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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第22話 瞬光の大佐

 街道に人が集まっていた。

 朝の市が立つような広場ではない。ただの街道の脇に、人々が自然と集まってきていた。

 噂が広まるのは早かった。ルーカス・グレイ大佐が出陣する。帝国の双璧の片割れが、ついに動く。

 ルーカスが馬上から手を振ると、歓声が上がった。


「グレイ大佐!」

「帝国を救ってください!」

「息子が前線にいます。どうか――」


 声は途切れることなく続いた。老人、子供、女たち。みな、縋るような目をしていた。

 ルーカスは一人一人に目を向け、頷き、微笑んだ。その爽やかな笑顔が、人々の表情を和らげた。

 後ろでエリックが小声で言った。


「村を三つ通るたびに、人が増えていますね」

「そうだな」


 ルーカスは前を向いたまま答えた。


「この人たちが何を求めているか、わかるか」

「英雄、ですか」

「そうだ。無能なハートフィールド侯爵によって疲弊した国を救う英雄。いや、国が疲弊したのは侯爵だけの原因ではないがな」


 ルーカスは静かに言った。

 エリックは黙った。

 また歓声が上がった。子供が道端から駆け寄って花を渡してきた。ルーカスはそれを受け取り、笑顔で掲げた。

 歓声がさらに大きくなった。


(英雄の姿を見せよう)


 ルーカスは内心でそう思った。

 ただし、その姿が誰のためのものかは、まだ誰も知らない。



―――



 前線に近づくにつれ、空気が変わった。

 炊煙が少ない。人の姿が消えていく。街道の石畳に、馬蹄と車輪の跡だけが残っている。

 天幕を張った野営地で、ルーカスはセス、オーガスト、マーカスの三人を呼んだ。

 地図を広げる。エリオット将軍の軍の展開。補給線の位置。アイギス要塞への道。


「聞け」


 三人が地図に目を落とした。


「セス、お前はここの補給基地を叩け」


 ルーカスは地図の一点を指した。


「エリオット将軍の軍がアクアリスから物資を受け取る中継地点だ。ここを押さえれば、前線への補給が止まる」

「わかりました」


 セスは地図を見ながら言った。


「兵力は」

「五十だ」

「少ない」

「充分だ。お前の速さがあれば、守備の兵など問題ない。叩いたらすぐ退け。長居はするな。こちらは敵の物資を鹵獲する必要はない。攻撃と同時に火を放て。燃やしてしまえ」


 セスは頷いた。


「オーガスト、お前はここだ」


 ルーカスは別の地点を指した。


「補給線の北側の分岐点。ここを封鎖すれば、迂回路も使えなくなる。守りを固めて、敵が動けない状況を作れ」

「兵力は」

「七十だ。防衛なら充分だろう」

「長く防衛となると少なすぎますが……」


 オーガストは眼鏡を押し上げた。


「その時はすでに俺が動いている。そこまで長く防衛することになるなら、それは俺たちが負けるということだ」


 オーガストはルーカスを見た。


「マーカス、お前は残った兵をまとめて後方の支援だ。セスとオーガストのどちらかが危うくなれば、すぐ動け」

「了解だ」


 マーカスは豪快に頷いた。


「で、大佐は」

「僕は真っ直ぐ行く」


 三人が黙った。


「エリオット将軍を目指す」


 ルーカスは地図から顔を上げた。


「ギフト持ち同士の戦いに、多くの兵は要らない。むしろ邪魔になる」

「一人でですか」


 エリックが言った。


「お前と、ついてこれる騎兵だけだ。それで充分だ」


 セスが口を開いた。


「無茶です」

「そうか?」


 ルーカスは静かに答えた。


「だが、補給線を叩いてエリオット将軍を孤立させたとしても、あの将軍はそう簡単には動じない。最終的には、誰かが向かわなければならない」

「それが大佐である必要は。相手を締め上げるための、補給線への攻撃でしょう」

「いいや、これはギフト持ち同士の戦いだ。これに勝利する姿を見せなければならない。しかし、エリオット将軍を倒したところで、敵がまだその勢力を維持しているなら、それはそれで脅威。俺一人で全ての戦場を渡り歩くのは無理だからな」


