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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第12話 暇な午後

 セシリアに呼ばれたのは、演習部隊が出発して三日後のことだった。

 談話室に通されると、セシリアはすでに椅子に座っていた。卓の上には茶器が二つ。侍女の姿はない。


「座れ」

「はい」


 ジョセフは向かいに腰を下ろした。セシリアはしばらく茶器を見ていた。


「ギフトについて聞きたい」

「はい」

「砦の夜、あれだけの爆発を起こした。浴場では一人の男を気絶させた。同じギフトとは思えない」

「使い方が違います」


 ジョセフは答えた。


「燃える気体を大量に生成して火に触れさせれば爆発する。それを顔に集めれば、息ができなくなる。普段吸っている空気とは違う、いわば水に溺れたようなものですね」


 人は酸素を吸うことで生命を維持している。

 それがまだ解明されていない世界で、伝わるように言葉を選ぶ。

 セシリアは静かに聞いていた。


「制約は」

「火がなければ使えません。気体を生成するだけで、自分では着火できない」

「使用後の代償は」

「頭痛と吐き気です。あと、しばらく感覚がおかしくなる」

「発煙筒はどうだ」


 セシリアは茶を一口飲んだ。


「あれもギフトと関係があるのか」

「フロギストンのギフトを持っていると、燃えるものの性質が本能的にわかるんです」


 ジョセフは少し間を置いた。

 前世の知識とは言えないため、答え方を頭の中で推敲してから口にする。


「どういう材料を組み合わせれば煙が出るか、どうすれば炎を出さずに煙だけを作れるか。そういうことが、なんとなくわかる」


 セシリアはジョセフを見た。


「なんとなく、か」

「はい」

「燃焼の仕組みを説明できるか」


 ジョセフは少し考えた。


「ものが燃えるには、燃える素材と、燃えるための空気の成分が必要です。フロギストンはその空気の成分に似たものを生成できる。だから燃えるものの仕組みが、なんとなく――」

