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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第56話 お願い

 呼び出しは突然だった。


「セシリア殿下が、ラザフォード少尉に面会を求めています」


 伝令兵がそう告げたとき、ジョセフは靴底の補修をしていた。輸送任務の合間に溜まった雑用を片付けていたところだった。


「……小官に?でありますか」

「はい。今すぐ、と」


 ジョセフはマルチを見た。

 マルチはすでに立ち上がっていた。


「私も行きます」

「お前が来てどうするんだ」

「隊長の護衛です」

「セシリア殿下の御前に護衛を連れていくのか」

「護衛というか……なんとなく」


 なんとなく、という言葉の裏に何があるのか、ジョセフにはよくわからなかった。

 ただ、マルチの目が「行かせてください」と言っていたので、ジョセフは断らなかった。



―――



 通された部屋は、皇族が使うには質素だった。

 元々皇族が使うことを想定していない軍の施設である。地図と書類が積まれた机と、床に見られる埃。

 軍人であるセシリアは慣れているが、それでも気晴らしに外を見ていた。窓から見える景色は、まだ整備されていない街道だった。


 セシリアは机の前に立っていた。

 カリナが傍らに控えている。

 ジョセフは敬礼した。


「第77輸送部隊、ジョセフ・ラザフォード少尉。お呼びに応じ参上しました」

「楽にしてほしい。なんだ、副官も同席か」


 セシリアは言った。いつもの落ち着いた声だった。しかし、どこか固さがある気がした。

 マルチはそれを嫌悪と勘違いする。


「申し訳ございません。自分は退室いたします」


 そう言われたが、セシリアは手で制した。


「いや、いい。貴官らの輸送部隊にかかわる話だ。副官なら同席するのが当然。座ってほしい。話がある」


 ジョセフは勧められた椅子に座った。マルチは後ろに控えた。カリナはセシリアの斜め後ろで、静かに立っている。

 セシリアは机の上の地図を広げた。帝国の南東方面の地形図だった。


「ラドン教が教皇令を発布し、我が国を神敵と認定したことは知っているか?」


 その問いにジョセフは頷く。


「よろしい。それで、連合軍が組まれ、我が国の南東方面に、クリプトン帝政軍が進軍してくる。指揮官はオズウィン・ドレヴ。水使いのギフト持ちだ」


 ジョセフは地図を見た。赤い矢印が、帝国の内側に向かって伸びている。


「帝国はここに防衛線を張る予定でいる」


 セシリアの指が、地図上の一点を押さえた。


「フェルゼンブルク」


 ジョセフはその名前を知っていた。帝国南東部の城塞都市。堅牢な城壁と、入り組んだ地形で知られる要塞だ。輸送任務で近くを通ったことがある。


「……なるほど」


 ジョセフは地図を眺めながら、頭の中で地形を思い描いた。

 城壁に囲まれた都市。入口が限られる地形。そして、水使いのギフトに対して、閉じた空間で火を使えば――。

 考えが形になりかけたところで、セシリアが口を開いた。


「ラザフォード少尉」


 セシリアは地図から目を上げた。

 ジョセフと視線が合った。


 セシリアの目が、わずかに潤んでいた。


 ジョセフは少し面食らった。セシリア・フォン・オキシジェンといえば、氷のように感情を表に出さない人物という印象がある。その目が、今は違った。


「……お願いがある」


 セシリアは言った。

 そして、頭を下げた。

 皇女が、頭を下げた。

 ジョセフは一瞬、状況を飲み込めなかった。


「フェルゼンブルクの防衛に、力を貸してほしい。あなたの炎のギフトを」


 セシリアは顔を上げた。目が合う。近い距離だった。

 ふわり、と香りがした。

 花のような、清潔な、しかし甘すぎない香りだった。

 ジョセフの心臓が、一拍、妙な打ち方をした。


(いや、待て。落ち着け、俺)


