第39話 峠の検問
昼過ぎの峠道は、静かだった。
空は晴れ渡り、風はない。帝国に立ち込める暗雲と天気は全くの別物であった。
荷台がゆっくりと坂を登る。車輪が路上の凹凸を越えるたびに、積み上げた物資が小さく揺れた。
ジョセフは馬上から前方を見ていた。
道が細くなる手前に、人影があった。十数人。帝国軍の装備。道を塞ぐように並んでいる。
おや、っと思ったがこうした峠道では、何らかの事情があって逃げる者たちが通るのが常。であれば、軍の検問なども行われることも多い。
実際、過去に何度かは検問に遭遇している。今回もそんなところであろうと考えた。
「止まれ」
先頭の男が手を上げた。
ジョセフは荷台を止めた。
「輸送部隊か」
「第77輸送部隊、ジョセフ・ラザフォード少尉であります」
「亜人が物資横流しの嫌疑あり、目録と荷の照合が必要だ。命令だ」
ジョセフは男たちを眺めた。
装備は一見、本物に見えた。しかし何かが引っかかった。うまく言葉にできない種類の違和感だ。並び方か。目の動きか。あるいは、声の出し方か。
そもそも、物資横流しの嫌疑であれば、わざわざこんな峠道で待ち伏せせず、目的地で待ち構えるか、その後呼び出せばよいはず。
何故今なのかということであるのだが、ジョセフはこの時、そこまで考えが至っていなかった。
ジョセフは少し間を置いてから、言った。
「命令書を確認させてほしい。それと、誰の命令か」
「グレイ大佐の命令だ。これがその命令書だ」
ジョセフは動かなかった。
男がそう言った瞬間、ジョセフの中で何かが静かに確定した。
グレイは将軍だ。先日の任命は軍全体に通達されている。グレイの配下であれば、大佐などとは呼ばない。呼べるはずがない。グレイ将軍を大佐と呼ぶ部下がいるとすれば、それはグレイの部下ではない人間だけだ。
さらに、命令書には将軍という階級が記載してある。
つまり、この目の前の兵士たちは、命令書の内容を確認していないというわけである。
それもそもはず、ダニエルが集めたならず者たちは、文字が読めなかったのである。だから、偽の命令書に何が書いてあるかは、ダニエルからの説明だけの情報だったのである。
その情報には、ルーカスが将軍になったというのは無かった。
軍人であるダニエルは当然知っているはずと思い込み、敢えて付け加えるようなことはしなかったのだが、彼らはギフト持ちのルーカス・グレイ大佐という情報のまま止まっていたのである。
(偽物だ)
ジョセフはゆっくりと馬から降りた。
その動作の中で、後ろに続く部下たちへ視線を走らせた。目配せだけで伝える。言葉はいらなかった。
ダオが小さく頷いた。タンが目を細めた。ノイの耳がわずかに動いた。ビンの尻尾が、すっと静止した。
「わかった」
ジョセフは先頭の男に向かって言った。
「確認しよう。目録はこちらが持っている。荷台のそばで照合した方が早い」
男たちは顔を見合わせた。想定通りに進んでいると思ったのだろう。警戒が、わずかに緩んだ。
それで十分だった。
ジョセフの部隊が動いたのは、ほぼ同時だった。
各自が最も近い二人へ向かった。声を上げる間も、振り返る間もなかった。ダオが、タンが、ノイが、ビンが、それぞれ二人ずつを沈めた。マルチも動いていた。
一瞬の出来事だった。
残った男たちが状況を理解した時には、仲間の半数以上が地面に倒れていた。
数の差が、逆転していた。
「さて」
ジョセフは残りの男たちを静かに見渡した。
「話を聞かせてもらえるか。誰に頼まれた?」
峠道に風が吹いた。
いつもであれば、涼しいと感じる風であるが、今は誰もが極度の緊張状態にあり、そんな感覚はなかった。全ての神経を目の前の敵に向けている。
男たちは、誰も動かなかった。
ジョセフが口を開こうとした、その瞬間。
石が飛んだ。
鈍い音がして、先頭にいた男が崩れた。続けて二つ、三つ。石は正確だった。
ジョセフは振り返った。
荷台の上で、ナムが次の石を構えていた。小柄な体に似合わない、落ち着いた目をしていた。
「ナム」
「喋らないなら、いらないでしょう。武器を置く素振りを見せないってことは、危険なままです」
ジョセフは少し考えた。
「……まあ、そうだね」
残った男たちが我に返って逃げ出した。その中に、岩陰から飛び出してきた一人が混じった。他より装備がいい。足が速い。しかし、覆面をしていて、それが誰だかわからなかった。
隊員たちは足元の石を拾って、逃げる者たち目掛けて投げつけた。
次々と命中し、覆面の男以外は地面に倒れる。
その間にも、覆面の男は距離を稼ぐ。
マルチが追おうとした。
「いい」
ジョセフは言った。
「追うな」
「しかし」
「深追いするな。任務がある。これが陽動で、追いかけている最中に、荷物を奪われることだってあるから」
マルチは足を止めた。
人影が、峠道の向こうに消えた。
―――
ダニエルは走り続けた。
息が上がっていた。足がもつれた。それでも止まらなかった。
覆面は口まで覆っており、吸い込む空気の量が少ない。だから、いつもより苦しかった。
失敗した。全員やられた。自分だけが逃げた。
頭の中で、エリザの顔が浮かんだ。
また報告できなかった。また、あの墓の前に立てなかった。
ダニエルは走りながら、奥歯を噛んだ。
終わっていない。まだ終わっていない。次がある。必ず次がある。
峠道の風が、後ろから吹きつけた。
―――
執務室で、フィリップ・グレアムは報告を聞いていた。
「作戦は失敗。ダニエル中佐は単独で逃走。現在行方不明です。それと、襲撃者たちが軍の装備品を所持していたことで、各派閥に調査が入るようです。グレイ派が陰謀だと関与を否定し、クラウディア妃が支持したことで、平等に調査を行うことになりました」
グレアムは少し黙った。
失敗した。それ自体は想定の範囲だった。しかし、ダニエルが生きて逃げたのは計算が狂った。あの男が知っていることは多い。グレイの装備を使ったことも、酒場での密議も。場合によっては、皇太子の暗殺犯でっちあげも。どこまで喋るか。
「アッテンボローは」
「こちらも姿が見えません。ダニエル中佐の失敗を聞いて、逃げたかと」
グレアムは静かに立ち上がり、窓の外を見た。
帝都の街並みが広がっていた。どこにでも消えられる場所だった。
「探せ」
「はい」
「ただし、目立つな」
部下が下がった。
グレアムは窓の外を見続けた。
ダニエルもアッテンボローも、見つからなかった。




