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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第20話 王の憂慮

 そこは、謁見の間ではなかった。

 アウグスト皇帝が二人を呼んだのは、皇宮の奥にある小さな私室だった。燭台の光が弱く、天井の高い部屋に影が濃い。

 エドモンド・ウォレス宰相とマクシミリアン・シュトルム将軍が、向かい合って椅子に座った皇帝を前に立っている。


 謁見の形ではない。報告の形でもない。ただの、老人と二人の臣下が、夜の部屋で話しているだけのような光景だった。


「ルーカスが動くか」


 皇帝は低い声で言った。老いた目が、燭台の炎を見ていた。


「はい、陛下」


 シュトルム将軍が答えた。


「ハートフィールド侯爵からの要請を受け、自分が決断いたしました。ご報告が遅れ、申し訳ありません」

「遅れたことを咎めているのではない」


 皇帝は短く言った。


「ハートフィールドが頭を下げた。それが意外でな」


 ウォレス宰相が静かに口を開いた。


「侯爵は追い詰められているかと存じます。これまでの状況、それに現在のアイギス要塞での戦況は、芳しくない」

「わかっている」


 皇帝は息をついた。


「だが、あの男が素直にルーカスを必要とするたまではない。何かを考えている」


 二人は黙った。

 皇帝は燭台の炎から目を離し、二人を見た。


「シュトルム、ウォレス。二人だけだから言う」

「はい」

「ハートフィールドはルーカスを使って手柄を横取りしようとしているのだろう。それくらいは朕にもわかる」


 シュトルム将軍が僅かに目を細めた。


「陛下は、侯爵は――」

「取り繕わなくてもよい。あれは股肱の臣ではない。帝国の為ではなく、己のために動く臣。しかし、それでも朕の臣であることにはかわりないが……」


 皇帝は静かに言った。


「あの侯爵が軍を動かすたびに、何かがおかしくなる。今回も同じだろう」


 沈黙が落ちた。


「ただ」


 皇帝は続けた。


「それよりも気になることがある。此度の増援だ」

「ルーカス・グレイのことですか」


 ウォレスが静かに言った。


「そうだ」


 皇帝は椅子の背もたれに身を預けた。老いた体が、重さに負けているように見えた。


「あの男には実力がある。ギフトを持ち、戦場での実績を積み上げ、民からの評判も高い。下級貴族の出身でありながら、ここまで上がってきた。それ自体は認める」

「しかし」

「しかし、あの目だ」


 皇帝は低く言った。


「謁見の場でも、軍の会議でも、あの男はどこか遠くを見ている。目の前のものではなく、その先を見ている目だ。そこには野心がにじみ出ておる。かつて弑逆を企んだ者たちのような、な」


 シュトルム将軍は黙っていた。


「朕は有能な皇帝ではなかった」


 皇帝は静かに言った。二人が口を開こうとするのを、手で制した。


「否定しなくていい。わかっている。判断が遅く、派閥の調整に時間をかけすぎ、気づけば帝国の内部が腐り始めていた。それは朕の責任だ」


 燭台の炎が揺れた。


「だが、朕の代で国を終わらせるわけにはいかない」


 その言葉が、部屋に沈んだ。


「ルーカスが何を望んでいるのか、朕には全てはわからない。だが、帝国の秩序を壊すほどの野心があるとすれば……それは困る」

「監視を強化しますか」


 シュトルムが言った。


「それをすれば、あの男は動かなくなる」


 皇帝は首を振った。


「今は使わなければならない。ハイドロジェンとの戦況は、ルーカスなしでは動かせない。それもわかっている」


 ウォレスが静かに言った。


「陛下、矛盾した状況です」

「そうだ」


 皇帝は頷いた。


「使わなければ国が傾く。使えば、いつか別の火種になる。どちらを選んでも、不安が残る」


 部屋に静寂が落ちた。燭台の炎だけが、ゆらゆらと揺れていた。


「二人に言っておく」


 皇帝は二人を見た。


「朕が逝った後のことを、考えておいてくれ。セシリアとアントワネットの争い、他の子らも帝位を狙って激しい争いをすることになるだろう。今までの歴史を振り返れば、そこには高い蓋然性がある。そこにルーカスがどう動くか。それだけが、朕の心残りだ。子らは誰であっても朕の血を引いておるが、あ奴は違う」


