第4話 血
帝都に戻ったジョセフを待っていたのは、ラザフォード公爵家からの呼び出しだった。
ジョセフは普段は官舎暮らし。公爵家には母がいるため、時折顔は出してはいる。
また、今回のように、呼び出されることもたまにはあった。
ただし、敷居が高いというか、寄り付きたくないという気持ちが強い。
公爵邸の応接間は広く、天井が高かった。調度品のひとつひとつが、平民の一年分の給金に相当するような部屋だ。ジョセフはそこに通され、向かいのソファに座る二人の男を見た。
長男のエドワードは三十手前で、父親に似た整った顔立ちをしていた。物腰は柔らかく、口元には常に薄い微笑みが浮かんでいる。一見すると温厚な貴族の嫡男に見えた。
次男のヘンリーは二十代半ばで、体格がよく、顔に感情が出やすいタイプだった。ジョセフが部屋に入った瞬間から、すでに不快そうに眉をひそめている。
「ジョセフ。久しぶりだね」
エドワードが先に口を開いた。
「兄上。ご無沙汰しております」
「戦場から戻ったと聞いて、父上がお会いになりたいと。まあ、輸送部隊とはいえ、無事でよかった」
無事でよかった、という言葉の裏に、何かが滲んでいた。輸送部隊とはいえ、という一言が、さりげなく刺さるように置かれていた。
「おかげさまで」
ジョセフは表情を変えずに答えた。
「それにしても、聞いたよ。ギーレン将軍を相手に砦を守ったとか。いや、逃げ出したんだってね。まったく、偶然とは恐ろしいものだね。爆発が起きなければどうなっていたか」
エドワードはにこやかに言った。偶然。その一言に、すべての功績を消す意図が込められていた。
「全くです。運がよかった」
ジョセフはあっさりと同意した。
その返答に、エドワードが一瞬だけ表情を揺らした。反論を期待していたのかもしれない。だが次の瞬間にはまた笑顔に戻っていた。
「謙虚なのはいいことだ。ただ、あまり目立つのも考えものだよ。家のことを考えると、ね」
「肝に銘じます」
「あと、亜人の部隊を率いたというのも……父上は少し気にしておられた。ラザフォードの名がそういう形で広まるのは、いかがなものかと」
その言葉が終わる前に、ヘンリーが口を挟んだ。
「兄上、回りくどい」
ヘンリーはジョセフを真っ直ぐに見た。隠す気がまるでない、剥き出しの敵意だった。
「お前は庶子だ。母親は平民で、父上が哀れんで認知してくださっただけの存在だ。それが戦場で目立ったからといって、調子に乗るなよ。家の格を汚す気か」
部屋が静まり返った。
ジョセフはヘンリーを見た。怒りもなく、傷ついた様子もなく、ただ静かに。
「おっしゃる通りです」
「……それだけか」
「他に何かありますか」
ヘンリーは拍子抜けしたように黙った。怒鳴り返してくることを期待していたのだろう。感情的な反応を引き出せなければ、攻撃は空振りになる。
エドワードが咳払いをした。
「まあ、父上もお待ちだ。行こうか」
立ち上がる兄二人の背中を見ながら、ジョセフは静かに息をついた。
別に、傷つかないわけではない。ただ、怒るだけの気力が惜しかった。前世でも理不尽な上司はいた。怒鳴り返しても何も変わらないことを、体で知っていた。
受け流すのは、諦めではない。
ただの、省エネだった。
これが実家に足が向かない理由であった。
―――
同じころ、皇宮の一室では全く別の戦いが繰り広げられていた。
セシリアとアントワネットが向かい合っている。テーブルを挟んで、茶器が二つ。湯気が静かに立ち上っているが、室内の空気は凍りついていた。
「セシリア。最前線に出たそうね」
アントワネットが先に口を開いた。姉の声は穏やかで、しかし言葉の芯に棘があった。
「はい。必要と判断しました」
「皇族が前線に出る必要が、本当にあった? それとも、何か別の目的が」
「戦況の確認です。エリオット将軍とギーレン将軍が同時に動いた。ギフト持ちが二人、それぞれの戦場にいた。放置できる状況ではありませんでした」
「なるほど」
アントワネットは茶器を持ち上げた。
「それで、砦の件は。偶発的な爆発で敵将が死んだとか」
「そのように報告しています」
「随分と都合のいい偶然ね。いや、貴女が敵将と戦わなくてよかったと言うべきかしら?」
セシリアは答えなかった。
「ラザフォード公爵家の庶子が指揮を執っていたそうね。輸送部隊の少尉が」
アントワネットは茶を一口飲んだ。
「あなたが随分と気にかけているとか」
「報告書に必要な事実を記録しただけです」
一瞬の間が出来る。
「そう」
アントワネットは微笑んだ。姉妹で同じ顔をしているのに、笑い方がまるで違った。
「でも、あなたが庶子ひとりを記憶に留めるのは珍しいと思って」
「姉上こそ、なぜそれほど気にかけるのですか」
今度はアントワネットが答えなかった。
沈黙が数秒続いた。どちらも、表情を変えない。
「帝国のためよ」
アントワネットがやがて言った。
「皇位継承者として、帝国の利益を最優先に考えるのは当然でしょう」
「私も帝国のために動いています」
「方向性が違うかもしれないけれど」
「それは姉上の判断です」
アントワネットはしばらくセシリアを見ていた。それから静かに茶器を置いた。
「ひとつだけ言っておくわ、セシリア」
「はい」
「皇族が特定の人間に肩入れすると、その人間が政治の道具になる。それは、その人間のためにならない」
セシリアは一瞬だけ、何かを考えるように目を伏せた。
「……忠告、受け取ります」
「よかった」
アントワネットは立ち上がり、扉へと向かった。その背中に、セシリアは静かに言葉を添えた。
「姉上も、お気をつけて。政治の道具を増やしすぎると、どこかで手が足りなくなります」
アントワネットの足が、一瞬だけ止まった。
しかしすぐに動き出し、扉が閉まった。
残されたセシリアは、冷めかけた茶を見つめた。
脳裏に、煤で汚れた軍服の少尉の横顔が浮かんだ。それをすぐに、意識の外へと押しやった。




