表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/45

第31話 皇女の赤面

 翌朝、セシリアが目を覚ますと、カリナとリーナが部屋の前で待っていた。


 二人の顔を見て、セシリアは何かを悟った。


「……何ですか」

「殿下」


 カリナが静かに口を開いた。


「昨日のことについて、申し上げたいことがございます」

「昨日?」

「ラザフォード少尉をお呼びになったことです」


 セシリアは少し間を置いた。


「父上がお隠れになった日だ。誰かと話したかった。それだけだ」

「それはわかっております」


 カリナは丁寧に、しかしはっきりと言った。


「しかし殿下、考えてみてください。皇帝がお隠れになったその日に、皇女が一人の男性を私室の近くにお呼びになった」

「談話室だ。私室ではない」

「傍から見れば同じでございます。殿下以外に使いませんので」


 リーナが続けた。普段は取次役として控えているリーナが、珍しく口を開いた。


「殿下、すでに宮廷では噂になっております」

「……何の噂だ」

「ラザフォード少尉と殿下の関係についてです」


 リーナは視線を落とした。


「殿下がお父上を亡くされた悲しみの夜に、あの少尉を呼んで慰めてもらった、と。尾ひれがついて広まっております」


 セシリアは黙った。


「尾ひれとは」

「殿下がお泣きになっていたとか、少尉が殿下を抱きしめたとか。そもそも、時刻も日が落ちてからという事になっております。夜ともなれば、男女の間に何かあったのかと思われることもあるでしょう」


 カリナが答えた。


「事実無根の話が、事実のように語られております」


 セシリアの頬に、かすかに赤みが差した。


「……馬鹿馬鹿しい」

「馬鹿馬鹿しくとも、噂は力を持ちます」


 カリナは続けた。


「今は皇位継承を巡って各派閥が動いています。殿下の評判は、そのまま殿下の政治的な立場に直結します」

「わかっている」

「本当にわかっておられますか」


 カリナの声が、少しだけ低くなった。


「殿下、申し上げにくいのですが……気落ちしておられるのはわかりますが、あの方を呼ぶのは、もう少しお慎みください」


 沈黙が落ちた。

 セシリアは窓の外を見た。


「……気落ちしているように見えたか」

「はい」


 リーナが静かに答えた。


「あのような殿下は、初めて見ました」


 セシリアはしばらく黙っていた。

 カリナが静かに言った。


「殿下のお気持ちは、私どもにはわかりません。ただ、男性をお呼びになるなら、せめて他の方も同席する形にしていただければ。それに、公務だと言い訳のできるような状況にしていただきたく」

「……お前たちも同席していただろう」

「談話室の外で待機しておりました。室内には殿下とラザフォード少尉のみでした」


 また沈黙が落ちた。

 今度は長かった。

 セシリアの頬が、先ほどより少しだけ赤くなった。


「……わかった。以後、気をつける」

「ありがとうございます」


 カリナとリーナが一礼した。

 セシリアは視線を逸らしたまま言った。


「それで、噂を流しているのは誰だ」

「アントワネット殿下の侍女からという話が出ております」


 カリナは静かに答えた。


「確証はありませんが」

「……そうか」


 セシリアは窓の外を見た。


「姉上らしい」


 その声に、怒りはなかった。ただ、少し疲れたような響きがあった。


「殿下」


 カリナが優しく言った。


「お気持ちはわかります。ただ、今は慎重に動かれてください」

「わかっている」


 セシリアは短く答えた。

 カリナとリーナが退室した後、セシリアは一人になった。


 窓の外を見たまま、静かに息をついた。


(気落ちしているように見えた、か)


 そう思われていたとは、気づかなかった。


(……あの男は、何も言わなかったな)