 内心で自分に言い聞かせた。


「私一人でも、オズウィン・ドレヴとは戦える。勝てないとは思っていない」


 セシリアは続けた。声は落ち着いていた。しかし、言葉の選び方が、いつもより丁寧だった。


「しかし、水と氷は相性が悪い。私のギフトを大きく使えば、兵士への巻き添えが出る。今は帝国の兵力を損耗させたくない。なにせ、周辺国すべてが敵だ。あなたの力を借りれば、その損耗を大幅に抑えられる」


 「あなた」という呼ばれ方が、ジョセフを困惑させる。


「あなたが何を背負っているか、私は知っている」


 セシリアは静かに言った。


「ギフトを使うことで、何かを失うという可能性があることも。それでも、お願いしたい」


 沈黙があった。


 ジョセフは地図に目を落とした。フェルゼンブルク。城壁。入り組んだ地形。水使いに対して、火を使うなら――。


「一つ、条件があります」


 ジョセフは言った。


「フェルゼンブルクの民間人を、事前に退避させてもらえませんか。殿下の名において、命令を出してほしいんです」


 セシリアは少し眉を動かした。


「退避、か。理由を聞いていいか」

「私のギフトを大きく使えば、街ごと焼けます」


 ジョセフは簡潔に言った。


「城塞都市の中で火災を起こし、敵を焼き殺します。それを起こせば、クリプトン帝政軍を一掃できると思っています。ただし、住民が残っていたら、その人たちも巻き込む。それは嫌なんで」


 セシリアはしばらくジョセフを見ていた。


「……街を、焼くつもりか」

「はい。使えるものは使わないと。これが一番こちらの損耗が少ないですしね」


 ジョセフはあっさりと言った。


「敵も水使いのギフト持ちを出してきてるんでしょう。こっちも本気でやらないと勝てない。ただ、民間人は別の話です。戦いに関係ない人を巻き込む気はありません」


 カリナは表情を変えずに聞いていた。

 セシリアは少し間を置いた後、頷いた。


「わかった。フェルゼンブルクの民間人退避命令は、私の名において出す。約束しよう」

「なら、引き受けます」


 ジョセフは頷いた。


「しかし、わからんな。相手は水のギフト。火を使ったところで消火されてしまうのではないか?」

「普通の火であればそうでしょう。しかし、私のギフトは普通の火ではありません」


 水が火を消す理屈は、熱を奪って温度を発火点以下に下げることと、水蒸気が酸素を遮断することである。

 この仕組みは知られておらず、水をかければ火が消えるという現象のみを人々は理解している。

 そして、ジョセフは酸素ではなくフロギストンを燃やす。つまり、酸素の遮断は無意味。そして、火が消えるのはフロギストンが無くなったら。温度は関係ない。

 火のギフトとの違いはここである。

 だからこそ、ジョセフは水のギフトを相手に火を使うことを考えたのである。


「あなたがそういうのであれば、大丈夫なのだろうな」

「精一杯やります」


 セシリアは息を吐いた。

 わずかに、肩の力が抜けたように見えた。


「ありがとう、ラザフォード少尉」


 ジョセフはもう一度敬礼して、立ち上がった。


 部屋を出ると、マルチが横に並んだ。

 しばらく黙って歩いてから、マルチが言った。


「……隊長」

「なんだ」

「殿下、きれいでしたね」

「そうだな」

「目、潤んでましたね」

「うん」

「いい香りしてましたか?」


 ジョセフは少し間を置いた。


「……なんでわかった」

「わかります」


 マルチは前を向いたまま言った。声は穏やかだった。しかし、その目の奥に、何か小さなものが沈んでいた。


 ジョセフはマルチの横顔を見た。


「どうした」

「なんでもないです」

「そうか」


 ジョセフはそれ以上聞かなかった。

 マルチも、それ以上言わなかった。


 二人は並んで、廊下を歩いた。



―――



 部屋に二人が残った。


「殿下」


 カリナが口を開いた。


「皇族が軽々しく頭を下げるべきではないかと」

「わかっている」


 セシリアは地図に目を戻した。


「しかし、お願いしたかったのだ」


 カリナは何も言わなかった。

 セシリアの指が、フェルゼンブルクの位置をそっと押さえた。


 頼ることが正しかったのかどうか、まだわからなかった。

 ただ、頭を下げたことを、後悔はしていなかった。


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