第47話 お忍びの調査官
待機命令が下りたのは、砦に戻った翌日のことだった。
「また待機か」
ビンが天を仰いだ。
「目撃者になったせいですね」
とマルチ。
「厄介ごとに巻き込まれたからねえ。気楽な輸送部隊の仕事だと思ったんだけど。あてごとと越中ふんどしは向こう外れる、か」
とジョセフ。
「隊長、なんですか、その言葉は?」
とビン。
(ああ、ふんどしなんてこの世界には無いか)
ジョセフはつい、前世の知識にある言葉を使ってしまい、その言い訳をしなければならない状況になったことを後悔した。
「これは異国に伝わる古い言葉だよ。ふんどしっていうのは下着だね。ひもで結んでいるから、時々外れることがあるんだ。それで、あてにしていることや下着は思いがけず外れてしまうっていう洒落だよ」
ジョセフはしたり顔でそう言った。
隊員たちはジョセフの博識ぶりに感心し、誰もそれが異世界の言葉だと気づく者はいなかった。
宿営地に戻った第77輸送小隊は、することがなかった。装備の手入れは終わった。荷台の点検も終わった。ダオが木を削り、タンが腕立て伏せをし、ノイが耳を澄ませ、ビンが昼寝をしていた。
そこにマルチが戻ってくる。
「また取調官が来るらしいですよ」
マルチが小声でジョセフに言った。
「何度目だ」
「五度目です」
「……また同じことを聞くのか」
ジョセフはため息をついた。
「隊長、聞き取りは大事なことです」
とマルチ。
「わかってる。でも、五度目になると答える気力が」
「そのお気持ちもわかりますけどね……」
そこで宿営地の外に人影が現れた。
取調官らしき人物だ。しかし、何かが違う。護衛がついている。たかだか取調官にだ。
さらに、帽子を深くかぶっていて。遠くからでは顔がはっきりとは見えなかった。
ビンが目を細めた。
「あの取調官、なんか……」
人影が帽子を少し上げた。
一瞬、沈黙が落ちた。
ジョセフは立ち上がった。
「……殿下」
セシリアは小さく頷いた。
「静かに。お忍びだ」
―――
宿営地の端、人目につかない場所で、ジョセフとセシリアは向かい合った。マルチが少し離れた場所で、周囲に目を光らせている。
「公式に来られない事情があってな」
セシリアは静かに言った。いつもの皇女の威厳とは少し違う、素に近い口調だった。
「今、私がどの派閥と接触したかで、政治的な意味が生まれる。その中で、お前の部隊は厄介な位置にいる」
「目撃者、ということですか」
「そうだ。お前たちの証言は、この事件の方向を決める可能性がある。だから、公式な取調官を送る前に、お前が実際にどう見ているかを聞きたかった」
「それにしては目立つような恰好でしたが……」
「茶化すな」
セシリアはジョセフに指摘されたことでほほを赤らめる。本人からしたら完璧な変装だったのだが、周囲はあの異様な雰囲気から感じ取るものがあった。
ただ、責任者も殿下に何かを言う度胸はないため、なにも訊かずにジョセフのところに通したのだった。
「どう見たかを答えればよい」
ジョセフは少し考えた。
「……正直に話していいですか」
「それ以外を求めてここまで来たわけではない」
「山賊の可能性はないと思います」
セシリアは黙って続きを促した。
「統率が取れていました。目的を果たしたら即座に撤退した。略奪は一切していない。山賊であれば、金品を奪わずに撤退する理由がない。あの連中は最初から、司祭を殺すことだけが目的だった」
「つまり、誰かに雇われた」
「そう思います。恨みが原因なら、もっと死体を激しく損壊させるでしょう。何度も刺すはずです」
セシリアは静かに頷いた。
「では、誰が?」
「外国勢力か、国内勢力か、どちらかだと思います」
ジョセフは続けた。
「ただ、外国勢力の可能性は低いと思っています」
「理由は?」
「バレた時のリスクが高すぎます。ラドン教の使者を殺せば、大陸中を敵に回す。外国が帝国を揺さぶりたいなら、もっと別の手を使うはずです。わざわざラドン教まで巻き込む必要がない」
セシリアは少し間を置いた。
「では、国内勢力だと」
「はい。それと、もう一つ気になることがあります」
「言え」
「場所です」
ジョセフは静かに言った。
「グレイ将軍の管轄地域で起きた事件です。外国勢力なら、その場所を選ぶことはしないでしょう。なにせ、国内では一番統制がとれている派閥です。人材も優秀なので、捜査能力が高い。しかし、国内勢力であれば、場所を選ぶ意味がある」
セシリアの目が、わずかに鋭くなった。
「グレイに責任を押しつけるためか」
「あくまで可能性ですが」
ジョセフはそこで言葉を止めた。
「他には?」
「……これ以上は、僕の口から言うのは問題でしょう。輸送部隊が政治的な判断をするのは越権行為です」
セシリアは少し口の端を動かした。
「相変わらず、線引きが明確だな。しかし、言いたいことはわかる。ハートフィールド侯爵を疑っているのであろう?」
「ああ、面倒なことになるから言わないでおいたのですが――」
ジョセフはセシリアにずばりと言われ困惑した。
結局うまい返しを考えられず、困って頭を搔いた。
「一つだけ聞く」
セシリアは静かに言った。
「お前は、どうしてハートフィールド侯爵だと思う?」
ジョセフはしばらく黙った。
「証拠はありませんが、レオンハルト様の陣営では、こうした荒事を手掛けるような判断ができる人材はいないように見えます。殿下も同様。しかし、アントワネット様を推す侯爵閣下は清濁併せ吞むというか、むしろ泥水を好む、悪食の鯉のようなものですから」
「中々言うではないか」
セシリアはジョセフの辛辣な評価に思わず噴き出した。
「ここだけの話ですよ」
セシリアは黙った。しばらく、二人の間に沈黙が続いた。
後ろで見ているマルチは、心にモヤモヤとしたものが芽生えた。
「……助かった」
セシリアは静かに言った。
「公式の取調官では、こういう話は聞けない。書類に残るものしか聞けないからな」
「お役に立てたなら」
「立てた」
セシリアは帽子を深くかぶり直した。
「お前たちの証言は、参考になった。しかし、これは私だけに話すだけでよい。記録にも残さぬしな」
「わかりました」
人影が宿営地の外に消えた。
マルチが緊張から解放されて、ホッとした表情に戻る。
「……殿下、本当にお忍びで来られましたね」
「そうだね」
「護衛も最小限で。危なくないんですか」
「殿下を倒せる刺客なんて、この大陸に何人いると思う?」
ジョセフは空を見上げた。
ビンが遠くから声を上げた。
「隊長、取調官は?」
「終わった」
「早いですね」
「要点だけ聞かれたから」
ビンは首を傾けた。それ以上は聞かなかった。
宿営地に、また静けさが戻った。




