第41話 夜会
夜会は、クラウディアが主催した。
先帝の喪が明けて最初の社交の場だ。帝都の貴族たちが顔を揃え、新しい秩序を確かめ合う夜でもあった。
誰が帝国の支配者なのか。それを知らしめるための夜会である。
ルーカスは気が進まなかった。
「軍の再編問題が山積みですが……」
「将軍が顔を出さなければ、示しがつきません」
クラウディアは微笑んだまま言った。
「一刻だけでいい。ルドルフも顔を見せたがっています」
ルーカスは少し間を置いた。
「……一刻だけならば」
クラウディアは満足そうな笑顔になる。
それとは対照的に、エリックが後ろで小さくため息をついた。
―――
夜会の会場は煌びやかだった。
シャンデリアの光が、貴族たちの宝飾品を照らしている。笑い声と楽器の音が混ざり合い、帝都が平和であるかのような錯覚を作り出していた。
ルーカスは人の輪の中に立っていた。笑顔だった。誰に話しかけられても、爽やかに応じた。
その様子を、会場の端から見ている娘がいた。
ルイーゼ・ハートフィールドだった。
侯爵家の娘として育てられた、典型的な上流の令嬢だ。
ルーカスを見た瞬間、何かが止まった気がした。
(あの方は……)
爽やかな笑顔。均整の取れた体格。誰に対しても変わらない落ち着いた所作。夜会の場に慣れた貴族たちとは、何かが違った。
隣にいた友人が囁いた。
「ルイーゼ、あれがルーカス・グレイ将軍よ」
「あのお方がグレイ将軍。名前だけは知っていたわ」
「素敵でしょう。帝国中の令嬢が狙っているわ」
ルイーゼは答えなかった。
その目は、ルーカスから離れなかった。
―――
一方、会場の隅でエリックが隣にいる軍服姿の若い女性に小声で話しかける。
彼女の名前はハンナ・ヴォルフ。エリックが最近取り立てた副官である。
「将軍、もう三十分経ちます。そろそろ……」
「まだ一刻には早い」
ルーカスは笑顔のまま、小声で返した。
ハンナは無言で時計を確認した。
「あと二十分です」
「正確だな」
「物資の納期管理と同じです」
エリックが吹き出しそうになるのを堪えた。ルーカスは一瞬だけ、本物の笑顔を見せた。
―――
夜会から数日後、ハートフィールド侯爵邸の応接室で、ルイーゼは父と向かい合っていた。
「父上、先日の夜会で素敵な殿方をお見かけしました」
侯爵は書類から目を上げた。
「ほう」
「グレイ将軍とおっしゃる方です。あの落ち着いた物腰、誰に対しても変わらない笑顔……」
侯爵の顔が、みるみる険しくなった。
「……ルイーゼ」
「はい」
「グレイと言ったか」
「はい。本当に素晴らしい方で——」
「黙れ」
静かな、しかし有無を言わせない声だった。
ルイーゼは口を閉じた。
「あの男は、我々の敵だ。二度とその名を口にするな」
ルイーゼは一礼して退室した。
廊下に出ると、胸の中に小さな炎があった。
(敵、ですって)
父が何を言おうと、あの笑顔は忘れられなかった。
炎は消えなかった。むしろ、少し大きくなった気がした。
―――
同じ頃、軍の執務室でルーカスは書類に目を通していた。
人事の書類だ。
「セス・バーンを第三大隊長に。オーガスト・クロウを参謀次席に。マーカス・ドレイクを補給総括に」
エリックが一つ一つ確認した。
「異論が出ます。三人とも若すぎると」
「能力がある」
「既存の上官たちが納得しません」
「納得させる必要はない」
ルーカスは書類に署名した。
「結果を出せば黙る。出せなければ替える。それだけだ」
エリックは黙って書類を受け取った。
ハンナが補給の資料を持って入ってきた。
「将軍、北部砦への物資輸送の件ですが、現行のルートでは三日の遅延が出ます。迂回路を使えば一日短縮できます」
ルーカスは資料に目を通した。
「迂回路のコストは」
「燃料が一割増しになりますが、到着の遅延による備蓄不足を考えれば十分元が取れます」
「採用だ。手配してくれ」
ハンナは一礼して退室した。
エリックが小声で言った。
「あの娘、どうでしょう?使えますよね」
「ああ」
ルーカスは次の書類に目を移した。
「左遷されていたのが不思議なくらいだ」
「上司と対立したそうです。上司の方が間違っていたようですが」
「そういう話はよく聞く」
ハンナは元居た部署で無能な上司と対立し、左遷させられていた。
そんなよく聞く話であったが、再編過程でエリックの目に留まって、こうして今の仕事になったのであった。
―――
夜、ハートフィールド侯爵邸の一室に、数人の将校が集まっていた。
グレアムが静かに言った。
「能力主義の推進、若手の要職登用。既存の序列が崩れ始めています」
将校たちは黙って聞いていた。
「皆さんの功績が、正当に評価されない時代になりつつある。侯爵閣下は、それを憂いておられる」
一人が低い声で言った。
「グレイのやり方は性急すぎる」
「同感だ。軍とは経験と序列で動くものだ」
「若造に指揮されるくらいなら」
グレアムは静かに微笑んだ。
その夜、侯爵に密かに忠誠を誓う者がまた増えた。
帝都の夜は、静かに深まっていった。




