第34話 静観
第77輸送部隊の宿営地は、相変わらず静かだった。
休暇命令が続いている。亜人部隊の輸送は当面見合わせる、という上の判断は変わっていない。帝都が混乱している今、それどころではないのだろう。
ジョセフは荷台の車輪を点検していた。使わなくても、整備は必要だ。さもなければ、いざという時に動かない。
ビンが近づいてきた。
「隊長」
「うん」
「俺たちだけ油売ってていいんですかね?」
ジョセフは手を止めずに答えた。
「好都合だよ」
「好都合、ですか」
「ああ」
ジョセフは車輪から手を離して、ビンを見た。
「帝都が混乱している。各派閥が互いを牽制している。そういう時に、どこかに与すれば、後でしっぺ返しが来る。どこにも属さないのが一番賢い。上を目指すならそうもいかないだろうが、平穏無事に定年まで軍にいようと思えば、派閥色を出さずに嵐を乗り越えるのが一番だよ」
「でも、動かなくていいんですか。こんな時こそ、何かすべきじゃないかと」
「何を?」
ビンは少し考えた。
「わかりません。でも、なんか……もどかしいというか」
「そのもどかしさはわかるよ」
ジョセフは穏やかに言った。
「国が乱れていることを心配する気持ちはよくわかる。でも、僕たちは輸送部隊だ。荷を運ぶのが仕事で、宮廷政治は仕事じゃない」
「隊長は、今の状況をどう思っているんですか」
「どうとも思っていない」
ビンが首を傾けた。
「本当に?」
「本当だ」
ジョセフはまた車輪の点検に戻った。
「考えても変えられないことは考えない。変えられることだけ考える。今は整備だ」
ビンはしばらくジョセフを見ていた。
「隊長って、実家とも距離を置いてますよね」
「そうだね」
「ラザフォード公爵家に与すれば、いろいろ楽になるんじゃないですか」
「楽にはなるかもしれない」
ジョセフは短く答えた。
「でも、楽になった分だけ、誰かの駒になる」
ビンは少し間を置いた。
「……隊長は、駒になりたくないんですか」
「なりたくない」
「どうしてですか」
ジョセフは手を止めた。それから、空を見上げた。
「駒は、駒を動かす人間の都合で動く。僕は、自分の都合で動きたい」
ビンはしばらく黙っていた。
「自分の都合って、何ですか」
「今は、部隊の皆が怪我なく休暇を過ごすこと」
ジョセフはまた車輪に目を戻した。
「それだけだよ」
ビンは少し笑った。
「望みが小さいですね」
「そうかな」
「帝国が揺れてるのに、隊員の休暇かよって思いますよ、普通」
「実家の父や兄たちが悩んでいるようなことで、こちらも悩まなくて済むっていうのはいいものだよ」
ビンが吹き出した。
マルチが遠くから声をかけてきた。
「ビン、さぼってないで手伝ってください」
「はーい」
ビンが走っていく。
ジョセフは一人になった。
車輪を点検しながら、静かに考えた。
(帝都が揺れている。ルーカス・グレイが動いている。セシリア殿下は毎日遺体の前に立っている。各派閥は表立っての衝突はないが、この前のような離宮包囲から、暴発することなんて歴史上散々あった。だからといって……)
自分には何もできない。いや、正確には何もしない方がいい。
どこかに与した瞬間、それまで積み上げてきたものが、別の誰かのために使われる。
ジョセフは車輪から手を離した。
(まあ、なるようになるか)
いつもの、省エネな結論だった。
帝都の空は、今日も曇っていた。
―――
帝都臣民に、ようやく知らせが届いた。
皇帝の葬儀を、主要な皇族と貴族が連名で執り行うことになった。
誰も譲らなかった結果の、妥協だった。
セシリアはその決定を聞いて、カリナに言った。
「茶番だ」
「殿下……」
「父上の葬儀を、政争の道具にした挙げ句、誰も主催できないから連名で執り行う」
セシリアは窓の外を見た。
「父上が聞いたら何と言うだろうな」
カリナは黙っていた。
「……情けない、と言うでしょうか」
「言わないだろう」
セシリアは静かに言った。
「父上は、こういうものだと知っていたはずだ。それでいて、兄上暗殺の後、後継者を指名できぬままお隠れになったのだ。あともう少し存命で、後継者を指名できていれば回避できたと後悔はしているかもしれぬがな」
窓の外で、帝都の空がわずかに明るくなっていた。
葬儀の準備が始まる。ようやく、父が眠れる。父に対して厳しい評価をしながらも、セシリアは安堵していた。
―――
葬儀が終わった夜、セシリアはジョセフを呼んだ。
今度はカリナも同席している。
談話室に入ったジョセフを見て、セシリアは少し口の端を動かした。
「今回はカリナが同席している」
「殿下が呼んでくださった時は、誰かと同席するようにと言われましたので」
「……そうか」
セシリアはわずかに視線を逸らした。
「座れ」
ジョセフが向かいに腰を下ろした。
「今日の葬儀は、見ていたか」
「はい。遠くからですが」
「連名だ」
セシリアは静かに言った。
「誰も譲らなかった結果だ」
「そうですね」
「茶番だと思うか」
「まあ、正直なところでは」
ジョセフは少し考えてから答えた。
「でも、葬儀が執り行われたのは良かったと思います。殿下も、毎日ギフトを使わなくて済む。これでお役目から解放ですね」
