第48話 不機嫌な将軍
執務室の空気は重かった。
ルーカスは書類を机に置いたまま、窓の外を見ていた。いつもの爽やかな笑顔はない。眉間にわずかなしわが寄っている。
エリックが向かいに立っていた。ハンナは壁際に控え、書類を手に持っていた。
「犯人を何としても捜しださねばならない」
ルーカスは静かに言った。
「クラウディア妃の怒りが収まらない。毎日のように使いが来る」
エリックは少し間を置いた。
「……将軍」
「なんだ」
「怒っているのは、クラウディア妃の機嫌のためではないでしょう」
ルーカスは振り返らなかった。
「自分の管轄地域で不祥事を起こされた。それが気に入らないのではないですか。あんな女の機嫌など、将軍には関係ないでしょう。完璧主義なあなたのこと。他の派閥から治安維持の不備を指摘されるのが我慢ならないのでは?」
沈黙が落ちた。
ルーカスは少し間を置いてから、静かに言った。
「……そうだな。しかし、随分と嫌味ったらしい言い回しに聞こえるぞ。エリックでなければ、即刻退室させている」
エリックは表情を変えなかった。長年の付き合いだ。こういう時の返し方を知っていた。
「自分の領域で、自分の知らない動きがあった。それが許せない。そして、私も将軍、いや、ルーカスが悪く言われるのは嫌です」
「そういうことだ」
ルーカスは窓の外を見続けた。
「クラウディア妃がどう思おうと、どうでもいい。しかし、自分の足元で何かが動いていて、それを把握できていなかった。それは問題だ。そして、口さがない連中の声が煩わしい」
ハンナは壁際で黙って聞いていた。
「戴冠式が延期になった」
ルーカスは続けた。
「ラドン教が怒っている。書簡が来たそうだ。神の使者を殺した者を見つけよと。それが最優先。まあ、皇帝の権威よりも人命が失われたことを優先する態度は好感がもてるがな」
「好感が持てるとおっしゃいますが、でも嫌いなんでしょう。それで、対応はどうしますか」
「捜す。当然だ。周辺国がこちらに攻めてくる様子はない。国境警備の人員を捜査にまわせ」
ルーカスは机に戻り、椅子に座った。
「戴冠式など、本来どうでもいい話だ」
エリックは黙って続きを待った。
「神の権威にすがらねば統治できない皇帝など、何の意味がある。大陸中の王が教皇に冠を授けてもらわなければ正統と認められない。神の代理人などという肩書きで、宗教が政治に口を出す。馬鹿馬鹿しい」
ルーカスは静かに言った。感情的ではなかった。ただ、淡々と、本音を吐き出していた。
「帝国も同じだ。家柄と血筋だけで権力が決まる。能力のある者が上に立てない仕組みを、何百年も続けてきた」
ハンナは書類を持ったまま、動かなかった。
(こんな話を、私に聞かせてくれる)
宗教批判。帝国批判。発覚すれば、どちらも只では済まない話だ。それをこの場で口にするということは。
(信頼されている、ということか)
ハンナは静かに、その事実を飲み込んだ。
「目撃した輸送部隊の聴取はどうなっている」
ルーカスは話を変えた。
「第77輸送部隊ですね。証言は得ていますが、犯人の特定には至っていません」
「なぜ追いかけなかった」
ルーカスの声が、わずかに低くなった。
「逃げた連中を追えば、何か掴めたかもしれない。それをしなかった」
「深追いを避けたようです。輸送任務優先の判断かと」
「任務優先」
ルーカスは繰り返した。その声には、明らかな不満が滲んでいた。
「輸送部隊の隊長は誰だ」
ハンナは書類を確認した。
「ジョセフ・ラザフォード少尉です。ラザフォード公爵家の三男とのことです」
「人事部の評価は?」
「可もなく不可もなく、といったところです。目立った戦功はなく、昇進も遅い。部隊の規模も小さい」
発煙筒を考案し、ハイドロジェン王国のギーレン将軍が攻めてきたときに指揮を執っていたことは、意図的に削除されていた。
これはハンナによるものではなく、帝国軍内の記録がエドワードたちの圧力によって改竄されており、そうとは知らずにハンナが情報にアクセスした結果だった。
ルーカスは少し黙った。
「所詮は家柄だけか」
吐き捨てるような言葉だった。
「名門公爵家の庶子が、箔だけで軍籍を得ている。能力があれば、あの場で追いかけるなり、もっと有益な証言を得るなりできたはずだ。少なくとも、俺の部下ならそうしている」
エリックは何も言わなかった。
ハンナも黙っていた。ただ、書類に書かれた「ジョセフ・ラザフォード」という名前を、もう一度静かに見た。
(評価が低い、か。しかし、あの証言は――)
砦からの報告書には、目撃した輸送部隊の証言が記されていた。野盗ではない。統率が取れていた。略奪をしていない。その分析は、決して凡庸な判断ではなかった。
それに、この名前はどこかで聞いていた気がした。
それもそのはずで、ギーレン将軍撃退の指揮官だったというのを、まだエリックの部下になる前に聞いたのだ。しかし、それを思い出すことは無かった。




