第28話 神の使者
アクアリスの政務室は、久しぶりに賑やかだった。
賑やかといっても、笑い声があるわけではない。怒声と溜息と、紙をめくる音が重なっている。
長机を囲む政治家たちの顔は、一様に疲れていた。
国王からの命令は、状況を打開せよのみであった。しかし、言いたいことはわかっていた。帝国が攻めてこない状況にしろということである。
その難題を解決するため、こうして国の各部門のトップが集まっていたのである。
「帝国が安定すれば、必ず攻めてくる!」
財務大臣が声を上げた。禿頭に汗が光っている。
「二度の戦争で国庫は底をついている。三度目があれば、我が王国は終わりだ!」
「わかっている」
外務大臣が静かに言った。
「だから停戦協定を結ぼうと言っている」
「どうやって!二度の戦争はどちらもこちらから仕掛けたもの。そして、帝国は今、皇位継承で揺れている。誰と話をすれば正式な協定になる!協議が難航しているうちに、皇位継承のための手柄作りのために、我が国への侵攻をしようという者が出るかもしれないのだ。悠長な事は言ってられん」
「それを考えているのだ」
「考えているだけでは時間が過ぎる!」
議論は堂々巡りだった。停戦協定を結びたい。しかし帝国の窓口がない。帝国が安定するまで待つか、しかし待てば攻められる可能性がある。そして、安定しなくとも攻められる可能性もあった。
誰も解決策を持っていなかった。
そこへ、侍従が扉を開けた。
「失礼いたします。ラドン教皇領からの使者がご到着です」
室内が静まった。
「何事か?今は非常事態。先ぶれもなく使者がいきなりとは無礼な。しかし、追い返す訳にもいかぬな。通せ」
無礼ではあるが、追い返せばそれはそれで外交問題となる。場合によっては国王よりも上の存在に、一同は苦虫を嚙み潰したような表情となった。
そして、大臣たちは応接室へと移動した。
ラドン教皇領からやってきた使者は若い司祭だった。白い法衣に金の刺繍。穏やかな顔で、深々と頭を下げた。
「ラドン教皇アリア・サンクトゥスの名代として参りました」
外務大臣がたずねた。
「教皇領から、なぜ今?」
「神がこれ以上の犠牲を望まれておりません」
司祭は静かに言った。
「帝国とハイドロジェン王国、両国の民が流した血は、すでに十分でございます。教皇猊下は、平和条約の締結に向けて、ラドン教が主導する形で進めることをご提案申し上げます」
室内がざわめいた。
「教皇領が仲介を」
「はい。両国の間に立ち、神の御名のもとに条約を結ぶ。それが猊下のお考えです」
財務大臣が外務大臣を見た。外務大臣が他の閣僚を見た。
是非もなかった。
自分たちでは窓口すら作れなかった。教皇領が仲介に入るなら、それに乗るしかない。
「……謹んでお受けいたします」
外務大臣が頭を下げた。
「神の御心のままに」
使者は笑顔を見せた。
―――
王都の外れにある将軍官舎の庭で、エリオット将軍は土を掘っていた。
熊のような巨体が、小さな鍬を持ってしゃがみ込んでいる。球根を植えているらしかった。
副官が庭に入ってきた。
「将軍、報告があります」
「なんだ?」
将軍は土から目を離さない。
「ラドン教皇領から使者が来まして、平和条約の締結に向けて教皇領が仲介すると。政務室では受け入れることになりました」
「そうか」
将軍は球根を穴に埋めながら答えた。
「それは政治家の仕事だ」
「将軍のご意見は」
「ない」
土を被せる。軽く押さえる。
「俺は庭仕事をしている」
副官は少し間を置いた。
「……将軍は、平和条約についてどうお考えですか」
エリオット将軍は手を止めた。
それから、空を見上げた。
「神の判断はさかしい」
短く言った。
「もっと早く動けばよかったのだ。どれだけの兵士が死んだと思っている。自分達の利益になると踏んで、やっとここで動いてきたのだ。それとも何か、人を神の御許に送るのがあいつらの仕事か?」
副官は黙った。
将軍は再び土に目を戻した。
「まあ、遅くても来ないよりましだ。あとは政治家に任せる」
球根をもう一つ取り出した。
「次の春には、花が咲く」
将軍は静かに言った。
庭に風が吹いた。




