第23話 退却と末路
夜明けとともに、セス・バーンは動いた。
五十の兵を率いて、補給線の中継地点へと切り込む。守備の兵は三十ほど。だが、セスにギフトはない。速さだけがある。
本来であればもっと厚い布陣にすべきだが、無理して補給線を伸ばした結果、守備に回せる兵士がいなくなってしまったのである。
剣が閃いた。
一人、二人、三人。セスの動きは目で追えない速さではないが、それを補うのは判断の速さだ。どこを叩けば崩れるか。どこが手薄か。常に動きながら、考える。
中継地点は半刻で制圧された。
「次だ」
セスは息を整えながら言った。まだ続きがある。
―――
オーガスト・クロウは北側の分岐点で守りを固めていた。
来た。ハイドロジェン王国軍の一部が、迂回路を求めて動き始めた。
「引きつけろ」
オーガストは静かに命じた。
「深追いはするな。ここを通らせなければいい」
七十の兵が、地形を利用して敵の前進を阻んだ。正面からぶつかるのではなく、狭い道に誘い込んで足を止める。一時間、二時間。それだけで充分だった。
あとはこの周辺で、敵の輸送部隊を盗賊団のように襲うだけ。地の利は自分たちにあり、敵から見れば神出鬼没に見える攻撃も可能だった。
こうしてハイドロジェン王国軍は補給の目処が立たなくなった。
エリオット将軍は地図を見つめた。前線への物資が届かない。迂回路も封鎖されている。
「将軍」
バルトロ中将が静かに言った。
「敵の動きは予想以上です。これは補給線を短くするどころではありませんね。退却の時機です」
補給線を短くするといっても、大軍はすぐには動けない。敵の追撃をかわすためにも、入念な準備をしてからと行動していたが、もはや時間的な猶予は無かった。
エリオット将軍は黙っていた。
熊のような巨体が、微動だにしない。その目に、悔しさと冷静さが混在していた。
「……そうだな」
やがて、将軍は低く言った。
「全軍、退却する」
幕僚たちが動き始めた。
エリオット将軍はバルトロ中将を見た。
「殿は誰にする」
「……ラッシュ少将しかいません」
バルトロ中将は言いにくそうに答えた。他の将校たちは、みな実戦で必要な人間だ。消耗品のように使える将校となれば、ラッシュしかいない。
ラッシュを呼んだ。
状況を説明すると、ラッシュの顔が青くなった。
「殿、ですか。それは……私は参謀の役割であって、前線での指揮は――」
「ラッシュ少将」
エリオット将軍が静かに言った。
「ルーカス・グレイがこちらに向かっている。奴は私を狙っているはずだ。殿を務めてくれれば、グレイは君の方へ向かう可能性は無くなる」
ラッシュは固まった。
「……グレイが、私の方へ来ない」
「そうだ。ギフト持ちの大佐を相手にするなら、殿の方が安全だというもの」
実際には殿は非常に危険であるが、それ以上に危険なギフト持ちという存在が、ラッシュの判断を誤らせる。
ラッシュはしばらく黙った。そして、顔を上げた。
「……わかりました。殿を引き受けましょう」
エリオット将軍は頷いた。
(これで心置きなく戦える)
将軍は内心でそう思った。ラッシュに申し訳ないとは思わなかった。戦場での邪魔者を合理的に処理しただけだ。ただ、彼と一緒に戦死する兵士には、わずかばかり同情した。
―――
アイギス要塞のハートフィールド侯爵は、物見台から王国軍の動きを観察していた。
「動いているな」
グレアムが頷いた。
「退却です。ルーカス大佐の補給線寸断が効きました」
「よし」
侯爵は拳を握った。
「打って出る。今だ!」
「閣下、まだ確認が――」
「好機を逃すな! 全軍、出撃だ!」
グレアムは眼鏡を押し上げた。
(これは侯爵の手柄になる。計画通りだ。本当はもう少しエリオット将軍が離れるのを待った方が良いが、あれだけの大軍だ。方向転換するには時間がかかるし、それをすれば脆弱な側面をこちらに晒すことになる。問題はない)
要塞の門が開いた。
―――
殿を任されたラッシュの部隊は、退却する本隊の後ろを進んでいた。
ラッシュは馬上から周囲を見回した。王国軍の退却。帝国軍の追撃。その狭間に自分がいる。
(グレイが来るかもしれないどころではない。このままでは俺は帝国軍に追いつかれる。)
その考えが頭から離れない。
そのとき、後方で喊声が上がった。
帝国軍の追撃がいよいよ迫ってきた。。ハートフィールド侯爵の部隊がすぐそこまで迫っていた。
王国軍の退却が乱れた。ラッシュの部隊にも混乱が波及した。
ラッシュは周囲を見た。乱戦になっている。
(死ぬかもしれない)
その考えが、すべてを塗りつぶした。
自分だけが生き残ることに、全ての脳機能を投入する。そして、結論が出た。
「副官」
ラッシュは小声で言った。
「お前の鎧と私の鎧を交換しろ」
「は?」
「早くしろ!」
副官は困惑しながらも従った。豪華な将官の鎧が副官の体に。地味な副官の鎧がラッシュの体に。
「少将、これは――」
「黙れ」
ラッシュは馬を反転させた。混乱に紛れて、部隊から離れていく。
副官は鎧の重さを感じながら、軍団の旗の下に立っていた。
―――
その夜、街道から外れた森の中で、ラッシュは馬を歩かせていた。
地味な鎧。目立たない装備。これなら誰も気づかない。
そう思っていた。
茂みから、三人の男が現れた。農民か、流民か。手には粗末な武器を持っている。落武者狩りだ。
男たちはラッシュを見た。地味な鎧。傷一つない装備。高そうには見えない。
「おい、金はあるか」
「な、なんだ貴様ら――私は王国軍少将で――」
「将官がこんなとこ一人でいるか」
男が鼻で笑った。
「偉くなさそうだな。身代金も取れやしない」
男たちが動いた。
ラッシュは声を上げた。だが、その声は森の中に消えた。
翌朝、街道から外れた森の中で、剥ぎ取り目的でうろついていた村人に、地味な鎧を着た男の遺体が発見された。
誰も、それがジャック・ラッシュ少将だとは気づかなかった。




