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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第35話 大義名分

 ラドン教皇領の教皇の私室で、アリアは報告を聞いていた。

 侍女が静かに言う。


「オキシジェン帝国では喪に服すための停戦が実現しました。ハイドロジェン王国とだけではなく、各派閥が一時的に矛を収めております」

「そう」


 アリアは穏やかに答えた。しかしその目は、穏やかではなかった。


「停戦だけか」

「はい。皇位継承については、いまだ合意に至っておりません」


 アリアは窓の外を見た。

 停戦は実現した。それは一歩前進だ。しかし、アリアが求めているのはそれだけではない。

 戴冠式だ。


 新しい皇帝が即位する瞬間に、ラドン教の教皇が立ち会う。神の名のもとに戴冠する。その場面が、ラドン教の権威を大陸に示す最大の機会だ。

 しかし、皇帝が決まらなければ戴冠式もない。


(まったく、人間というのは)


 アリアは内心で舌打ちした。もちろん、顔には出さない。


「引き続き、監視を続けなさい。それと、圧力をかけるのも忘れずに」

「はい、猊下」


 侍女が退室した後、アリアは一人で地図を見た。

 帝国の混乱が続けば続くほど、ラドン教の出番が増える。人の心の不安に付け込むのが宗教だからだ。

 それはわかっている。しかし、混乱が長引けば、介入の機会も複雑になる。

 適度に混乱し、神の名のもとに新しい皇帝に冠を授ける。そうした演出がしたいのである。


(これ以上は逆効果。早く決めてくれ、と言いたいところだが……)


 アリアは小さくため息をついた。


「神のご意志を凡下に知らしめなくては」


 その声は、穏やかで優しかった。



―――



 帝国の法務局が判断を下したのは、葬儀から十日後のことだった。

 皇位継承権の相続を認める。

 アルベルト皇子の継承権は、遺児ルドルフ皇子に相続される。

 その判断が出た瞬間、クラウディアは動いた。

 翌日には、コンラート討伐の軍を結成する宣言が出された。正当な権利を得て、皇位継承順位一位であったのに、僭称という汚名を着せられ、離宮を包囲した罪への追及、という名目だ。


 そして同日、クラウディアはルーカス・グレイを将軍に任命した。


 帝国軍の総司令。シュトルム将軍はルドルフ皇子が帝位を継承する道筋が出来たとして引退。空位だったその地位に、下級貴族出身の三十代の男が就いた。


 伝統派の貴族たちは、その知らせを聞いてざわめく。

 ハートフィールド侯爵の元にあつまり、これを覆すべく策を練った。


 グラーフェンベルク侯爵邸で、ヘルマンは報告を聞いた。


「法務局の判断が出ました。クラウディア様はすでに討伐軍の結成を宣言されております。それと、ルーカス・グレイを将軍に任命されました」

「早いな」


 ヘルマンは静かに言った。

 想定内だった。しかし、娘の動きが自分の計算より一歩早い。将軍任命まで同日に済ませるとは。


(まあ、いい。方向は正しい)


 ヘルマンは指を組んだ。


「グレイは討伐に動くか」

「はい。討伐軍の指揮は直接グレイ将軍が執るとのことです」

「そうか」


 ヘルマンは少し考えた。

 ルーカスが帝都を離れる。その隙に何かを仕掛けることもできる。ハートフィールド侯爵が大人しく引き下がるとは思えなかった。


(もう少し、様子を見よう)


