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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第62話 決闘

 焼けたフェルゼンブルクを、ジョセフは歩いていた。


 あちこちで建物が燃えている。石造りの壁は形を残しているが、内側から焦げていた。木の扉が炭になっている。石畳の上に、燃えた梁が落ちていた。

 それどころか、鉄が溶けているのが目に入る。

 溶けている鉄は、純鉄ほど融点は高くないものの、それでも1000℃を超える高温でなければ、こうはならない。


 熱かった。


 呼吸するたびに、肺が焼けるような感覚がするはずだった。しかし、ジョセフの周囲だけは違った。

 体の周囲に、薄くフロギストンを巡らせている。フロギストンはジョセフの意思に従う物質だ。その流れを制御すれば、外の熱が自分に伝わるのを遮断できる。魔法瓶と同じ理屈だ。外がどれだけ熱くても、内側の温度は変わらない。

 輻射熱まで防いでいるのは、神によるギフトのおかげであろう。

 ただし、燃素であるフロギストンをつかって、火災の中で真空を作るというのは繊細なコントロールを必要とする。

 灯油をかぶって火の中に飛び込むようなことをしているのであるが、フロギストンを多層展開し、外層が燃えても内層に炎が燃え移らないようにするのだ。

 ジョセフの人知れず訓練した努力は想像を絶する。


 マルチが隣を歩きながら、袖で顔を覆っていた。

 熱くはないが、目に映る景色から、体が熱を感じたような気分にさせ、防御行動をとってしまう。


「……隊長、なんで私たちは平気なんですか」

「ギフトの応用だ。熱が届かないようにしている」

「私には理解できません」

「熱くないってわかるだけでいいよ」


 ジョセフに言われて、マルチは頭の中で熱くない、熱くないと繰り返す。


「……あ。楽になった」

「長くは保たない。ギフトを使い続けるのも疲れるんだ。早く出よう」


 二人は瓦礫を避けながら進んだ。

 炎の音が、四方から聞こえてくる。


 角を曲がったところで、ジョセフは足を止めた。

 男が、立っていた。

 水の幕ではっきりとは見えないが、着てるのは軍服だった。帝国のものではない。くすんだ青と灰色。クリプトン帝政軍の色だった。

 年齢は三十代か四十代のような気がする。がっしりとした体格。背が高い。表情は読めないが、鋭い目つきで睨まれているような気がした。


 一瞬の沈黙があった。


「この火災は、貴様が起こしたのか?」


 男が言った。低い声だった。


「そうだ」


 ジョセフは答えた。


「竜巻もか?」


 さらに問われる。


「それは違う。火災の結果だ。火災旋風というんだ。炎が大きくなると、周囲の空気を巻き込んで渦を作る。その渦がさらに炎を大きくして、また渦が強くなる」


 男は少し眉を動かした。


「旋風、だと。風が火を起こすのか」

「逆だ。火が風を起こす」


 ジョセフは続けた。


「熱い空気は軽くなって上に昇る。すると、周りから冷たい空気が流れ込んでくる。その流れ込む空気が渦を作る。炎が大きければ大きいほど、渦も強くなる。一定の規模を超えると、人の手では止められなくなる」


