第50話 貴族の危機
グレアムの執務室は、いつも通り落ち着いた雰囲気だった。
そこにいるのはダニエルとグレアム。
ダニエルは報告を終えた。別荘での口封じの件である。それを淡々と述べた。
グレアムは書類から目を上げなかった。
「ご苦労」
それだけだった。
ダニエルは一礼して、部屋を出た。
廊下を歩きながら、ダニエルは静かに息を吐いた。
(あんたの命令で、いったい何人殺したと思っている。もう少し、労いの言葉とかあってもいいだろう)
峠の件。司祭の件。別荘の件。数えれば、両手では足りない。
しかし、口には出さなかった。出せなかった。
ダニエルは歩き続けた。エリザの墓が、頭の隅にあった。
ダニエルが廊下の角を曲がった時、二人の男と鉢合わせした。
エドワード・ラザフォードとヘンリー・ラザフォードである。
ラザフォード公爵家の長男と次男であり、かつてはすり寄っていた相手。
ダニエルは無言で会釈した。二人の間をすり抜けて、廊下を進んだ。足を止めなかった。
エドワードは、その背中を目で追った。
「……変わったな」
遠い過去をみるような目が、廊下の奥に消えるダニエルを見ていた。
「何がです?」
とヘンリー。
「ダニエルだ。昔はああではなかった。俺に尻尾を振る子犬みたいな男だった。それが今は、目も合わせずに通り過ぎる」
ヘンリーは少し考えた。
「何か変なものでもやっているんじゃないですかね。違法な薬とか。目が据わっていました」
「かもな」
エドワードは視線を戻した。
「まあ、どうでもいい話だ。それより、グレアム参謀に会わなければ」
―――
グレアムの執務室に通された二人は、向かいに腰を下ろした。
「お越しいただき、恐縮です」
グレアムは静かに言った。
「単刀直入に聞きましょう。クラウディア妃の貴族家見直し令について、どのようにお考えですか」
エドワードは眉をひそめた。
「どう考えるも何も、あれは我々への宣戦布告だ」
貴族家見直し令。クラウディアが発布したその令は、帝国の貴族制度に大きく踏み込むものだった。
元をたどれば、帝国の貴族の多くは王族の末裔だ。皇族が代を重ねるごとに分家し、公爵家となり、侯爵家となる。しかし、その数は増え続ける一方で、帝国の財政を圧迫していた。
令の内容は明快だった。養子による爵位の存続を認めない。直系の男子がいない貴族家は、次代で断絶とする。さらに、功績のない貴族家への国庫からの支援を段階的に削減する。
「功績のない貴族家というのは、うちも他人事ではない」
ヘンリーが静かに言った。
「我がラザフォード家は軍で活躍するような家柄ではない。我らは後方での任務を主としている。それに、出来損ないの弟など、輸送部隊などという日陰の仕事。どう、手柄を立てろというのだ」
「公爵家への国庫からの支出を控えるなど、我がラザフォード家の国家への過去の功績の否定」
エドワードは低く言った。
「しかし、それだけではない。この令の背景には、ルーカス・グレイの影がある」
グレアムは静かに頷いた。
「おっしゃる通りです。グレイは実力主義を推し進めている。伝統派貴族の力を削ぎ、家柄でなく能力で人材を登用する体制を作りたい。クラウディア妃の令は、その布石です」
「つまり、我々を弱体化させるための」
「段階的に、しかし確実に」
グレアムは指先で卓を叩いた。
「だからこそ、今が重要な時です。戴冠式が延期になっている今、ルドルフ殿下の帝位はまだ確定していない。アントワネット殿下を推す動きを、もう一度強化する必要がある」
エドワードは少し黙った。
「資金の話か」
「侯爵閣下の陣営には、今しばらく力が必要です。ラザフォード公爵家が動いてくださるなら、他の伝統派貴族への説得力も増すので」
エドワードはヘンリーを見た。ヘンリーは小さく頷いた。
「わかった」
エドワードは静かに言った。
「ラザフォード家として、侯爵閣下を支持する。資金についても、相応の協力をしよう」
「ありがとうございます」
グレアムは一礼した。その顔には、いつも通り、感情がなかった。
―――
廊下に出ると、エドワードは少し足を止めた。
「ヘンリー」
「はい」
「ジョセフは今、どこにいる」
「輸送部隊で、まだ少尉のはずです。ラドン教使者の件で、目撃者になったとか」
「あの男すらも使わねばならないとなったら、家の恥」
エドワードは静かに言った。
「ラザフォードの名前を、余計なところで使われたくない」
廊下に、二人の足音が続いた。