 気がかりなことはあったが、それをうまく言語化できず、様子見という判断をした。



―――



 コンラートが逃げ込んだのは、ファーレンハイト侯爵領だった。

 クラウス・ファーレンハイト侯爵は、七十がらみの穏健な老人だ。争いを好まない。しかし、皇族が助けを求めてきた以上、門を閉ざすことはできなかった。

 ましてや、コンラートの母親は自分の娘である。つまり、孫が頼ってきたのだ。これを断ることは出来なかった。


「殿下、しばらくここにおられてください」

「侯爵、感謝する」


 コンラートは震える声で言った。


「私は謀反などしていない。ただ、正統な継承を求めただけだ」

「わかっております」

「あの女が法務局の役人を買収したに違いない」


 クラウス侯爵は静かに頷いた。しかしその目には、困惑の色があった。


 この戦いに勝てる見込みはない。ルーカス・グレイが率いる討伐軍が来れば、自分の私兵では太刀打ちできない。

 しかし、逃げてきた孫を見捨てることもできない。


 クラウス侯爵は老いた体で、覚悟を決めた。



―――



 ハートフィールド侯爵邸の密室で、侯爵はダニエルとアッテンボローを呼んでいた。正確にはグレアムが呼んだのであるが。

 アッテンボローは久しぶりに、人に必要とされる感覚を味わっていた。


「グレイが討伐に向かう」


 グレアムは低いトーンで言った。


「その隙に、動こうと思う」

「何をすればよろしいですか」

「ルドルフ皇子の離宮に近づける者を探すまでの時間を稼いでもらいたい」


 グレアムは続けた。


「あの幼帝を……排除できれば、クラウディアも力を失う。なにせ神輿を失うのだからな」


 アッテンボローの目が光った。


「承知しました。して、我らは?」

「特別任務を頼む。ただし」


 グレアムは静かに言った。


「失敗は許されない。そして、この話は誰にも」

「もちろんです」


 グレアムが二人に与えた任務は、ファーレンハイト侯爵との接触。

 ハートフィールド侯爵が軍を動かし、帝都をおさえる。そして、背後からグレイの軍を攻撃するので、それまで耐えてほしいと伝えるというものであった。

 密書を送るのでは、途中で奪取される可能性があるので、口頭で伝えるようにというものであった。


 ダニエルとアッテンボローは一礼して退室した。


 そして、グレアムと侯爵は残って、笑った。


「現状ですとグレイの勢力とぶつかっても勝ち目は薄いですが、コンラート殿下とファーレンハイト侯爵が悲惨な最期をとげれば、こちらになびく貴族も多いことでしょう」

「ファーレンハイトには悪いが、人柱になってもらうか」


 侯爵は口の端を動かした。

 密約を守るつもりは、最初からなかった。

 他の日和見を決め込んでいる貴族たちに、ルドルフ、クラウディア、グレイのやりようを見せ、自陣に引き込むのが真の狙い。

 戴冠式前であれば、それはまだ皇帝ではないので、どうにでも覆せるというグレアムの策であった。



―――



 討伐は短かった。


 ルーカスが率いる軍が動き始めると、ファーレンハイト侯爵領の私兵は戦意を失った。侯爵は最後まで抵抗したが、寡兵では抗えなかった。

 ハートフィールド侯爵が動いてくれるという希望が、最後までの抵抗をさせたのだったが、もとより空手形。さらに、本当に助けるつもりでも、ルーカスの軍の勢いでは間に合わなかったであろう。


 侯爵は捕縛された。コンラートも捕縛された。

 コンラートは捕縛された瞬間から泣き始めた。


「許してくれ、許してくれ、私は謀反などしていない、ただ、ただ正統な継承を」


 言葉が続かなかった。

 そのまま帝都に移送され、判決を言い渡された。

 判決は死刑。


 処刑の方法を決めたのはクラウディアだった。

 その方法は火あぶり。

 邪悪な笑みを浮かべながら、火あぶりと口にしたクラウディアを見た者たちは、帝国の将来が暗くなるであろうと想像した。


 ルーカスは一瞬だけ、クラウディアを見た。その顔は穏やかだった。反対する理由もなかった。


 処刑の日、クラウディアは特別な見物席に座っていた。

 炎が上がり、コンラートの叫び声が響いた。

 クラウディアは笑っていた。


 その笑みを見ていた伝統派の貴族たちは、青ざめた。しかし、彼らの怒りが向いたのはクラウディアではなかった。

 将軍として処刑を執行したルーカス・グレイに向いた。

 彼らの間では、コンラート殿下とファーレンハイト侯爵を捕縛した、グレイこそが悪であるという考えで一致していた。


 ハートフィールド侯爵は、遠くからその様子を見ていた。そして静かに、貴族たちに囁き始めた。



―――



 グラーフェンベルク侯爵邸で、ヘルマンは報告を聞いていた。


「処刑が執り行われました。クラウディア様は……笑っておられたそうです」


 ヘルマンは黙った。

 少し間を置いてから、静かに言った。


「……笑っていたか」

「はい」


 ヘルマンは窓の外を見た。


 想定外だった。娘が処刑を命じるところまでは計算していた。しかし、笑いながら見物するとは。


(皇帝の母という立場を考えてほしいものだが……)


 ヘルマンは指を組んだ。

 しかし、まだ御せる。方向は変わっていない。ルドルフが皇帝として即位し、クラウディアが摂政となり、自分がその後ろで糸を引く。その筋書きは変わっていない。


(まだ大丈夫だ)


 ヘルマンは自分に言い聞かせた。


 帝都の空は、今日も曇っていた。


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