 男は黙っていた。


「水をかけても消えないのは、その規模になってからだ。燃えているものに水をかけても、炎の総量に対して焼け石に水になる。渦が酸素を供給し続けるから、炎が絶えない」


 ジョセフは言いながら、男の顔を見ていた。理解しているかどうか、確かめるように。

 男はしばらく考えてから、言った。


「つまり、火そのものではなく、火が生み出す気流を武器にした、ということか。俺にはその真偽を確かめる手段がないが、結果を見ればその通りなのだろうな」

「そういうことだ」


 男は少し間を置いた。


「名を聞いていいか」

「ジョセフ・ラザフォード。帝国第77輸送部隊、少尉だ」


 男は目を細めた。


「輸送部隊」

「そうだ」

「俺はオズウィン・ドレヴ。クリプトン帝政軍の将軍だ」


 ジョセフは内心で、やはりそうかと思った。この男だ。

 そもそも、この火災の中で生きているなど、ギフト持ちでもなければありえない。


 オズウィンは焼けた街を、一度だけ見回した。


「帝国は、この城塞都市を戦術のために捨てたのか」


 静かな声だった。怒りではなく、確認するような口調だった。


「フェルゼンブルクは帝国南東の要だ。これを失えば、次の防衛線まで開けた平野が続く。守りにくくなる。それを承知で、燃やしたのか」

「小官の仕事は目の前の戦いに勝つこと。勝てるならこの街も喜んで捨てますよ」


 ジョセフは答えた。


「先のことは偉い人が考える。小官は今夜、この場所で貴官たちを止めることだけを考えていた。思いついた中で一番効率がよいのがこの方法だっただけ」

「割り切っているな」

「仕事なのでね」


 オズウィンは少し黙った。

 それから、体の周囲に水が集まり始めた。空気中の水分が凝縮されて、薄い膜のように体を覆う。ゆっくりと、しかし確実に。


「我が軍の撤退は確実。しかし、貴官をここで始末しておかねばならないようだ」


 オズウィンは言った。


「周囲には、もう燃える物が無い。それに、俺の水は狭い範囲なら、貴官の作り出した火災を防げる。大きな火災の熱気は防ぎきれなかったが、一点の炎ならば話が違う」


 オズウィンは勘違いをしていた。

 味方が焼け死ぬような火災の中を歩いてくる相手が、普通の人間であるわけがない。

 しかし、異常な状態がオズウィンを興奮させ、冷静な判断をさせなかった。

 だから、ジョセフがギフト持ちだということに頭が回らなかったのである。


 ジョセフは保温するためのフロギストンの外に、さらにフロギストンを生成する。そのフロギストンが火災の残り火で着火。最初は小さな炎だった。しかし、その青みがかった色が、普通の炎とは違うことを示していた。


「やってみればわかる」


 二人は向き合った。

 焼けた街が、二人の周りで燃え続けていた。


 最初に動いたのは、オズウィンだった。

 水の膜が前方に伸びた。盾のように、平たく広がる水の壁。それがジョセフに向かって押し出されてくる。


 ジョセフは炎を大きくした。

 炎がジョセフの意志に従って動いた。

 さらには、周囲にフロギストンを散布。オズウィンを中心に炎の花が咲く。例えるなら、オズウィンはその中心にある雌しべ。

 周囲の火種が束になってオズウィンに向かった。一点ではなく、四方から。前から。横から。上から。


「なんだと!」


 オズウィンは水の幕を展開した。

 体の周囲に水が集まる。薄いが、均一な水の層。炎がそれに触れた瞬間、激しく蒸発した。

 白い煙が立ち上がった。

 水蒸気が、二人の間を覆い始めた。

 ジョセフには、オズウィンが見えなくなった。オズウィンにも、ジョセフが見えないはずだった。

 しかし、ジョセフは動きを止めなかった。

 周囲の炎を使い続けた。街が燃えている。燃料は無限にある。炎から炎へ、フロギストンを送り込み続ける。

 水蒸気の中に、炎を送り込み続けた。

 白い霧の中で、熱が積み重なっていった。


 やがて、水蒸気がゆっくりと晴れた。

 風が流れ込んできた。燃える街から生まれる気流が、水蒸気を押し流した。

 マルチは息を止めていた。

 霧が消えた先に、オズウィンが立っていた。

 立っていた、というのは正確ではなかった。壁に寄りかかるように、崩れていた。水の幕はなかった。体から蒸気が上がっていた。

 動かなかった。黒い炭となって、立っているように見えただけである。


「……隊長」


 マルチが小声で言った。


「死んだのですか?」

「ああ」


 ジョセフは答えた。

 マルチはしばらく、オズウィンを見ていた。


「なぜですか。水で炎を防いでいたのに」

「水蒸気になったからだ」


 ジョセフは言った。


「水が炎を消すとき、温度は下がる。水は蒸発するけど、燃えている物もまた、温度が下がって火が消える。だけど、僕の消えない火は例外。単純な温度の平均値を考えれば、同じギフトを使い続けるにしても、向こうの方が消耗が激しかったんだろうね」

「よくわかりません」

「まあ、倒したってことだよ」


 ジョセフは街を見回した。燃え続ける建物。熱気が渦を巻いている。


「この街全体が燃えている。周囲の平均温度が100℃を超えていた。水は100℃で沸騰する。いくら水を集めても、集めた端から蒸発していく。補充が追いつかない。普通なら火は消えて、徐々に温度は下がっていくけど、フロギストンは水の中でも燃えるからね」


 マルチは少し間を置いた。


「……水使いにとって、この環境は」

「最悪だね。おそらくは、経験したことない状況に、困惑していたと思う」


 ジョセフは言った。


「炎の中で水を使うのは、かまどで熱せられた鍋の上で氷を作るようなものだ。できないわけじゃない。でも、維持できない」


 マルチはもう一度、オズウィンを見た。


「強い人だって話でしたけど」

「ああ。たぶん強かったんじゃないかな」


 ジョセフは頷いた。


「僕のギフトとの相性が悪すぎた。別の相手なら、負けなかったかもしれない」


 風が吹いた。

 水蒸気の名残が、流れていった。


 ジョセフは空を見た。夜が明け始めていた。焼けた街の向こうに、白んだ空が見えた。


「行こう」


 ジョセフはマルチに言った。


「殿下たちが待っている」


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