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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第52話 敵の娘

 消臭剤の話は、思いのほか早く広まった。

 軍にレシピが公開されてから数日で、各部隊が材料を調達し始めた。兵士たちの評判は上々だった。簡単に作れて、効果が高い。材料費も安い。

 上層部では民間にも販売して、軍事費の補填にあてようという話まで出る始末。


 これについては、エドワードやヘンリー、ダニエルは報告を聞いて苦虫を嚙み潰したような表情を見せた。

 ジョセフが評価されるようなことが気に入らないのである。


 一方、ルーカス陣営にも動きがあった。

 ハンナが報告書を持って執務室に入った。


「将軍、消臭剤の件ですが」

「ああ」

「発案者が判明しました。第77輸送部隊のジョセフ・ラザフォード少尉です」


 ルーカスは書類から目を上げた。


「ラザフォードか」

「はい。部隊内で作り始めたのがきっかけで、セシリア殿下への報告のついでに渡したところ、殿下が軍への公開を勧めたようです」


 ルーカスは少し黙った。


「本当に本人の発案か」

「と、いいますと?」


 ハンナはルーカスの発言の意図がわからず、聞き返した。


「公爵家出身でありながら、少尉と評価が低い男だ。部下の誰かが考えたものを、隊長として報告した可能性がある。輸送部隊の連中が考えて、ラザフォードが手柄を横取りした、ということはないか」


 ハンナは少し間を置いた。


「……調査してみます」


 エリックが口を開いた。


「私が確認してみましょう。部隊の隊員に直接当たれば、経緯はわかるはずです」

「頼む」


 ルーカスは書類に目を戻した。


「名門公爵家の庶子が、部下の知恵を横取りして上に報告する。よくある話だ」


 エリックは何も言わなかった。ハンナも黙っていた。

 しばらくして、エリックが別の書類を持ってきた。


「将軍、これを」

「なんだ」

「夜会の招待状です。ハートフィールド侯爵家からです」


 ルーカスは受け取った。封を開けずに、差出人の名前を確認した。

 ルイーゼ・ハートフィールド。

 ルーカスは招待状を、そのまま机の脇の屑籠に捨てた。


「将軍」


 エリックが少し困った顔をした。


「一応、目を通されては」

「必要ない」

「しかし、ハートフィールド侯爵家からの招待を無視するのは、政治上――」

「政治の話をしたいのか?」


 ルーカスはエリックを見た。


「ハートフィールド侯爵は、我々の敵だ。その娘が招待状を送ってくる。父親の意向か、あるいは娘が勝手に動いているか、どちらにしても受ける理由がない」

「娘は侯爵の意向とは別に動いている可能性が」

「エリック」

「はい」

「父の敵である相手に、招待状を送ってくるとはどういう神経をしているんだろうな。罠かもしれん。浅はかにも暗殺を企てているかもしれないんだぞ」


 ルーカスは静かに言った。怒りではなく、純粋な疑問のような口調だった。


「貴族社会とはそういうものか。政治的な敵対関係があっても、笑顔で夜会に招待し合う。父親が裏で何をしていようと、娘は知らぬ存ぜぬで令嬢として振る舞う。そういう仕組みで回っている世界なのだな」


 エリックは黙った。


「馬鹿馬鹿しい」


 ルーカスは窓の外を見た。


「家柄で全てが決まる。血筋で地位が決まる。能力のない者が権力を持ち、能力のある者が頭を下げる。そういう世界を、何百年も続けてきた。貴族社会とはそういう物だ。それはもうすぐ終わらせる」


 ハンナは壁際で黙って聞いていた。


(貴族への嫌悪が、これほど深いとは)


 ルーカスの出自を思った。下級貴族の出身。家族の事。軍学校でも、家柄で見下された経験があるはずだ。それが今の彼を作っている。


「それに」


 ルーカスは続けた。


「頭がおかしいのか、あの娘は。侯爵家の令嬢が、父親の敵に恋文を送るとは」


 エリックが少し目を細めた。


「……恋文、とはどこから」

「招待状の封に、花が押し花で挟まれていた。ラブレターだろうこれは」

「見ていないのに、なぜ?」

「封を開ける前に落ちた」


 エリックはため息をついた。ハンナは表情を変えなかった。


「捨てておけ」


 ルーカスは書類に目を戻した。


「それより、司祭殺害の犯人をまだ捜しきれていない。早く見つけなければ、ラドン教への説明がつかない。クラウディア妃からも矢のような催促がひっきりなしだ。捜査の進捗を報告しろ。金切り声が耳にこびりついて、夜、眠るのが一苦労だ」


 執務室に、笑いが起きる。

 帝国の権力者ですら、ここでは恐れられていないのであった。


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