第44話 目撃
道が細くなり始めた頃、ビンが言った。
「悪い予感しかしないですね」
ジョセフは馬上から前方を見たまま答えた。
「どうして」
「なんとなくです。空気が変というか」
タンが荷台の上から言った。
「お前はいつもそれを言う」
「でも当たるでしょう」
「……否定はできないが」
マルチが小声でジョセフに言った。
「ビンの勘は、わりと侮れないんですよね」
「知ってる。ただ、言葉には魂が宿るっていうからね。口にしたらそれが実現する方向に動いているってのもあるんじゃないかな」
思い出すのは前世の大学での講義。予言の自己成就やエディプス効果、ピグマリオン効果である。
オキシジェン帝国では、そんな研究はされておらず、そうしたものがあると知っている者はいない。
ジョセフは空を見上げた。曇っていた。
曇りというには雲の占める面積は小さく、気象的には晴れに分類されるが、前世を思い出したことで、気持ちは曇天となっており、それが影響していた。
国境付近の空は、帝都より低く感じる。山が近いからだろう。
セシリアの領地への輸送任務だ。辺境の砦に物資を届ける。単純な仕事のはずだった。
「何があっても、荷は守る。それだけ頭に入れておいてくれ」
「了解です」
とビン。
「荷より命では」
とタン。
「荷を守るのが仕事だが、その時考えようか」
とジョセフ。
みんなが笑う。
―――
それが起きたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
街道から少し外れた林の向こうで、叫び声が聞こえた。続いて、金属がぶつかる音。馬の嘶き。
ジョセフは手を上げて部隊を止めた。
「静かに」
全員が動きを止めた。
ノイの耳がぴんと立った。
「複数の人間。激しく動いています。林の向こう、百メートルほど」
「マルチ、ダオ、様子を見てきてくれ。姿は見せるな」
二人が音もなく林に入った。
残った部隊は荷台のそばで待った。ビンの尻尾が動いていない。
戻ってきたマルチの顔は、硬かった。
「馬車が襲われています。ラドン教の紋章が入った馬車です。護衛はほぼやられています。野盗のようですが、動きが統率されていて……」
マルチは少し間を置いた。
「司祭らしき人物が、倒れていました。もう動いていません」
ジョセフは黙った。
「護衛の生き残りは」
「二人。まだ抵抗していますが、もう限界です」
ジョセフは荷台を見た。物資がある。任務がある。しかし。
「ナム、荷台を頼む。残りは来い」
―――
林を抜けた時、戦闘はほぼ終わっていた。
馬車の周囲に、護衛の兵士たちが倒れていた。二人だけが、背中を合わせてまだ立っていた。しかし、もう限界だった。
野盗に扮した男たちが、とどめを刺そうと踏み込んだ瞬間だった。
「止まれ」
ジョセフの声が林の縁から響いた。
男たちが振り返った。
亜人を含む部隊が、林の縁に並んでいた。数は少ない。しかし、その静かな目が、男たちの足を止めた。
護衛の二人がその隙に後退した。
男たちは顔を見合わせた。目的は果たした。司祭は仕留めた。これ以上、余計な戦闘をする理由はない。
林というのは木が邪魔して、槍は使いづらいし、矢も当たりにくい。
わずかな人数の差であれば、個々の身体能力で覆せる。相手はジョセフ達の力量をはかっており、すぐには動かなかった。
一人が後退した。それが合図になった。男たちが散り始めた。
―――
少し離れた木陰で、ダニエルは撤退する部下たちを確認しながら、林の縁に並んだ輸送部隊を見ていた。
「……見られたか」
アッテンボローが青ざめた顔で言った。
「あの輸送部隊、どこの所属ですか」
「わからん」
ダニエルは目を細めた。
遠すぎて細かいところまでは見えなかったのである。それが憎きジョセフであっても、ダニエルはわからなかった。
「しかし、亜人を連れている」
アッテンボローの顔がさらに青くなった。
「まさか……ラザフォードの庶子では」
ダニエルは黙った。距離がある。顔まではわからない。しかし、亜人を連れた輸送部隊という特徴が、頭の中で一つの名前と結びついた。
「……撤退だ」
「顔を見られましたかね」
「距離がある。わからん」
ダニエルは馬を返した。
「ただ――」
アッテンボローは続きを待った。
「あの男が相手なら、消すまでだ」
二人は林の中に消えた。
―――
ジョセフは馬車に近づいた。
御者が震えながら馬車の陰に隠れていた。生き残った護衛の二人が、膝をついていた。馬車の中で、修道服の人物が倒れているのが見えた。もう動かなかった。
「他に生存者は」
護衛の一人が、かすれた声で答えた。
「……司祭様が。司祭様が……」
言葉が続かなかった。
ジョセフはしばらく馬車を見ていた。それから、逃げた男たちが消えた方向を見た。
野盗にしては、統率が取れていた。目的を果たしたら即座に撤退した。略奪もしていない。
(野盗ではないよな)
しかし、誰かまではわからなかった。
「マルチ」
「はい」
「護衛の二人を手当てしてくれ。それと、この馬車は砦まで一緒に連れて行く。このまま置いておけない」
「わかりました」
ビンが小声でジョセフの隣に来た。
「……悪い予感、当たりましたね」
「疫病神でもいるのかねえ」
ジョセフは曇った空を見上げた。
「ラドン教じゃあ、神様ってのは一人でしょう?」
「そういうことになっているが、宗教はラドン教だけじゃないよ」
「まあ、そりゃあそうですがね」
「それに、ラドン教の神様、ウランが本当に全知全能なら、なんで司祭が殺されるんだい?可愛い自分の子だろう?」
「たしかに。薄情な親もあったもんで」
そこまでで会話を終わりにし、ビンは職務に戻った。
ラドン教の使者が殺された。この情報を、砦で誰かに伝えなければならない。
荷台が動き始めた。街道が、曇った空の下に続いていた。




