、揺るぎない確信。
その言葉を聞きながら、ジョセフは考えていた。
(鋼か)
セラフィナの皮膚は鋼だ。炎を当て続ければいつかは溶けるかもしれない。しかし、その前に殺される。
では、別の方法で鋼を壊すとしたら。
(焼き入れ)
ジョセフの頭の中で、記憶が繋がった。
鋼を高温に熱して、急冷する。すると鋼は硬くなる。しかし、同時に脆くもなる。もろくなった鋼は、衝撃で割れる。
セラフィナの皮膚を、一度熱して。急冷すれば。
(できるか)
加熱はできる。フロギストンを集中させれば、局所的に温度を上げられる。
急冷はセシリアのギフトがあれば可能だ。
「セシリア殿下」
ジョセフは後退しながら、小声で言った。
「合図したタイミングで、セラフィナを氷で閉じ込めてほしいんです。できますか」
セシリアは一瞬だけジョセフを見た。
「氷で閉じ込める、とは?」
「体ごと、氷の中に。急速に冷やす感じで」
セシリアは少し間を置いた。
「わかった。やってみる」
理由は聞かなかった。ジョセフに賭けると、そう決めた。
―――
ジョセフは炎を放つふりをしながら、フロギストンを操った。
狙いは炎ではなく、熱だ。フロギストンを広げて、セラフィナの体表に触れさせる。炎のヴェールのようであった。それが、セラフィナの橙色の髪の毛によく似合う。
セラフィナはジョセフの狙いに気づいていなかった。炎などきかぬと馬鹿にして、前進し続ける。
温度が上がっていく。
一度目の合図。
「今です」
セシリアが動いた。
足元から冷気が噴き出す。セラフィナの足元の草が一瞬で白くなる。冷気がセラフィナの体を包むと炎が消えた。そして氷が表面を覆い始める。
セラフィナは驚いた顔をした。しかし、氷を砕こうとした瞬間、氷が溶けた。セラフィナの体温が氷を溶かした。
「これだけか」
セラフィナは言った。
ジョセフはもう一度、炎のヴェールでセラフィナを着飾る。
「今」
再び、急冷。
セラフィナがまた氷を砕く。しかし、今度は砕く前に一瞬だけ、皮膚の表面に細かい亀裂が走るのが見えた気がした。
(いける)
ジョセフは確信した。
もう一度。今度は最大限に。
フロギストンを、セラフィナの体表に集中させた。セラフィナの鋼の皮膚が、じわじわと赤みを帯びていく。気づいていない。気づいてくれるなと祈る。
(神の使徒と戦うのに、神に祈るってのも変だよな)
ジョセフの心に余裕が生まれていた。
そんなジョセフの変化にセラフィナは気づかない。
セラフィナが拳を振り上げた。ジョセフに向かって。
「今」
セシリアの冷気が、セラフィナを包んだ。
冷気が一瞬でセラフィナの全身を覆った。表面が白くなる。氷が張る。急速な冷却。赤みを帯びていた鋼の皮膚が、一瞬で冷やされる。
音がした。
細かい亀裂の音だった。鋼が収縮する音だった。
―――
「終わりです」
ジョセフは言った。
セシリアはジョセフを見た。
「氷の槍を、もう一度」
「……しかし、さっきは」
「今度は違います。やってみてください」
セシリアは少し迷った。さっき槍は砕けた。同じことをしても意味がない。
しかし、ジョセフの目を見た。
やると言っている目だった。
セシリアは手を上げた。氷が集まる。槍の形を作る。
セラフィナは氷の槍を見た。
「また同じことをするのか」
躱さなかった。さっきと同じように、正面から受けた。
氷の槍が、セラフィナの腹に当たった。
今度は、砕けなかった。
槍が、皮膚を貫いた。
亀裂が走った。鋼の皮膚が、槍の通った跡から割れていく。音がした。金属が割れる音だった。槍は腹を貫いて、背中へと突き抜けた。
セラフィナは、動かなかった。
信じられないものを見たというように、目を開いたまま、下を見た。腹から突き出た氷の槍を見た。
赤い、真っ赤な血が槍を伝わって地面に落ちる。
膝をついた。
ジョセフは近づかなかった。セシリアも動かなかった。
「……神の」
セラフィナは言った。声が、かすれていた。
「神の、加護が」
ジョセフは何も言わなかった。
「なぜ」
セラフィナの目が、ジョセフを見た。
「なぜ、神の贈り物が」
ジョセフは答えなかった。
答えられなかった。
「私は、神に選ばれたのでは」
セラフィナの声が、小さくなった。
「選ばれたから、生き残ったのでは。家族が死んで、私だけが生き残ったのは」
声が途切れた。
セラフィナは、ゆっくりと横に倒れた。
鋼の皮膚が、ゆっくりと元の色に戻っていった。亀裂の入った皮膚が。橙色の髪が、草の上に広がった。
ドームの中が、静かだった。
セシリアは目を伏せた。
ジョセフは空を見た。氷のドームの向こうに、青い空が見えた。歪んで見えたが、空は空だった。
「……行きましょう」
ジョセフは言った。
「いや、疲れた」
「ええ」
「ちょっとだけ、胸を貸してくれ」
セシリアはそういうと、自分の頭をジョセフの胸にあてる。
協力して死を乗り越えたことで、セシリアの気持ちは大きく動こうとしていた。




