第67話 聖域
進軍するセシリアの軍の最後尾に第77輸送部隊の面々はいた。
ダオはタンに話しかける。
「俺たち輸送が任務なんだよな」
「そうだ。でも、殿下の命令じゃ仕方がない」
と返す。
遠征で伸びた輸送線。他の部隊が物資を届けてくれるのを見ると、申し訳ない気持ちになっていた。
ノイがその会話に入ってくる。
「隊長がフェルセンブルクで上手くやったから、殿下に気に入られてこうなったのはわかるけど、他の部隊の視線が痛いよね」
輸送部隊なのに輸送しないことで、他の部隊から恨みをかっていた。
彼らはその視線に敏感になっていたのである。
「ま、なるようになるか。しかし、次の目的地は教皇領か。遠いよなあ」
ダオは愚痴ると、再び前を向いた。
―――
教皇領の国境を越えた時、空気が変わった気がした。
気のせいかもしれない。しかし、ジョセフはそう感じた。空が少し高い。風が少し冷たい。草の色が少し違う。
実際には何も変わっていないのだろう。国境に線が引いてあるわけではない。それどころか、国境に砦すらない。教皇領に攻め込む勢力などいなかったため、そうしたものは不必要だった。
ただ、ここから先は敵の本拠地だという意識が、景色を違って見せていた。
「隊長、顔色が優れませんよ」
マルチが肩を並べながら言った。
「そうか?」
「緊張してますか」
「してないよ」
ジョセフは前を見た。帝国軍の行軍が続いている。歩兵、騎兵、補給部隊。その中に第77輸送部隊も混じっていた。
教皇領への侵攻。
クリプトン帝政軍を退け、義勇兵を追い散らした。その勢いのまま、帝国軍は教皇領に踏み込んでいた。帝都からの命令だった。止まれば相手に立て直す時間を与える。攻勢の勢いを維持する。
理屈はわかる。しかし――
(気楽な輸送部隊だと思っていたが、気が付けばここまで来てしまったか……)
ジョセフは空を見た。雲が流れていた。
ギーレン将軍撃退、アルゴン連邦での任務、フェルセンブルク防衛戦、逆侵攻。
流れに乗っているだけで、気づけばここまで来ていた。
「隊長」
マルチがまた言った。
「やっぱり顔色が」
「考え事してただけだ」
ジョセフは歩く速度を少し上げた。
―――
ハートフィールド侯爵の派閥は会合を開いていた。
そこにいる者たちの顔色は良くない。
ジョセフの兄であるエドワードとヘンリーもいたが、こちらはなお一層良くなかった。
侯爵が口を開く。
「セシリア殿下の功績が凄まじく、我らに対しての目が冷たい。本土防衛という任務は地味で、前線を突破されない限り、功績はないからな……」
臣民や軍に属さない貴族の視線は冷ややかなものであった。
命を懸けて敵と戦うセシリア殿下に対し、国内で教会を襲撃して私腹を肥やしている姿を見せれば当然の結果。
今日の会合はその対策である。
なお、フェルセンブルクで火計を献策したジョセフの話は伝わっており、ラザフォード家はハートフィールド侯爵の派閥では恨まれていた。
二人にとっては針の筵というわけである。
今も、侯爵の説明を聞きながら、数名が厳しい視線を送っていた。
グレアムが会話を引き継ぐ。
「幸いにして、ハイドロジェン王国軍が撤退しました。ルドルフ陛下の覚えめでたいグレイ将軍が、なんの手柄もないというのを利用しましょう」
窮地に立たされた侯爵は、カイル・モスの策略にのってしまう。
グレアムもこれを思いついた時に、自画自賛したのだが、全てはポロニウム公国の手のひらの上のことであった。
反対意見など出ず、この計略のための資金の拠出配分の話へと移っていった。
―――
教皇領の町は、静かだった。
住民の姿がない。扉が閉まっている。窓の鎧戸が下りている。人の気配はあるが、誰も出てこない。帝国軍が通り過ぎるのを、息を殺して待っているのだろう。
