第57話 フェルゼンブルク
荷台の上に、藁が積まれていた。
ビンは首を傾げながら、それを眺めていた。
「……隊長」
「なんだ」
「今回の積み荷、藁ですよね」
「そうだ」
「なんで藁なんですか。食料でも武器でも資材でもなく」
「輸送命令だからだ」
「そりゃそうですけど」
ビンは藁の束をつついた。
「こんなもん、何に使うんですかね」
「さあな」
ジョセフは素知らぬ顔で荷台の固定を確認した。
マルチが隣に来て、小声で言った。
「隊員たちには、まだ言わないんですか」
「街道に出てからだ。人目がある場所で話すことじゃない」
マルチは頷いた。それ以上聞かなかった。
―――
街道を半日ほど進んだところで、ジョセフは隊列を止めた。
前後左右、人の気配がない。街道の両脇には野原が広がるだけだ。風が草を揺らしている。空は青く晴れ渡り、鳥が飛んでいた。
「全員、集まれ」
ジョセフは隊員たちを呼んだ。七人が荷台の周りに集まった。
「目的地はフェルゼンブルクだ。それは知っている通り。しかし、今回の任務はただの輸送じゃない」
隊員たちの表情が変わった。
「クリプトン帝政軍が南東から進軍してくる。フェルゼンブルクが最初の防衛線になる。俺たちはその防衛に参加する」
「防衛、ですか」
ビンが首を傾げた。
「輸送部隊が防衛任務に?」
「防衛任務といっても、直接戦うわけじゃない。今運んでいる藁を使って、街の中で火を起こして、敵を一掃する」
沈黙があった。
「……街ごと、燃やすんですか」
タンが言った。声が少し上ずっていた。
ダオやノイたちも声は出さないが、露骨に嫌そうな顔をする。
「そうだ。だから積み荷が藁なんだ。燃料だ」
ビンが藁の束を見た。それから、ジョセフを見た。それから、また藁を見た。
「……なるほど」
妙に感心した声だった。
「でも、住民は?街の人たちはどうなるんですか」
ダオが聞いた。
「セシリア殿下が退避指示を出しているはずだ。今頃、住民の避難が進んでいる」
隊員たちは顔を見合わせた。
ジョセフは続けた。
「危険な任務じゃない。フェルゼンブルクの街にこれを運んだら、みんなは街の外に退避。俺だけ残って風上で火をつける」
しばらく誰も言わなかった。
「……行きます」
最初に口を開いたのはビンだった。
「隊長が燃やすんなら、ちゃんと燃えるように準備しないと」
笑いが起きた。張り詰めていた空気が、少し緩んだ。
他の隊員たちも、順に頷いた。
マルチは最初から頷いていた。当然のような顔で。
ジョセフは一度、全員の顔を見た。
「ありがとう。行くぞ」
―――
フェルゼンブルクの城門は、重厚だった。
何百年もの風雨に晒された石造りの壁が、空に向かって伸びている。城壁の上には見張り台が並び、遠くからでも要塞としての威圧感がある。帝国南東部を長年守ってきた、その歴史が石の色に染み込んでいるようだった。
セシリアは城門の前に立ち、避難の列を眺めていた。
住民たちが、荷物を抱えて城門から出てくる。老人。子供。荷車を引く男。乳飲み子を抱えた女。一人一人が、それぞれの荷物を持って、それぞれの足で歩いていた。
「爺――。いや、ヴィクター・ハルム将軍」
セシリアは隣に立つ老将に声をかけた。
「はっ」
ヴィクター・ハルムは背筋を伸ばした。七十に手が届こうかという年齢だが、体つきは頑健で、目に衰えがない。長年セシリアの副官を務めてきた老将だった。
「避難の進捗は」
「現在、住民の六割ほどが城外に出ました。残りは日没までには完了する見込みです」
「わかった」
セシリアは城壁を見上げた。
「……この街を燃やすのは、惜しいですな」
ハルムが静かに言った。感傷ではなく、事実を述べるような口調だった。
「帝国南東の要。何百年も敵を退けてきた城塞だ。これを自ら焼くとは」
「人の命に比べれば安いものだ」
セシリアは城壁から目を離さずに答えた。
「街だけあっても、帝国は滅びる。人さえあれば、帝国は続いていける」
ハルムは少し黙った。
「殿下のお言葉、肝に銘じます」
「まあ、こちらの作戦がうまくいけばの話だがな」
セシリアは短く息を吐いた。
「我々も街から出て、近くに潜んで状況を見ます。しかし、本当に火であのオズウィン・ドレヴを倒せるのですか?」
ハルムは率直に聞いた。
「水使いに火で対抗するとは、私には理解が及ばんのですが……」
「私にも完全にはわからない」
セシリアは答えた。
「しかし、ラザフォード少尉の炎は普通の炎ではないらしい。水で消えない理屈があると言っていた。信じるしかない」
「信じる、とは」
「頼んだのは私だ。ならば信じる。それだけだ」
ハルムはそれ以上聞かなかった。
―――
避難の列の中に、一組の家族がいた。
祖父と、母と、幼い女の子。女の子は七つか八つ。母親に手を引かれながら、城壁を振り返っていた。
「ねえ、お母さん」
女の子が言った。
「あの壁があれば大丈夫じゃないの? 分厚いし、高いし、悪い人たちだって入ってこられないよ」
母親は答えなかった。足を止めずに歩き続けた。
横を歩いていた祖父が、城壁を見上げた。
「昔、悪い外国の兵隊から街を守ったんじゃがな、あの壁は」
祖父は言った。皺の刻まれた顔に、懐かしむような表情があった。
「わしが若い頃にも、一度、大きな戦があった。あのときも、外からぐるりと囲まれてな。しかし、あの壁のおかげで、誰も入ってこれなかった。三月持ちこたえて、援軍が来た」
「じゃあ、今回も中にいれば――」
少女は振り返り、高くそびえる壁を見た。
「さあ、急ぐわよ」
母親が言った。女の子の手を引く速度が少し上がった。
「お城が守ってくれるとか、そういう話は後でいいから。今は歩く」
「でも――」
「歩く」
女の子は唇を尖らせたが、足を動かした。
祖父は城壁を最後にもう一度見て、それから孫の小さな手を取った。
「いつかまた帰って来られるさ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
避難の列は続いた。
城壁の影が、少しずつ遠ざかっていった。