 ただそこにいた。それだけだった。

 なぜか、それが一番堪えた。

 セシリアはもう一度、静かに息をついた。頬がまだ、少し熱かった。



―――



 廊下に出たカリナとリーナは、足を止めた。

 周囲に人がいないことを確認してから、リーナが小声で言った。


「……カリナさん」

「なんですか」

「殿下、自分のお気持ちに気づいていないんでしょうか」


 カリナは少し間を置いた。それから、小さく笑った。


「気づいておられないでしょうね」

「あんなに赤くなられてはいましたが、そういった経験もございませんから」


 リーナは口元を手で押さえた。


「あのお顔、初めて見ました」

「私もです」


 二人はしばらく黙って歩いた。


「あの少尉、どんな方なんですか」


 リーナが聞いた。


「私は遠くからしか見たことがなくて」

「輸送部隊の方ですよ」


 カリナは答えた。


「しわだらけの軍服で、飄々としていて、どこか掴みどころがない」

「それがどうして殿下に」

「さあ」


 カリナは少し考えた。


「殿下に対して、怖じない方なんです。普通の人間は、皇女の前では取り繕う。でもあの方は、そのままで話す」

「それが殿下には新鮮なんでしょうか」

「それだけじゃないと思いますけど」


 カリナは静かに言った。


「浴場の件もありますし」

「浴場?」


 カリナは口が滑ったと後悔した。

 しかし、相手がリーナであれば察してくれるだろうという信頼があった。


「……あ、それは聞かなかったことにしてください」


 リーナが目を丸くした。


「なんですかそれ。気になります」


 ちょっと信頼が揺らぐ。


「聞かなかったことに、してください」


 カリナは真顔で繰り返した。

 リーナはしばらく考えてから、小さく頷いた。


「……わかりました。でも」

「でも?」

「殿下、幸せになってほしいですね」


 カリナは少し間を置いた。


「……そうですね」


 静かに、しかしはっきりと頷いた。

 廊下の先に、朝の光が差し込んでいた。



―――



 第77輸送部隊の宿営地で、マルチはジョセフを見つけた。

 備品の点検をしているところだった。相変わらず、しわだらけの軍服だ。


「隊長」

「うん」

「少しよろしいですか」


 ジョセフは手を止めた。マルチの声が、いつもより低かった。


「なんだ」

「噂が出ています」

「どんな」

「隊長と、セシリア殿下の逢引きという噂です」


 ジョセフは少し間を置いた。


「逢引き」

「はい」


 マルチは真剣な顔で続けた。


「皇帝陛下がお隠れになった夜に、殿下が隊長を呼んだことが広まっています。尾ひれがついて、かなり派手な噂になっています」


 アントワネットは軍にも噂を流していた。ジョセフの立場を悪くするためである。


「それは困ったね」

「困ったね、じゃないですよ」


 マルチは声を抑えながら言った。


「今でさえ、亜人への視線が厳しくなっています。私たちの部隊は休暇を命じられている。そこに隊長まで宮廷の噂に巻き込まれたら、部隊全体の評判に関わります」

「そうだね」

「わかっていますか」

「わかってるよ」


 ジョセフは荷台から手を離した。


「ただ、殿下に呼ばれたら行かないわけにもいかないだろう。断れる立場じゃない」

「それはそうですが……」

「次から気をつける」


 ジョセフは静かに言った。


「ただ、今回は本当に何もなかった。殿下が少し話したかっただけで」

「それはわかっています」


 マルチは少し間を置いた。


「わかっていますが、周りにはわからない。私だって隊長が殿下とどんな話をしたのか気になりますよ」

「そうだね」


 ジョセフはしばらく考えてから、マルチを見た。


「迷惑をかけた。ごめん」


 マルチは少し驚いた顔をした。ジョセフが素直に謝るのは、珍しかった。


「……隊長が謝ることじゃないですが」

「いや、謝る」


 ジョセフは真面目な顔で言った。


「亜人への視線が厳しい今、余計な噂を立てた。それは僕の不注意だ。しばらくはおとなしくしてる」


 マルチはしばらくジョセフを見ていた。


「……わかりました」


 それから、少し間を置いて言った。


「隊長」

「うん」

「殿下は、大丈夫でしたか」

「うん?」

「お父上を亡くされて」


 ジョセフは少し考えてから、静かに答えた。


「泣いてはいなかった。でも、堪えているようだった」


 マルチは黙った。


「……そうですか」


 それだけ言った。

 その耳が、ほんのわずかに伏せられたのをジョセフは見逃した。

 備品の点検を再開した。しばらく使われることはないだろうが、これくらいしかすることが無いのだ。

 マルチはまだジョセフに何かを聞きたいようであったが、ジョセフはそれには気づかない。

 帝都の朝が、静かに続いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