第46話 大陸の波紋
ラドン教皇領に知らせが届いたのは、襲撃から五日後のことだった。
アリアは報告を聞いて、しばらく黙っていた。
侍女が恐る恐る顔を上げた。アリアの表情は、穏やかだった。いつもと変わらない、柔らかい笑顔だ。
しかし、その目は違った。
「……もう一度言いなさい」
「は、はい。帝国への道中、使者の馬車が襲撃を受けました。司祭様は……お亡くなりになりました」
沈黙が落ちた。
アリアは窓の外を見た。教皇領の空は、今日も澄んでいた。
「神の使者を」
静かな声だった。しかし、その静けさは嵐の前のものだった。
「神の使者を、殺した」
アリアは振り返った。その顔から、穏やかさが消えていた。
「神をも恐れぬ行為だ。大陸中の信徒が、この報を聞けば何と思うか。悪魔の復活を思うことでしょう」
侍女は黙って頭を下げた。
「帝国に書簡を送りなさい。即刻犯人を見つけよと。それと――」
アリアは少し間を置いた。
「戴冠式は無期限延期だとも。神を敬わぬ者がいる国に、神の祝福は与えられない」
「……はい、猊下」
侍女が退室した後、アリアは一人で地図を見た。
(誰がやった。帝国の内部抗争か。それとも外部か)
目的がわからない。しかし、結果として戴冠式が延期になった。自分の計画が、誰かに邪魔された。
アリアは静かに奥歯を噛んだ。
(見つけ出す。必ず。神の威光を大陸の隅々まで行き渡らせるのに、どれほどの時間がかかったと思っているの。教団に害をなすものは全て天罰が下ると示さねば)
―――
帝国への書簡が各国に知れ渡るのに、さほど時間はかからなかった。
ハイドロジェン王国の王都アクアリスで、エリオット将軍はその知らせを聞いた。
「ラドン教が帝国に書簡を。戴冠式は無期限延期か」
バルトロ中将が地図を見ながら言った。
「帝国の混乱が長引く。好機といえば好機だが」
「我々に動く力はない」
エリオット将軍は静かに言った。
「二度の戦争で、兵も民も疲弊している。今攻め込めば、勝てたとしても国が持たない」
「では、静観か」
「それは我々が決めることではない。政治家と陛下次第だが、静観だろうな。ただし、目は離すな。これが帝国内部の仕業だとしたら、暴発する可能性が高い。戦火は燃え移るからな」
バルトロ中将は頷いた。窓の外に、戦争で男が減った街並みが広がっていた。
―――
ポロニウム公国の情報局で、カイル・モスは報告を受けていた。
「使者襲撃は我々の仕込みではありません。誰がやったのか、現時点では不明です」
「そうか」
カイルは静かに答えた。
「しかし、結果として帝国の混乱が続く。悪くはない」
「追加で何か手を打ちますか」
「今は動くな」
カイルは地図を見た。
「誰かが動いている。その者が誰かを見極めてから判断する。下手に動いてこちらが犯人だと勘違いされたくはない」
部下は黙って頷いた。
悪くない状況だなと、稀代の策士は静かに笑う。
―――
ネオン共和国の議会では、この知らせを巡って議論が続いていた。
「帝国の混乱は我々にとって好都合だ。国境付近の圧力が弱まっている」
「しかし、ラドン教を敵に回した帝国がどう動くかわからない。内部が固まれば、矛先がこちらに向く可能性もある。雨降って地固まるというではないか」
「ならば、今のうちに国境の防備を固めるべきだ。いや、教皇領に掛け合って、討伐軍を結成すべきだ」
「しかし、我が国だけがそう言って、賛同を得られなければ、帝国の恨みは我が国に向かうぞ」
議論は続いた。結論は出なかった。ネオン共和国の議会は、いつもそうだった。
―――
アルゴン連邦の評議会でも、同様の議論が行われていた。
「静観が賢明だ」
評議長が短く言った。
「帝国が揺れている間は、こちらから仕掛けない。しかし、隙があれば国境付近の係争地を取り戻す準備は整えておく」
評議員たちは頷いた。
反帝国派が勢いづく。親帝国派の議員たちは、頼りにしている帝国の凋落に声が小さくなっていた。
―――
クリプトン帝政の皇帝執務室で、老いた皇帝は報告を聞いた。
「ラドン教の使者が殺された。帝国で皇位継承争いが続いている」
皇帝は窓の外を見た。長い沈黙の後、静かに言った。
「我が国は今は動かぬ。しかし、どこかにチャンスはあるだろう。長年の因縁に決着をつけるときが近いな」
側近たちは黙って一礼した。
―――
帝国の同盟国、カルシウム王国の王宮では、動揺が広がっていた。
国王ヴィルヘルムは側近たちを前にして、額に手を当てていた。
「ラドン教が帝国に書簡を送った。戴冠式が延期になった。帝国はいったいどうなっているんだ」
「同盟国として、何らかの声明を出すべきでしょうか」
「しかし、どの派閥を支持するかで、立場が決まってしまう。むしろ、距離を取った方がラドン教の印象も良いのではないか?」
「帝国が安定するまで、静観するしかないのでは」
ヴィルヘルムは深くため息をついた。
「同盟国が揺れているというのに、何もできないとは」
側近の一人が静かに言った。
「陛下、しかし今の帝国は、どこに声をかければよいのかすら、わかりません。グレイ将軍か。クラウディア妃か。アントワネット殿下か。どこかに声をかければ、他を敵に回すことになります。同盟国とはいえ、国力の差は歴然。対応を誤らないのが最善でございます」
ヴィルヘルムは黙った。
「……様子を見よう」
それしか言えなかった。
カルシウム王国の空は、帝国と同じく曇っていた。