セシリアは先頭で馬を進めながら、町の様子を見ていた。
「抵抗はないな」
ハルムが言った。
「教皇庁まであと一日の距離です。しかし、ラドン教騎士団が出てくることでしょう」
「『神罰を具現化する者』だったな」
セシリアは言った。
「神に与えられたギフトで、神の使徒の地を荒らす。神罰とは――」
その言葉が終わらないうちに、前方から斥候が戻ってきた。馬を飛ばしてくる。顔が青かった。
「殿下、前方に騎士団の旗が。数は――」
斥候が言いかけた時、セシリアが手で制した。
前方の丘の上に、人影があった。
一人だった。
騎士団の白い鎧を纏っていた。しかし、普通の鎧ではなかった。光の当たり方が違う。金属の質感が、重く、密度がある。腰に剣を帯びているが、抜いていない。
橙色の髪が、風に揺れていた。
人影はセシリアを見ていた。他の誰でもなく、セシリアを。
「ラザフォード少尉を連れてこい。すぐにだ」
「はっ」
セシリアはジョセフを連れてくるように命じた。
行軍の際は一緒にいるわけにはいかない。
婚約者でもないのに、輸送部隊の少尉と一緒に馬を並べようものなら、あらぬ噂が立つ。
この戦争が終われば、ジョセフを昇進させて、自分の軍の参謀にしようと思っていたが、今はまだそうなってはいないのだ。
やがて、ジョセフが呼びに行った兵士とともにセシリアのところにやってくる。
それを待っていたかのように、相手が動いた。
「止まれ」
人影が言った。
女の声だった。若い。しかし、迷いがない。
「我が名はセラフィナ・ブルッシ。神に与えられしこの地を守る騎士団の長である。帝国の軍よ、これ以上進むことは神への冒涜だ。ここで引き返せ。さすれば命は保証しよう」
帝国軍がざわついた。
たった一人で、軍の前に立っている。
ハルムが小声で言った。
「……騎士団長か。聞いたことがあります。ラドン教騎士団の団長はギフト持ちの女性だと」
「間違いないだろうな。でなければ、ひとりでこんなところには来ない」
セシリアが答えた。
丘の上の人影――セラフィナ・ブルッシは、まだセシリアを見ていた。
「お前だな」
セラフィナは言った。
「皇女セシリア」
セラフィナの声は静かだった。怒りではなかった。ただ、確信していた。
「お前に神罰を下す。それ以外の者は撤退すれば、命までは取らぬが、お前だけは別だ」
セシリアはジョセフに耳打ちする。
「すまんが、付き合ってくれて」
ジョセフは少し考えてから、言った。
「……僕は輸送部隊の少尉なんですが」
セラフィナは表情を変えなかった。
「そういうな。二人で協力した方が楽だろう」
そんな話をしていると、丘の後ろから、騎士団の旗が現れた。
一つ、二つ、三つ——整然と並んだ白い旗が、丘の稜線に沿って広がっていった。
ハルムが息を呑んだ。
「……騎士団も来ておりましたな」
「五百から六百、といったところか」
セシリアは静かに言った。
「まともにぶつかれば、被害は大きいだろうな」
セラフィナはまだジョセフを見ていた。
ジョセフはその目を見た。
自分が一緒に戦ってくれると確信しているようだった。
(断れないか……)
ジョセフは思った。
「どうする?」
セシリアはジョセフに回答を促す。
「どうもこうも」
ジョセフは前を見た。
「二人でやりましょう」
それを聞いてセシリアは馬を一歩前に進めた。
「セラフィナ・ブルッシ騎士団長」
セシリアの声が、静かに響いた。
「引き返すのはそちらだ。教皇領は今日から帝国の管理下に入る。抵抗するなら、相応の対応をする」
セラフィナはセシリアを見た。それから、ジョセフを見た。
「いまここで、決着をつける」
その言葉を聞くと、セラフィナはセシリアに向かって走り出した。




