第30話 幼帝の旗
時は皇帝崩御の少し前に遡る。
アルベルト皇子の葬儀が終わって三日後、クラウディア・フォン・オキシジェンは動いた。
皇宮の大広間に、クラウディアは喪服姿で現れた。黒い衣装が、彼女の白い肌を際立たせている。その腕には、幼い子供がいた。
ルドルフ。四歳。アルベルト皇子の遺児だ。
クラウディアは離宮広間の中央に立ち、集まった貴族たちを見渡した。
なお、ここに集まった貴族はクラウディアの実家、グラーフェンベルク侯爵の派閥に属する者たちである。
アルベルト皇子暗殺後の対応を話し合うのと、クラウディアの監視のため、葬儀後も離宮に顔を出していたのである。
「アルベルト殿下のご遺志を継ぎ、この子ルドルフが帝国を継承すべきと考えます」
広間がざわめいた。
「ルドルフ殿下はまだ四歳。摂政が必要では」
「その通りです」
クラウディアは静かに言った。
「摂政は私が務めます。母として、夫の遺志を守るために」
ざわめきが大きくなった。
摂政。つまり、実質的な帝国の支配者はクラウディアになる。そしてその後ろには、グラーフェンベルク侯爵家がいる。
集まっていた者たちは、その構図をすぐに読んだ。
―――
グラーフェンベルク侯爵邸の執務室で、ヘルマン・グラーフェンベルクは報告を受けていた。
七十がらみの老人だ。白髪を丁寧に撫でつけ、穏やかな顔立ちをしている。だが、その目は笑っていない。長年権力の傍にいた者だけが持つ、底冷えするような静けさがある。
「娘はうまくやってくれたな」
「はい。大広間での宣言は、概ね計画通りです」
「概ね、というのは」
「居合わせたアントワネット殿下が即座に反発しました。皇位継承順位を盾に、正式な手続きを経るべきと」
「当然だ。しかし、アルベルト殿下の皇位継承順位は、孫のルドルフが相続出来る。法学者たちに確認させたが、皇位継承順位が相続対象外とは、どこの法律にも書いてはいないからな。こちらに大義名分がある以上、相手を謀反人とすることも可能」
ヘルマンは既に準備を終えていた。
帝国法を学者に確認させ、皇位継承順位を相続したということにすれば、孫が皇位継承順位第一位になる。
それをクラウディアに伝え、宣言をさせたのであった。
「あの方が黙っているはずがない。しかし、予想の範囲内ではある。それと、セシリア殿下はどうだ?」
「セシリア殿下は……沈黙しておられます」
「それが一番厄介だ」
ヘルマンは指を組んだ。
「沈黙は反対でも賛成でもない。情報を集めている。あの方は賢い」
「レオンハルト殿下とコンラート殿下は」
「様子見だろう。まだ動かない。育ちが良すぎて、こうした政治闘争には向いておらんな。優秀な参謀でもいれば違っただろうが」
ヘルマンは立ち上がり、窓の外を見た。
「各地の貴族への文は出したか」
「はい。ルドルフ殿下の即位への賛同を求める文を、主要な貴族家に送りました」
「反応は」
「……躊躇している家が多いようです」
ヘルマンは黙った。
躊躇。それは予想していた。グラーフェンベルク侯爵家が裏にいることは、賢い貴族ならすぐに気づく。賛同すれば、グラーフェンベルクの傘下に入ることを意味する。そのリスクを嫌う者が多い。
「時間をかければ、じわじわと賛同者は増える」
ヘルマンは静かに言った。
「急ぐ必要はない。ただ——」
「ただ?」
「ギフト持ちを陣営に加える必要はあるな。セシリア殿下よりも、皇位継承権を持たない、あの男。ルーカス・グレイならば、取り込んだ後も憂いはない」
ヘルマンの目が細くなった。
「お飾りのセシリア殿下よりも、軍を掌握しているのはあの男だ。クラウディアがルドルフを擁立するためには、グレイの支持が必要になる」
「クラウディア様に、グレイに近づくよう伝えますか」
「そうだな」
―――
その夜、クラウディアはルーカスのいる軍の詰め所を訪れた。
喪服のまま、侍女を二人だけ連れて。
ルーカスは応接室でクラウディアを迎えた。表情は穏やかだった。いつもの、爽やかな笑顔だ。
「クラウディア妃殿下、このような夜分に」
「将軍にお願いがあって参りました」
クラウディアは静かに言った。喪に服しながらも、その目は冷静だった。
「ルドルフの即位を、支持していただきたいのです」
「なるほど」
ルーカスは頷いた。
「理由をお聞かせください」
「アルベルト殿下の遺志です。帝国は正統な後継者によって継承されるべきです。アントワネット殿下は毒殺の疑いがかかっている。セシリア殿下は……」
クラウディアは少し間を置いた。
「あの方には、身分に不相応な噂があります。輸送部隊の少尉との」
「噂ですね」
「噂でも、帝国の皇女には相応しくない」
ルーカスはしばらくクラウディアを見ていた。
「ルドルフ殿下はまだ四歳です。摂政が必要になる」
「私が務めます」
「そして、軍の支持が必要になる」
「大佐のお力をお借りしたい」
ルーカスは静かに笑った。
「軍人として、また、臣民として帝国の安定を願う立場です。ルドルフ殿下の即位が帝国の安定につながるのであれば、考慮いたします」
クラウディアの目に、安堵の色が浮かんだ。
(うまくいった。この男は使える)
そう思った。
ルーカスは変わらず笑顔だった。
(使える、とでも思っているのだろうな。いいさ、今は精々思惑に乗ってやる)
そう思った。
二人の思惑が交差したまま、応接室に静寂が落ちた。
―――
翌朝、エリックがルーカスに言った。
「クラウディア妃は、ルーカスを操れると思っているようですね」
「そうだな」
「どうするつもりですか」
ルーカスは窓の外を見た。帝都の朝が広がっている。
「使えるうちは使う」
「クラウディア妃を、ですか」
「幼帝誕生となれば、それは好都合だ。なにせ、何も決められないんだからな。決定権はこちらにくるだろう」
ルーカスは静かに言った。
「私にも強い権力を与える事になるだろうな。最初は拒むだろうけど、敵対勢力があれば自分達ではどうにもできないから、泣きついてくるだろうさ」
エリックは黙った。
「ただ」
ルーカスは続けた。
「グラーフェンベルク侯爵は侮れない。クラウディア妃の後ろにいる老人だ。あの男の動きは注意しておけ。邪魔になれば何かを仕掛けてくるはずだ」
「わかりました」
エリックは頷いた。
ルーカスは前を向いた。
帝都の空は、今日も青かった。




