第51話 消臭剤と皇女
ジョセフ達は待機命令が続いていた。
することがない。装備の手入れも終わった。荷台の点検も終わった。訓練もひと通りこなした。
そんな時、ビンが軍靴を脱いで、そのまま固まった。
「……くさい」
「自分の靴だろう」
とタン。
「わかってる。でも、くさい。なんでこんなにくさいんだ」
「長距離を歩いて、雨にも濡れて、毎日履いているからだ」
とダオ。
これは古今東西、どこの軍隊でも起こっている問題である。
革で出来た通気性の悪い軍靴が抱えるものだ。
「解決策はないんですかね」
とビン。
「洗え」
とノイ。
「洗ってもすぐにくさくなる」
全員が黙った。反論できなかった。
そんな会話を聞いていたジョセフは軍靴を眺めながら、少し考えた。
(そういえば……)
前世の記憶の片隅に、何かがあった。消臭。抗菌。ミョウバン。タルク。ハーブ。
「ちょっと待ってくれ」
―――
ジョセフが材料を調べ始めると、意外とすんなり揃った。
ミョウバンはオキシジェン帝国で産出される鉱物だ。染色や革なめしに使われているので、市場で普通に手に入る。
タルクも同様で、化粧品の材料として流通していた。
ラベンダーは近くの野原に自生していた。タイムとローズマリーは料理用として厨房に常備されていた。
「何を作るんですか?」
とマルチ。
そろえた材料を前に、腕組みをしているジョセフに問いかけた。
「消臭剤だよ。靴の中に入れるやつ」
「そんなものが作れるんですか」
「作れるかどうかやってみる」
ジョセフは乳鉢を借りてきた。ミョウバンを細かく砕き、タルクと混ぜる。乾燥させたラベンダーとタイムとローズマリーを刻んで加える。よく混ぜ合わせて、小さな布袋に詰めた。
「これを靴の中に入れておく。ミョウバンが菌を抑えて、タルクが湿気を吸う。ハーブが臭いを和らげる」
「本当に効くんですか」
とビン。
「前世……いや、異国の書物で読んだことがある。試してみよう」
―――
翌朝、ビンが目を丸くした。
「くさくない」
「本当か」
とタン。
「本当だ。全然くさくない。これすごくないですか隊長」
全員が自分の靴を確認した。効果は明らかだった。
マルチがジョセフを見た。
「隊長、これ売れますよ」
「面倒だからいい」
「でも材料費を考えると、かなり安く作れます。軍の需要だけでも相当な数になりますよ」
「面倒だからいい」
「隊長」
「面倒だからいい」
マルチはため息をついた。
ナムが手を挙げた。
「私、作るの手伝います。売るかどうかは隊長が決めればいいですが、部隊の分だけでも作っておきたい」
「ナムが言うなら」
「俺もやる」
と全員が賛同した。
結局押し切られる形で、ジョセフも首を縦にふる。
「作っておこうか」
とジョセフ。
マルチはまたため息をついた。めんどくさがりなのはわかっていたが、みすみす儲け話を棒に振るようなことに呆れたのである。
だからといって、嫌いになるわけではないが。
―――
数日後、ジョセフはセシリアへの定期報告のついでに、小袋をいくつか持っていった。
「殿下、これをお渡ししたくて」
セシリアは小袋を受け取った。
「なんだ」
「消臭剤です。靴の中に入れると臭いが和らぎます。部隊で作ったもので、よければお試しください」
セシリアは小袋を開けて、中を見た。それからカリナを見た。
「カリナ」
「はい」
「試してみろ」
「……殿下の靴に、でございますか」
「そう――」
セシリアはそこでハッとして言葉を止める。
そして、慌てて取り繕った。
「そういえば、部下でも足が臭いのがいたであろう。あやつに試してみよ」
カリナは少し黙った。それから、静かに一礼した。
翌日、カリナから返事が来た。
ジョセフが次にセシリアに会いに行くと、セシリアは開口一番言った。
「ラザフォード」
「はい」
「あれを大量に頼む」
ジョセフは少し間を置いた。
「……どのくらいですか」
「百袋」
「百袋!?」
「多いか?」
「多いです」
セシリアはわずかに目を逸らした。
「……皇宮の衛兵にも配る予定だ」
「なるほど」
「それだけだ。他に理由はない」
「それならば、レシピを軍に報告します。我が部隊が暇なときに作るだけでは足りませんので」
ジョセフは真顔で答え、細かくは追及しなかった。
後ろでカリナが、静かに目を伏せた。
宿営地に戻ったジョセフは、マルチに言った。
「百袋作ってくれ」
マルチは目を丸くした。
「売れたんですか」
「売ったわけじゃないけど、発注が来た」
「誰からですか」
「殿下だ。でも、レシピは軍に公開するよ。僕らだけじゃとてもじゃないけど手が足りない」
マルチは少し考えた。それから、何かを察したような顔をした。しかし、口には出さなかった。
「……わかりました。ナムと一緒に作ります」
ビンが遠くから声を上げた。
「隊長、売れたんですか?」
「売れ過ぎたよ。だから、レシピを軍に公開することにした」
「ええ!?折角の儲け話を!みんなで除隊して、これで食っていけるって話していたのに……」
「ああ、そういう生き方も悪くなかったね」
「そうですよ!それを軍に公開だなんて!もう、商売にならないじゃないですか!」
ビンの悲鳴と焚き火の煙が、夜空に上がっていった。




