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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第68話 聖鎧

 セラフィナが走り出した瞬間、セシリアは動いた。


「ハルム、全軍を下げろ」


 ハルムが眉を寄せた。


「殿下、しかし――」

「下げろ。私が全力を出せば味方を巻き込む」


 ハルムは一瞬だけ迷った。それから、大きく息を吸った。


「全軍、後退!殿下の命令だ!」


 帝国軍が動き始めた。騎兵が下がり、歩兵が下がり、後方の部隊が道を開ける。

 ジョセフだけが、その場に残った。

 セラフィナが馬を止めた。丘を下りたところで、馬から降りた。剣を抜かない。ただ、立っている。


 三人だけが、その場に残った。

 セシリアが右手を上げた。


 空気が変わった。


 足元から冷気が広がる。草が白く凍り始める。それが円を描くように広がって、やがて壁になった。透明な氷の壁が、三人を囲むように立ち上がる。高さは馬の背丈の三倍ほど。弧を描いて、頭上で閉じた。


 氷のドームが、完成した。


 外の音が遠くなった。帝国軍の動く音。風の音。それが、一枚の氷の膜を隔てて、別の世界のように聞こえた。


「ここなら誰も見ていない」


 セシリアはジョセフを見た。


「思う存分やれるであろう?」

「過分なお気遣い、感謝いたします」


 ジョセフは後方を見た。

 外は見えない。

 ならば、外からも見えないだろう。これならギフトを使っても大丈夫だなと判断した。


 一方、セラフィナは氷のドームを見上げた。それから、セシリアを見た。それから、ジョセフを見た。

 そして、目を閉じた。

 露出している肌が、変色し始めた。

 首筋から。手の甲から。鎧の隙間から見える肌が、灰色に、そして黒鉄色へと変わっていく。金属が皮膚に滲み出てくるような、奇妙な変化だった。鎧と皮膚の境界が曖昧になっていく。やがて、セラフィナの顔も同じ色に変わった。


 黒鉄色の騎士が、そこに立っていた。


「聖鎧のギフト」


 セラフィナは言った。声がわずかに変わった。金属の響きが混じるような、重い声になった。


「神が私に与えた鎧だ。炎も、刃も、通さない」


 ジョセフはセラフィナを見ていた。


(皮膚が鋼化している)


 鎧ではなく、皮膚そのものが金属になる。衝撃を吸収するのではなく、そもそも傷がつかない。あれが鋼だとしたら、炎で焼くにしても時間がかかる。


 厄介だ、とジョセフは思った。


「なぜ、このギフトを神が与えたか」


 セラフィナはジョセフを見ていた。


「私の過去を話そう」


 誰も止めなかった。



―――



 セラフィナが七つの頃、町が燃えた。

 夜中のことだった。最初に気づいたのは母だった。煙の匂いで目を覚まし、外の赤い光を見た。逃げろと叫びながら、子供たちを起こして回った。


 火はすぐに家を飲み込んだ。

 セラフィナは走った。後ろで、母の声が聞こえた。それから聞こえなくなった。

 炎が四方から迫ってくる。


 逃げ道がなかった。


 熱い――

 息ができない――


 足が動かなくなった。倒れた地面も熱かった。


 その瞬間だった。


 体の内から湧き出る違和感。


 次の瞬間、体の表面が変わった。


 熱さが遠くなった。皮膚が何かで覆われる感覚。金属のような、冷たい、しかし確かな感触。炎が触れても、痛くなかった。

 家の梁が燃えて落ちてくる。直撃すれば死ぬのは確実。


 しかし、燃え盛る梁は、セラフィナに当たると割れた。

 生きている不思議。


 セラフィナは火の中を歩いた。

 そうして、家の外に出た。


 振り返ると、家が燃えていた。家だけではなかった。町が燃えていた。

 母はいなかった。父もいなかった。兄もいなかった。

 昨日まで話をしていた人たちがいなかった。

 セラフィナは一人で、燃える町を見ていた。



―――



「その時、声が聞こえた気がした」


 セラフィナは続けた。


「お前を選んだ、という声だ。お前には使命がある、と。あれは神の声。天啓」


 ジョセフは黙って聞いていた。


「それから私は教団に保護された。ギフトのことを話すと、神の加護だと言われた。そして、騎士団に入った。剣を学んだ。教えを学んだ。神敵を討つ任務を受けた」


 セラフィナの声は、淡々としていた。


「最初の任務は、ラドン教の教えを広める者を迫害していた亜人の村だった。亜人たちは武器を持って抵抗した。しかし、私のギフトには刃が通らない。一人で、村を制圧した」


 ジョセフは何も言わなかった。

 ただ、この場にマルチたちが居なくてよかったと思った。


「次は、教皇庁の使節を殺した盗賊団だった。七人いた。全員を討った。その次は、異端の集会を開いていた集落だった」


 セラフィナは静かに言った。


「私は神の道具だ。神が示す先に進む。それだけだ。迷ったことはない」


 ドームの中が、静かだった。

 氷が外の音を遮断している。

 ジョセフはセラフィナを見た。黒鉄色の顔。揺るぎない目。


(この人は、本当に疑っていない)


 悪人の目ではなかった。むしろ、清廉だった。ただ、その清廉さが、多くの者を傷つけてきた。


「お前たちも、神敵だ」


 セラフィナは剣を抜いた。


「神罰を受けよ」


 セシリアがジョセフの横に立った。


「ここなら思う存分力を使えるだろう」


 静かな声だった。


「遠慮はいらない」


 セラフィナの目が動いた。セシリアからジョセフへ。


「そうですね。彼女の話を聞いていたら、やる気が出てきました」


 ジョセフは手のひらを開いた。フロギストンを生成する感覚。体の内側から、何かが湧き上がってくる。

 そして、火打石と火打金を取り出すと、それを打ち合わせて火花を作った。

 小さな炎が、手のひらの上に灯った。


 セラフィナは、その炎を見た。


「……ギフト持ちか」


 低い声で言った。


「凡下かと思ったが、どうやら違ったようだな」


 ジョセフは答えなかった。

 セラフィナの目が変わった。


「ここまで帝国が窮地になると、爆発や火災で敵を打ち破ったと聞いたが、それが貴様のせいだったようだな」


 そうだと言わんばかりに炎が、ジョセフの手のひらで揺れていた。

 それはまるで、フロギストンが自らの存在を知らしめたいと暴れているようであった。


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