 シュトルム将軍とウォレス宰相は、互いに目を合わせた。


「……承知いたしました」


 二人が一礼した。


 皇帝は再び燭台の炎を見た。

 老いた目に、炎が揺れて映っていた。



―――



 その夜、帝都郊外の演習場に隣接した兵舎に、松明の光が揺れていた。

 ルーカスの軍団が集まっていた。


 正規の帝国軍とは別の、ルーカスが自ら集めた部隊だ。総勢二百ほど。だが、その中身は帝国軍の中でも際立って優秀な顔ぶれが揃っていた。


 共通点がある。みな、身分が低い。


 平民の出、職人の息子、下級貴族の三男四男。正規の出世ルートからはじき出された者たちだ。実力があっても、家柄がなければ上には行けない。そういう男たちが、ルーカスの周りに自然と集まってきた。


 兵舎の中心では、三人の幹部が地図を囲んでいた。


 セス・バーン。二十代前半、ルーカス軍団の最年少幹部だ。細身だが動きが速く、剣の腕は軍団一と言われる。褐色の肌に短い黒髪。口より手が先に出るタイプで、今もじっとしていられないのか、地図の端を指でトントンと叩いている。


「大佐、いつ出ますか」


 ルーカスが地図を見ながら答えた。


「明後日の朝だ」

「遅い」

「セス」


 隣から静かな声が飛んだ。


 オーガスト・クロウ。三十手前の男で、元平民の出身だ。読み書きを独学で覚え、軍学校の入試を突破してきた。細面で眼鏡をかけており、常に何かを計算しているような目をしている。


「補給の確認が終わっていない。明後日で正しい」

「わかってるよ」


 セスは肩をすくめた。


「ただ、早く動きたいってことだ」

「気持ちはわかるが、焦りは判断を狂わせる」

「クロウは慎重すぎる」

「お前が無謀すぎる」


 二人のやり取りに、もう一人が低く笑った。


 マーカス・ドレイク。三十代前半の大柄な男だ。鍛冶職人の息子で、幼い頃から鉄を扱ってきた腕は、剣より鈍器の方が向いている。日焼けした顔に無精ひげ、豪快な笑い声が特徴だ。


「まあまあ。俺から見れば二人とも同じだ。どうせ戦場に出れば、セスもクロウも同じ顔になる」

「どんな顔だ」


 セスが聞いた。


「血に飢えた顔だ」


 マーカスは豪快に笑った。


「俺もそうなるし、お前らもそうなる。出撃前に喧嘩するより、今のうちに飯でも食っとけ」


 セスが不満そうにしながらも、マーカスの言葉に従って地図から離れた。

 ルーカスはその様子を黙って見ていた。


 三人とも、正規の帝国軍では正当な評価を受けていなかった。セスは身分がないという理由で昇進を止められ、クロウは平民出身というだけで上官に冷遇され、マーカスは職人の息子という出自を馬鹿にされ続けた。


 それがルーカスのところに来た理由だ。

 ルーカスは彼らの実力を見た。身分ではなく、力で評価した。それだけだった。

 エリックが近づいてきた。


「みんな、血気盛んですね」

「当然だ」


 ルーカスは静かに言った。


「ずっと抑えられてきた。その分が、今噴き出している」

「うまく御せますか」

「あいつらを御せなくて、どうして帝国を統治できようか」


 ルーカスは兵舎を見渡した。松明の光の中で、兵士たちが思い思いに出撃前の夜を過ごしている。笑い声が上がり、酒を飲む者もいる。


「軍ごときで手間取っているようでは先はない」


 エリックは黙った。


「しかし、まずはこの戦いで結果を出す」


 ルーカスは続けた。


「そうすれば、彼らの評価も変わる。それがまず、俺にできることだ」


 セスが遠くから声を上げた。


「大佐! 飯ができましたよ!」

「行こう」


 ルーカスは歩き出した。その横顔は、いつもの爽やかな表情だった。

 ただ、夜の松明の光の中では、その目の奥にあるものまでは見えなかった。


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