↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/92

第54話 略奪

 ハートフィールド侯爵の屋敷には、表向きの顔がある。

 格調ある調度。丁寧に手入れされた庭。品のいい使用人。訪れる者に侯爵家の格式を示すための、精巧な舞台装置だ。

 フィリップ・グレアムが通されたのは、その舞台から遠い、奥まった書斎だった。


「教皇令が出たことは知っておろう?」


 ハートフィールド侯爵は窓の外を見たまま言った。


「存じております」


 グレアムは慇懃に首を垂れる。

 相手が見ていなかろうと、そうした態度に抜かりはない。


「グレイが正統ラドン教とやらを宣言した。馬鹿げた話だ。帝国がラドン教皇庁と袂を分かつなど、正気の沙汰ではない」

「そうですね」


 グレアムは椅子に座り、組んだ手の上に顎を乗せた。


「それで、犯人のでっち上げを考えておられますか」


 侯爵が振り返った。


「考えないわけにはいかんだろう。司祭殺害の犯人を差し出せば、連合軍の大義名分が崩れる。時間を稼げる」

「もう遅いでしょう」


 グレアムは静かに言った。


「教皇令はすでに発布されました。参加を表明した国々は、信仰のためではなく国益のために動いています。犯人を差し出したところで、旗を降ろす理由にはなりません。むしろ、帝国が弱みを見せたと判断されるだけです」


 侯爵は黙った。


「それに」


 グレアムは続けた。


「今回の件は、むしろ好機だと思っています」

「……好機」


 侯爵の眉が動いた。


「神敵に認定され、外から敵が来る。帝国は戦時体制に入る。そして、神敵認定した相手とは徹底抗戦。そういう状況で、誰が一番困りますか」


 グレアムは窓の外に目をやった。帝都の空は、いつもと変わらず曇っていた。


「ラドン教の勢力です。正統ラドン教の宣言によって、帝国内の教会は立場を選ばざるを得なくなった。帝国に従うか、教皇庁に従うか。従わない教会は反乱勢力と見なせる」

「それは……」

「帝国内のラドン教の資産は、相当なものです。各地の教会、修道院、土地。何百年もかけて蓄積してきた富がある」


 グレアムは侯爵を見た。


「今までは手を出すことは出来ませんでしたが、戦時の混乱の中で、反乱鎮圧の名のもとにそれを接収する。誰が動くかは、おわかりですね」


 沈黙があった。

 侯爵の目が、ゆっくりと動いた。


「……伝統派貴族が、か」

「閣下が旗を振れば、喜んでついてくる方々がいるはずです。連中はそんなに信心深くありませんから、目の前の現世利益に飛びつくことでしょう」


 グレアムは微笑んだ。穏やかな、事務的な笑顔だった。

 その裏には、伝統派貴族を蔑んだ思想が隠れていたが。


「グレイは連合軍との戦いに集中しています。セシリア殿下もそちらに向く。帝都の内側に目が届きにくくなる。そのあいだに動く価値はあります」


 侯爵はしばらく黙っていた。


「……グレイとセシリア殿下が戦況で手を焼いているあいだ、我々は内を固めるということか」

「固める、というより——整理する、と言った方が正確でしょうか」


 グレアムは立ち上がった。


「勝敗がどちらに転んでも、帝国内の宗教勢力が弱体化していれば、我々の立場は改善されます。閣下にとっても、悪い話ではないはずです。そして、外敵と戦って疲弊した派閥に対し、閣下とアントワネット殿下の派閥は、教会から接収した資産で力を増した状態になっているとなれば――」


 侯爵は答えなかった。

 しかしその目は、すでに計算をしていた。



―――



 正統ラドン教の初代教皇が選出されたのは、それから十日後のことだった。


 名はベネディクト・ハイル。帝国内の聖職者の中でも、早い段階から新体制への協力を表明していた人物だった。年齢は五十に届くかどうか。穏やかな顔立ちで、野心よりも順応を好む人間に見えた。


 戴冠の式典は質素だった。

 本来であれば盛大に祝うべき場面だが、情勢を考えれば派手にできる余裕はなかった。ルドルフ帝の戴冠式も控えている。


 帝都の市民は、その式典をほとんど見ていなかった。

 関心が向く前に、別の出来事が始まったからだ。



―――



 最初の報告が入ったのは、帝都から二日離れた地方都市からだった。


「聖ルシア教会に、貴族の私兵が押し入りました」


 内務の役人が、震える声で報告書を読み上げた。


「教会側が教皇庁への帰属を宣言したことを理由に、反乱勢力の拠点として接収。資産を没収、教会関係者を連行したと」


 続報はすぐに来た。

 翌日には、別の都市でも同様の事態が起きていた。その翌日も。その次の日も。

 伝統派貴族の動きは早かった。

 まるで、準備をしていたかのように。

 私兵を率いた貴族たちは、教皇庁への帰属を宣言した教会を次々と接収した。建物を占拠し、蓄えられていた金銀財貨を運び出した。土地の証書を押さえた。修道院の食糧庫を空にした。

 反乱鎮圧、という名目だった。


 抵抗した聖職者は捕らえられた。

 数人は、広場で公開処刑された。



―――



 帝都から遠い町の広場に、人が集まっていた。

 集まった、というより、集められた。私兵が家から引っ張り出した者もいた。

 台の上に縄をかけられた男が立っていた。老いた聖職者だった。白髪で、背が曲がっていた。かつては地元の人間なら誰でも知っている顔だった。子供の洗礼を行い、死者の弔いを読み上げ、貧しい者に食事を配っていた男だった。


 貴族の代理人が、罪状を読み上げた。

 帝国への反逆。正統ラドン教への帰属拒否。教皇庁との内通。


 広場の人々は黙っていた。


 老聖職者は何も言わなかった。目を閉じていた。唇が、かすかに動いていた。祈りだった。

 代理人は下卑た笑みを浮かべて、老聖職者に語り掛ける。


「貴様が無罪であれば、神は助けてくれるだろうな」


 その言葉に返答することなく祈りは続いた。


 そして、処刑が執行された。


 処刑とは庶民にとっての娯楽である。

 残酷であるという声はあがらず、帝国への反乱を企てたものの末路を見て、快い感情を抱く。シャーデンフロイデ、あるいは公正世界仮説などによる、溜飲が下がる思いが広場を包む。


 人々は満足して、三々五々と帰っていった。


 ただし、そうではない者も少数だが存在する。

 誰かが誰かの耳に、小声で言った。


「……酷い話だ」


 相手は何も答えなかった。

 答えれば、次は自分の番になるかもしれなかった。


 皆、それをわかっていた。

 こうして、庶民の間にも宗教対立の火種が生まれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。