セシリアは少し間を置いた。
「……知っていたのか」
「噂で聞きました」
「そうか」
セシリアは窓の外を見た。帝都の夜が広がっている。
しばらく沈黙が続いた。
「ラザフォード」
「はい」
「仮定の話をしていいか」
ジョセフは少し眉を上げた。
「どうぞ」
「お前と二人で、本気でやれば」
セシリアは静かに言った。
「帝国の頂点に立てると思うか」
カリナが息をのむ気配がした。
あまりの緊張から、ろうそくの炎が揺れるのがゆっくりと見えた気がした。
ジョセフはしばらく黙った。
「仮定の話として、ですか」
「そうだ」
「……ギフト二つあれば、力だけなら可能かもしれません」
ジョセフは慎重に答えた。
「ただ、力で頂点に立っても、統治できなければ意味がない。過去にもギフト持ちが武力で王になったことがありましたが、一代で国が滅びています。武力による、いや、武力のみの統治など不可能です」
「統治は別の話だ」
セシリアは続けた。
「力だけの話としてだ。国内の勢力を一つにまとめた後は、政治が出来る者に権力を移譲すればよい」
「それなら、可能性はあると思います」
ジョセフは静かに言った。
「殿下の氷のギフトと、僕のフロギストンがあれば、たいていの戦場では勝利出来るでしょう」
「そうか」
セシリアはしばらく黙っていた。
「お前は、そういうことを考えたことはないか」
「ないです」
ジョセフはあっさりと答えた。
「面倒なので」
セシリアが少し笑った。カリナも、後ろで小さく息をついた。
「面倒、か」
「はい。頂点に立ったら、その後が大変じゃないですか。毎日書類と会議と。輸送部隊の方が気楽です」
「気楽、か」
セシリアは少し間を置いた。
「お前は本当に、そういう男だな」
「そうですか」
「褒めているのか貶しているのかわからないな、と思うだろう」
「はい」
「褒めている」
セシリアは短く言った。
ジョセフは少し驚いた顔をしてから、いつもの飄々とした表情に戻った。
「ありがとうございます」
談話室に静寂が落ちた。
カリナは後ろで、じっと二人を見ていた。
(殿下は、こういう話をできる相手が、ずっといなかったのだろうな)
そう思った。
―――
談話室を出ると、廊下にマルチが待っていた。
ジョセフを見て、少し表情が和らいだ。
「何の話でしたか」
「帝国の政治だよ」
ジョセフははぐらかす。マルチもそれに気づいたが、敢えて追及はしない。
「政治、ですか」
マルチは話を合わせた。
「難しい話ですね」
「仮定の話だけどね」
二人は並んで廊下を歩き始めた。
「どんな仮定ですか」
「ギフトが二つあれば、帝国の頂点に立てるか、という話」
マルチが足を止めた。
折角はぐらかしたのに、直球を投げ込まれて驚いたのである。
「……それは」
「仮定の話だよ」
ジョセフは前を向いたまま言った。
「殿下が聞いてみたかっただけで、野心はないと思うよ」
「それで、隊長はなんと?」
答えによっては恐ろしいことになるが、マルチの好奇心はそれに打ち勝ち、ジョセフに訊ねた。
「可能性はあるかもしれないけど、自分には不向きだと答えた」
「なぜですか?」
「人はギフトでは支配できないから」
ジョセフは静かに言った。
「力で押さえつけることはできる。でも、それは支配だよね。人を統治するには、別のものが必要だ。法律とか、仕組みとか、信頼とか。そういうものを作るのは、ギフトとは関係ない。僕にはそっちの方が向いていない」
マルチはしばらく黙って歩いた。
「向いていない、というのは謙遜じゃないですか」
「謙遜じゃないよ」
ジョセフはあっさりと言った。
「本当に面倒だと思っている。毎日書類を読んで、貴族と話し合って、法律を作って。そんなことをするくらいなら、荷台を点検している方がいい。たぶん途中で嫌になって逃げだすよ。そんな人間が統治しようとしたら、国民も不幸になる」
マルチは少し笑った。
「隊長らしいですね」
「そうかな」
「そうですよ」
しばらく沈黙が続いた。
廊下の窓から、帝都の夜が見えた。
マルチはその夜景を見ながら、静かに言った。
「隊長なら、亜人差別のない国になると思います」
ジョセフは少し間を置いた。
「そう思うか」
「はい」
マルチは前を向いたまま言った。
「隊長は、私たち亜人を普通に扱う。特別扱いでもなく、見下しでもなく、ただ普通に。それが一番難しいのに、隊長には当たり前のことみたいで」
「当たり前だよ」
「当たり前じゃないんです」
マルチは静かに言った。
「私たちにとっては、当たり前じゃない」
ジョセフは黙った。
「だから」
マルチは少し笑った。
「隊長が帝国の頂点に立ったら、少しはましな国になるんじゃないかと思って」
「買いかぶりすぎだよ」
「そうでしょうか」
マルチはジョセフを見た。
「隊長には、向いていないかもしれない。でも、そういう人間が上にいた方が、私たちには都合がいい」
ジョセフは少し困った顔をした。
「それはプレッシャーだね」
「プレッシャーを感じてください」
マルチはそれだけ言って、前を向いた。
その口元に、小さな笑みが残っていた。
廊下の先に、帝都の夜が続いていた。




