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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第25話 空の勝利

 アルゴン連邦のヴェルタで、セシリアはジョセフに地図を広げて見せた。


「予想が外れたな」


 口の端が動いていた。笑っていた。かつては珍しいことだった。

 氷の皇女とは氷のギフトを持っているという他に、冷徹さがあふれ出ているという意味もあった。

 しかし、最近では、具体的にはアルゴン連邦に来てからというもの、ジョセフの前では柔らかい表情もするようになっていた。

 侍女たちはその変化に気づいていたが、敢えて口にはしなかった。


「そうですね」


 ジョセフは頭を掻いた。


「エリオット将軍を直接狙うとは思いませんでした。それに、エリオット将軍もアイギス要塞を諦めたが、周辺都市を攻略せずに、退却を選んでいます。ルーカス大佐は補給線を先に叩いた。その上で将軍を目指した。二つをほぼ同時にやるとは思いませんでした」

「補給線を叩いて、尚且つ将軍を狙う。それが正解だったな」

「グレイ大佐が優秀だということです」


 ジョセフはあっさりと言った。


「凡人の自分には、あそこまで見通せませんでした」

「凡人か」


 セシリアはジョセフを見た。その目に、何か言いたそうな色があった。しかし、それを口にはしなかった。


「それと」


 セシリアは書類を一枚手に取った。


「帰還命令が出た」

「帝都へ、ですか」

「そうだ。アルゴン連邦との演習は終了。帝国軍は撤収する。私をここに縛り付けたい連中も、ハイドロジェン王国が退却したとあっては邪魔なのだろう。むしろ、ここを足掛かりに、帝国本土と二方面からハイドロジェン王国を目指されてはかなわぬということだろうな」


 ジョセフは頷いた。


「お疲れ様でした、殿下」


 セシリアは少し間を置いてから、静かに言った。


「お前もな。帝国が恋しいか?」

「それほどでも……」


 わずらわしい実家の人間関係を考えれば、むしろアルゴン連邦の方が居心地が良かった。

 ジョセフが望郷の念に駆られるとすれば、それは日本に対してである。ここにはそれがないのだ。


 マルチは後ろでその言葉を聞いていた。



―――



 帝都ザウアーシュトフに帰還した帝国軍を迎えたのは、論功行賞の儀式だった。

 大広間にハートフィールド侯爵が出てきたのは、誰の目にも意外ではなかった。


「アイギス要塞において、王国軍の包囲に耐え、反撃の機を作ったのは我が指揮によるものであります」


 侯爵は胸を張った。

 他の伝統派貴族たちが同調する。


 グレアムが隣で微かに頷いた。計画通りだった。ルーカスが補給線を叩き、エリオット将軍が退却した。その瞬間に要塞から打って出た。形の上では侯爵が敵を追い払ったことになる。


 ルーカスは黙って聞いていた。


 表彰が終わった後、エリックが小声で言った。


「領地は」


「出なかった」ルーカスは静かに答えた。「帝国が領土を得たわけではないから、与えるものがない。部下の階級が一つ上がった。それだけだ」


「……それだけですか」


「充分だ」


 ルーカスは大広間を見渡した。


「侯爵も得るものはなかった。領土がない以上、恩賞の原資がない。みんなで空振りをしただけだ」


「それでいいんですか」


「今回は名前が売れた」ルーカスは静かに言った。「それで充分だ」


 エリックは黙った。



―――



 帝都から離れた農村に、老夫婦が住んでいた。


 息子を戦争に送り出して、半年が経っていた。


 届いた知らせは、戦死の報告だった。簡素な一枚の紙に、名前と日付だけが記されていた。


 それから一週間後、徴税吏がやってきた。


「今年度の税金です」


 老夫婦は顔を見合わせた。


「あの……息子が死んで、農作業ができなくて」


「税率は変わりません。戦費の回収がありますので、今年度は増税となっております」


 老婆が泣き崩れた。老爺は黙って頭を下げた。


 払う金はなかった。土地を手放すしかない。



―――



 街道沿いの小さな村が、空になっていた。


 家々の扉が開いたまま、風に揺れている。井戸の傍に打ち捨てられた農具。畑は荒れ、雑草が伸び放題になっていた。


 若者はみな徴兵された。残った老人と子供では農地を維持できなかった。食料が尽きる前に、都市へと移った。


 村長の家の扉に、一枚の紙が貼られていた。


「もどりません」


 それだけ書かれていた。



―――



 帝都ザウアーシュトフの裏通りに、人が溢れていた。


 元兵士、農村からの流民、仕事を失った職人。みな、一様に疲れた目をしていた。


 裏通りの角で、老人が座り込んでいた。通りかかる人に手を伸ばすが、誰も立ち止まらない。


 取り締まりの役人が来るはずだった。だが、来なかった。役人も徴兵されて、人手が足りない。


 元兵士の男が壁に背をもたれて空を見上げた。


「勝ったんだろ」


 隣の男が答えた。


「そうらしい」


「なんも変わらないな」


「そうだな」


 二人は黙った。


 帝都の空は、どこまでも高く青かった。



―――



 皇宮の私室で、アウグスト皇帝は窓の外を見ていた。

 帝都の街並み。その向こうに続く帝国の土地。


「勝った、か」


 誰に言うでもなく、呟いた。

 燭台の炎が揺れた。

 老いた目に、その炎が映っていた。


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