 ルーカスは静かに言った。


「それに、犠牲は少なくしたい」


 沈黙が落ちた。

 否定できなかった。


「大佐」


 マーカスが低く言った。


「死ぬなよ」

「死なない」


 ルーカスはあっさりと答えた。


「まだやることがある」


 エリックが小さく息をついた。

 ルーカスは地図を巻いた。


「出発は夜明けだ。各自、準備しろ」


 三人が天幕を出ていった。

 エリックだけが残った。


「ルーカス」

「なんだ」

「エリオット将軍は、今のこの周辺地域で一番強いギフト持ちです」

「知っている」

「勝てますか」


 ルーカスはしばらく黙った。


「さあ」


 それだけ言って、地図を卓に置いた。


「やってみなければわからない。それだけだ」


 エリックは何も言わなかった。

 天幕の外で、夜風が揺れていた。



―――



 アクアリスから離れた前線の天幕に、ハイドロジェン王国軍の幕僚たちが集まっていた。

 伝令が息を切らして飛び込んできたのは、夕刻のことだった。


「報告します! 帝国軍のルーカス・グレイ大佐が出陣。現在、帝国領内を北西方面へ進軍中とのことです!」


 天幕の空気が変わった。

 エリオット将軍は黙って地図を見た。バルトロ中将が眉をひそめた。

 そして、ジャック・ラッシュ少将が立ち上がった。


「ルーカス・グレイだと!」


 声が裏返った。


「なぜ今さら出てくる! 今まで何をしていた!」


 誰も答えなかった。


「これは問題だ。大問題だ。あの男のギフトは厄介だぞ。対策を立てなければ――」

「少将」


 バルトロ中将が静かに遮った。


「まず状況を整理しましょう。ルーカス・グレイが動いた以上、我々の補給線が狙われる可能性があります。現在の補給線は――」

「補給線が問題なのか!」


 ラッシュが地図を指で叩いた。


「そもそも、なぜこれほど補給線が伸びているのだ! 進軍しすぎだろう! 誰がこんな判断をした!」


 天幕が静まり返った。

 進軍を主導したのは、他でもないラッシュ自身だった。順調だ、好機だ、押せと言い続けたのは誰だったか。その場にいた全員が知っていた。


「少将」


 バルトロ中将の声が、わずかに低くなった。


「進軍の判断の責任については、後で検討しましょう。今は対策を――」

「後でとは何だ! 責任の所在を明確にしなければ、組織として機能しない!」

「少将!」


 バルトロ中将が声を上げた。珍しいことだった。この冷静な参謀長が、声を荒らげた。


「今この瞬間も、ルーカス・グレイは進軍しています。感情的な議論をしている時間はない」


 ラッシュは一瞬だけ黙った。だがすぐに顔を赤くした。


「バルトロ中将、貴様は私に命令するつもりか! 私の父は――」

「父君のお名前を出されても、戦況は変わりません」


 バルトロ中将は静かに、しかしはっきりと言った。

 ラッシュは口を開いたまま固まった。それからまた怒鳴り始めた。父の地位、家柄、軍における影響力。言葉が矢継ぎ早に飛び出す。


 エリオット将軍は黙って聞いていた。腕を組み、地図を見たまま動かない。

 天幕の隅で、古参の幕僚の一人がさりげなく兵士に目配せをした。

 兵士は静かに頷いた。

 しばらくして、兵士が盆を持って天幕に入ってきた。湯気の立つ茶器が並んでいる。


「お疲れのことと思いまして。茶をご用意しました」


 幕僚たちが受け取った。エリオット将軍も一口飲んだ。バルトロ中将も。

 ラッシュはまだ何かを言いながら、差し出された茶器を受け取り、一口飲んだ。


 それから二口。三口。

 しばらくして、ラッシュの声が少しずつ細くなっていった。


「……だから、その……私は……」


 瞼が重くなっていく。ラッシュは自分でもおかしいと思ったのか、首を振った。だが、それも途中で止まった。

 どさり、と椅子に深く沈み込んだ。


「少将が……お疲れのようです」


 古参の幕僚が言った。


「長旅でお疲れでしょう。休んでいただきましょう」


 兵士二人がラッシュを支えて、天幕の外へと連れ出した。

 天幕に沈黙が落ちた。

 それからエリオット将軍が口を開いた。


「……では、改めて対策を話し合おう」


 誰も何も言わなかった。全員が、先ほどの光景を見ていなかったかのように、地図に目を向けた。

 バルトロ中将だけが、一瞬だけ古参の幕僚を見た。幕僚は静かに頷いた。


「補給線の防衛ですが」


 バルトロ中将は地図を指でなぞった。


「正直なところ、全線を守るのは難しい。ルーカス・グレイが速さのギフトを持つ以上、どこから来るかわからない」

「では」

「一旦引いて、補給線を半分にしましょう。元々の目的は帝国軍が我が国へ侵攻するのを防ぐための逆侵攻。であれば、このままアイギス要塞を攻略するという必要もない」


 エリオット将軍は頷いた。


「それでいい」


 天幕の外では、夜が深まっていた。


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