第19話 帰還と命令
ヴェルタの宿営地に戻ったのは、夕刻のことだった。
ジョセフが荷台を止めて部隊に解散を告げると、マルチが小声で言った。
「隊長、すぐ殿下に報告に行った方がいいですよね」
「そうだね」
ジョセフは煤だらけの軍服を見下ろした。着替える暇はなさそうだった。
「マルチも来るか」
「行きます」
二人で談話室へ向かうと、セシリアはすでに待っていた。
地図と書類が広げられた卓の前に座り、ジョセフが入ってくると静かに顔を上げた。
「戻ったか」
「ただいま戻りました」
「道中、問題はなかったか」
ジョセフは少し間を置いた。
「いくつかありました」
セシリアの目が細くなった。
「話せ」
ジョセフは道中の出来事を順を追って報告した。山間部での特務小隊の襲撃と川への逃走。集積所での象人兵の引き取り。そして、村での遭遇戦。
セシリアは黙って聞いていた。
「村の件で、ギフトを使ったのか」
「はい」
「村人がいたはずだ」
「村人が全員逃げたのを確認してから使いました」
セシリアはしばらくジョセフを見た。
「秘密が漏れた可能性は」
「ないと思います」
ジョセフは答えた。
「村人は全員南の街道に逃げていました。ギフトを使ったのを見たのは、部隊の者だけです。彼らには偶然の爆発だと伝えてあります。それ以上は詮索しないでしょう」
ジョセフの言葉にマルチの耳がピクリと動いた。
ビンたちは爆発が偶然じゃないのではないかと思っている。しかし、それはジョセフは知らない。
言うべきか迷っていたが、結局話せないままここまで来てしまった。
セシリアはそんなマルチの表情を読むが、深くは詮索しなかった。
「部隊の者は信用できるか」
「はい」
マルチが小さく頷いた。
セシリアはしばらく黙っていた。
「それにしても、なぜその件が報告されていない。ハイドロジェン王国の兵士が村を襲って、爆発で死んだなどという情報であれば、私のところにも知らせがあってもよいはずだ」
ジョセフは少し首を傾けた。
「報告されていないのですか」
「王国軍の帝国領内侵入、村との交戦、撃退。これだけのことがあれば、軍への報告があるはずだ。だが、私のところには何も来ていない」
ジョセフはしばらく考えた。
「……あの領主が報告しなかったのかもしれません」
「なぜ」
「村を管理している領主の息子が村を捨てて逃げました。それが報告されれば、息子の立場が悪くなる。親としては隠したいでしょう」
セシリアの目が、わずかに細くなった。
「そういうことか」
「自分たちも、報告する手段がなく、殿下のところまで直接来てしまいました。申し訳ありません」
「いや」
セシリアは短く答えた。
「直接来たのは正解だ。報告が握りつぶされた以上、お前たちに責任はない。輸送任務の途中であるしな。それで、こうして報告が出来たのだ。問題はない」
セシリアは書類を一枚手に取った。
「ところで、もう一つ話がある」
「はい」
「ルーカス・グレイ大佐が動員される」
ジョセフは少し表情を変えた。
「いつですか」
「すでに命令が下りている。アイギス要塞が孤立しかけており、ハートフィールド侯爵からの要請を受けてシュトルム総司令が決断した」
「ルーカス大佐は後方から攻め込む、ということですか」
「そうだ」
セシリアは地図を指でなぞった。
「エリオット将軍への牽制になる。ギフト持ちが後方に現れれば、対応せざるを得ない」
「ルーカス大佐が動けば、輸送の需要も変わります」
「そうだ」
セシリアはジョセフを見た。
「お前の部隊にも、新たな輸送任務が発生する可能性がある。準備しておけ」
「承知しました」
ジョセフが立ち上がろうとしたとき、セシリアが言った。
「ラザフォード」
「はい」
「村の件、よくやった」
短い言葉だった。
ジョセフは少し驚いた顔をして、それからいつもの飄々とした表情に戻った。
「ありがとうございます。部隊の皆が頑張りました」
セシリアは答えなかった。ただ、視線を地図に戻した。
談話室を出ると、マルチが小声で言った。
「隊長、褒められましたね」
「そうだね」
「嬉しくないんですか」
「嬉しいよ」
ジョセフは前を向いたまま答えた。
「ただ、ルーカス大佐が動くとなると、何か変わりそうだな、とも思っている」
「何がですか」
「さあ」
ジョセフは歩きながら空を見た。
「なんとなく、そんな気がするだけだよ」
マルチはその横顔を見た。いつもの、飄々とした顔だった。だが、その目が少しだけ遠くを見ていた。
―――
同じころ、帝都ザウアーシュトフの外れにある宿の一室で、ルーカス・グレイは命令書を卓に置いた。
エリック・レインが向かいに座っていた。
「ようやく動けますね」
「ああ」
ルーカスは静かに言った。
「ハートフィールド侯爵がシュトルム将軍に頼み込んだらしい。あの侯爵が僕を必要とするとは、よほど追い詰められたということだ」
「被害を見れば当然ですね。アイギス要塞まで陥落させたとあっては、もう軍にいられないという焦りからでしょう」
ルーカスの口の端が、わずかに上がった。
エリックが眉をひそめた。
「ルーカス」
「わかっている」
ルーカスはすぐに表情を戻した。
「この顔はここだけにするよ」
「そうしてください」
エリックは小さく息をついた。
「多くの犠牲が出ていることを喜んでいると知られてしまったら、折角の人気が下がります」
「そうだな」
ルーカスは地図に目を落とした。
「以後気を付ける」
「ええ。いつもの顔をしていてください」
ルーカスは地図を広げた。エリオット将軍の軍の展開図。アイギス要塞の位置。後方から攻め込む自分たちのルート。
「エリオット将軍は強い」
ルーカスは静かに言った。
「ギフト持ち同士の戦いになるだろうな」
「大丈夫ですか」
「さあ」
ルーカスは地図を見つめた。
「やってみなければわからない。だが、これだけの機会はなかなかない。ここで結果を出せば、帝国での評価が変わる」
「評価が変われば」
「次への足がかりになる」
エリックは頷いた。この先に何があるかは、二人の間では言葉にしなくてもわかっていた。
「さあ」
ルーカスは地図から顔を上げた。その表情は、いつもの爽やかな顔に戻っていた。
「腐りかけた巨木の帝国を救う姿を見せようじゃないか」
「はい」
エリックは頷いた。
ルーカスは窓の外を見た。帝都の夜が広がっている。
ハートフィールド侯爵が何を考えているかなど、今は関係ない。あの侯爵が自分を必要としている。それだけで十分だった。
動く理由は、それだけあればいい。




