第55話 軍議
軍議室に集まった顔ぶれは、いつもと違った。
長机の上座にはルーカス・グレイ。その隣にエリック・レイン。向かいにハートフィールド侯爵と、その斜め後ろにグレアム。末席にセシリア・フォン・オキシジェン。
地図が広げられていた。帝国全土が描かれた地図だった。討伐連合軍の進軍予測ルートが、赤い線で書き込まれている。
周辺国では同盟国のカルシウム王国が、同盟を神に誓ったことを理由に参戦を拒否。もっとも、神に同盟を破棄するという儀式さえ執り行えば、参戦するという条件となっている。
アリアもそれは織り込み済みであり、今回は他の国の勢力で足りると踏んで、無理強いはしていない。
他にもアルゴン連邦が、親帝国勢力が参戦を見送ったため、戦力はやや見劣りしている。
そうした情勢は帝国側も掴んでいるが、それでも敵が多く頭を悩ませていた。
「討伐連合の主力は三方向から来ます」
グレアムが立ち上がり、地図を指した。
「北西からハイドロジェン王国軍。南東からクリプトン帝政軍。そしてラドン教皇領の義勇軍が中央を抑えようとするでしょう。各個撃破は難しい。帝国軍は分散して対応せざるを得ません」
侯爵が腕を組んだ。
「各方面に部隊を配置すれば、どこも手薄になる。そうなれば突破される」
「その通りです」
グレアムは頷いた。
「ゆえに、要所にギフト持ちを置くことを提案します。ギフト持ちは一人で千人分の戦力になり得る。少数精鋭で戦線を支えながら、数的優位を保てる場所に通常戦力を集中させる」
室内に沈黙が落ちた。
「グレイ将軍には北西戦線を。エリオット将軍率いるハイドロジェン王国軍の主力とにらみ合っていただく。そして――」
グレアムはセシリアに目を向けた。
「セシリア殿下には南東を。クリプトン帝政軍の指揮官、オズウィン・ドレヴは水使いのギフト持ちとの情報があります。ギフト持ちにはギフト持ちで対応するのが最善かと」
セシリアは表情を動かさなかった。
オズウィン・ドレヴはクリプトン帝政にその人ありと言われた将軍で、指揮官としても優秀であり、尚且つギフト持ちでもあった。
そのギフトは水を自在に操るというもの。これに通常の兵士をあてるとなれば、その被害は甚大なものになるのはわかっていた。
「異議はありません」
短く答えた。
侯爵は地図を眺めながら、内心で口の端を上げていた。
グレイとセシリア、二つの目障りな存在が前線に出る。そのあいだ、帝都の内側は手が届きにくくなる。ラドン教の資産整理を進める時間が生まれる。
うまくいったと笑いをこらえるのに必死だった。
「グレイ将軍」
侯爵は声に満足感が出ないよう注意しながら言った。
「北西戦線は重要だ。ハイドロジェン王国のエリオットを抑えてもらわねば困る。よろしく頼む」
「承知しました」
ルーカスは答えた。侯爵を一瞥することもなく、地図を見たままだった。
「エリック、補給ルートの資料を」
「少々お待ちを」
エリックが立ち上がり、軍議室を出た。
扉の外の廊下には、ハンナ・ヴォルフが控えていた。
「補給ルートの資料が必要だ。将軍の鞄の中にあるはずだが」
「こちらです」
ハンナは迷わず取り出した。どの書類がどこにあるか、把握していた。
「助かる」
ハンナはエリックが資料を受け取るのを見ながら小声で訊ねた。
「軍議の空気はどうでしょうか?」
「扉越しではわからんか」
「はい」
「我らと皇女殿下が、それぞれ攻めてくるギフト持ちにあたることになった。そして、国内の防衛は侯爵閣下だ」
ハンナは静かに頷いた。
「将軍は?」
「いつも通りだよ」
エリックは少し目を細めた。それだけで十分だった。
彼は軍議室に戻った。
―――
軍議が終わり、人が散った後、ルーカスとエリックだけが残った。
エリックは地図を片付けながら言った。
「侯爵は満足していましたね」
「そうだろうな」
ルーカスは椅子に座ったまま、天井を見ていた。
「我々が前線に出るあいだ、教会の資産を荒らし回る気だ。どうせ狡猾なグレアムが絵を描いたのだろう。侯爵はそれに乗った。わかりやすい話だ。資金を増やして勢力を増すつもりだろう。それに対して、強敵と戦う我々は疲弊すると考えているのだろう」
「……では、なぜ受けたんですか。断ることもできたはずです」
ルーカスは少し間を置いた。
「簒奪する帝国の国力が弱っては困るからだ」
静かな声だった。
「侯爵派が他の派閥を前線に出して消耗させ、自分たちだけ温存する。こちらとしても、そういう絵も描けた。しかし今は、どの派閥が疲弊しても帝国の損失になる。連合軍に勝てなければ、その後に奪うべき帝国が残らない」
エリックは手を止めた。
「つまり、将軍が前線に出ることで、帝国軍全体の損耗を抑える」
「そういうことだ。侯爵は自分が得をしたと思っている。それで構わない。前回のハイドロジェン王国の侵攻みたいな、大損害は避けねばな。奴はもう十分民衆から恨みを買っている。これ以上はいらない」
ルーカスは立ち上がった。
「それに、警戒されるよりも、動かしやすい駒が、思い通りに動いていると思わせておく方がいい」
エリックは何も言わなかった。
―――
セシリアは自室に戻ると、地図を広げた。
南東方面。クリプトン帝政軍の進軍ルート。そして、オズウィン・ドレヴという名前。
水使いのギフト。
報告書には簡潔にそう記されていた。詳細は不明だが、帝国との過去の小競り合いで一度だけ目撃されたという記録がある。川を堰き止め、氾濫を起こしたような水流で、敵陣を飲み込んだ、と。
帝国とクリプトン帝政は現在停戦協定が結ばれており、オズウィンとは、エリオット将軍のように何度も戦うようなことは無かった。だから、情報が少ないのである。
それでも、帝国まで名前が伝わってくるので、オズウィン・ドレヴという人物の有能さはわかっていた。
セシリアは自分のギフトを思った。
凍てつくギフト。水を凍らせ、空気中の水分を結晶化させ、対象を氷で縛る。
水と氷は、似ている。
だからこそ、相性が悪い。
自分の力が通じにくい相手だ。それ自体は構わない。戦えと言われれば戦える。勝てないとも思っていない。
問題は、その過程だった。
オズウィンのギフトを封じるには、自分のギフトを大きく使う必要がある。大きく使えば、周囲の兵士への巻き添えが出る。氷は敵だけを選ばない。動けなくなった味方を水が飲み込めば、それは損害だ。
セシリアは計算した。
楽観的に見ても、通常より三割は多い損耗が出る。悲観的に見れば、倍近い。
それは避けなければならなかった。
今は帝国の兵力を温存しなければならない時期だ。連合軍を退けても、国内がからになっていれば意味がない。
カリナが茶を持ってきた。
「殿下、お顔の色が」
「考え事をしていた」
セシリアは地図から目を上げた。
「カリナ。第77輸送部隊の現在地を調べてほしい」
カリナは少し目を瞬かせた。
「……第77輸送部隊、とは」
「ジョセフ・ラザフォードの部隊だ」
セシリアは地図に目を戻した。
「どこにいるか、わかれば教えてほしい」
カリナは何も聞かなかった。
ただ、静かに一礼して部屋を出た。
セシリアは茶に手をつけないまま、地図を見続けた。
頼ることが正しいのか、まだわからなかった。
ただ、他に選択肢が見つからなかった。