「なんとなく、を二度言った」


 セシリアが静かに遮った。

 ジョセフは黙った。


「お前の知識は、ギフトで説明できる範囲を超えている気がする」


 セシリアは卓に肘をついた。


「発煙筒の材料の組み合わせ、燃焼の仕組みの説明、戦術の発想――どれもギフトがあれば説明できるが、それだけではない何かがある」

「殿下はそう思われますか」

「誤魔化すな。私は氷のギフトを使うが、氷の仕組みがわかるわけではない。ならば、貴様だけそれがわかるというのはおかしいではないか」


「誤魔化してはいません」


 ジョセフは穏やかに答えた。


「ただ、うまく説明できないことがある、ということです。まるで、神が私の頭に知識を注ぎ込んだような感覚何です」


 セシリアはしばらくジョセフを見ていた。追及するか、引くか。その目が揺れた。

 やがて、小さく息をついた。


「……今は、それ以上は聞かない」

「ありがとうございます」


「ただ」


 セシリアは窓の外を見た。


「いつかは話してもらう」

「その時が来たら」


 ジョセフはそれだけ答えた。

 沈黙が落ちた。今度は少し柔らかい沈黙だった。

 セシリアはしばらく茶器を見ていた。それから、ふと口を開いた。


「好きな食べ物は」


 ジョセフは少し間を置いた。


「急に変わりましたね」

「聞いてはいけないか」

「いえ」


 ジョセフは苦笑した。


「パンですね。輸送中に食べる、硬いパンではない、柔らかいやつが」

「ワインは」

「飲めますけど、あまり得意ではないです。どちらかといえば食事に集中したい」

「そうか」


 セシリアは窓の外を見た。


「私はワインが好きだ。ただ、皇女が飲みすぎるわけにはいかないから、いつも少しだけしか飲めない」

「それは辛いですね」

「辛い」


 セシリアはあっさりと同意した。


「お前は家族と仲がいいのか」

「あまり」

「そうか」


 それ以上は聞かなかった。聞かなくてもわかる、という顔だった。


「お前の話は面白い」


 セシリアが静かに言った。


「面白いですか」

「普通の人間は、皇女の前でこんなに率直には話さない」

「失礼でしたか」

「いや」


 セシリアは口の端を動かした。


「むしろ、いい」


 その表情を、ジョセフは見逃した。茶を飲んでいたからだ。

 セシリアは視線を窓の外に戻した。

 まだ何かを隠している。それは確かだ。しかし、それを今無理に引き出す必要もない。

 時間はある、とセシリアは思った。



―――



 同じころ、宿の中庭では、ダオ、タン、ノイ、ビンが思い思いに時間を潰していた。

 ダオは壁に背をもたれて目を閉じている。タンは石を積み上げて崩す遊びをしている。ノイは跳躍の練習中だ。

 マルチだけが、宿の入口の方向をときどき見ていた。


「マルチ副官」


 ビンが声をかけた。


「なんですか」

「隊長、また殿下に呼ばれたんですよね」

「そうですよ」

「なんで隊長ばっかり呼ばれるんですかね」


 マルチは答えなかった。


「なあ、マルチ副官」


 タンが石を積みながら言った。


「副官は隊長のことが好きなんですか」


 中庭が静まり返った。

 マルチの耳が、ぴたりと伏せられた。


「……何を言っているんですか」

「いや、なんとなく。いつも気にかけてるなと思って」

「副官ですから。当然です」

「そうですかね」


 ノイが着地しながら言った。


「俺たちへの気の遣い方と、隊長への気の遣い方、なんか違う気がしますよ」


 マルチはしばらく黙っていた。

 ダオが目を閉じたまま、低い声で言った。


「マルチ副官。隊長はいい人だ。俺たち亜人にも分け隔てなく接してくれる。それは本物だと思う」

「……ええ」

「だが」


 ダオは目を開けた。


「亜人と人間が一緒になるのは、この帝国では難しい。貴族の血を引く隊長ならなおさらだ」


 中庭が静かになった。


「あまり期待するな、とは言わない」


 ダオは続けた。


「ただ、俺たちは副官のことも心配している。それだけだ」


 マルチはしばらく下を向いていた。

 やがて、顔を上げた。いつものきびきびした表情に戻っていた。


「心配してくれてありがとうございます」


 それだけ言った。

 ビンが耳を倒した。


「副官、俺たちにはいつも正直に話してくれていいですよ。隊長みたいに、抱え込まなくていいですから」


 マルチは少しだけ笑った。


「わかってます」


 宿の入口の方向を、もう一度だけ見た。

 陽光が、中庭の石畳に落ちていた。



―――



 演習部隊が出発した翌朝、宿営地の食堂はがらんとしていた。

 本来であれば兵士たちの喧騒で満たされるはずの広い部屋に、今は二人だけが残っている。


 ダオもタンもノイもビンも、さっさと食べて自室に引き揚げてしまった。輸送部隊は演習に加わらない。今日も明日も、特にすることがない。兵士にとって暇は眠るに限る、という判断だろう。


 ジョセフとマルチは向かい合って座っていた。テーブルの上には、宿の厨房が用意した質素な朝食。パンと干し肉とスープだ。


 マルチはスープを一口飲んでから、ジョセフを見た。


「隊長」

「うん」

「浴場の件なんですが」


 ジョセフはパンをちぎりながら答えた。


「うん」

「セシリア殿下に、ギフトがばれましたよね」

「ばれたね」


 あっさりとした返答だった。マルチは眉を寄せた。


「それで済む話じゃないと思うんですが」

「どうして」

「どうしてって……」


 マルチはスープの椀を置いた。


「ギフト持ちが軍に発覚したら、処遇が変わります。輸送部隊じゃなくなる可能性もある。最悪、公爵家に報告されて、後継者争いに巻き込まれる」

「そうだね」

「なのに、なぜそんなに落ち着いているんですか」


 以前、ジョセフはマルチに言った。


『僕がギフトを持っていることがわかったら、後継者争いが起こってややこしいことになるから』


 それを思い出して、どうしてこんなに落ち着いていられるのかと不思議であった。

 ジョセフはスープを飲んだ。少し冷めていた。


「皇女殿下が秘密にしてくれるって言ったから」


 マルチがぴたりと止まった。


「……どういうことですか」

「あの夜、浴場を出る前に言われたんだよ。この件は殿下が処理する、自分は何もしていない、って」


 ジョセフはパンをもう一口かじった。


「つまり、僕が暗殺を防いだことはなかったことになる。僕がギフトを使ったこともなかったことになる」


 マルチはしばらくジョセフを見ていた。


「なぜ殿下がそんなことを」

「さあ」

「さあ、じゃないですよ」

「理由はわからないけど、そう言ってくれたんだから、信じるしかないよ」


 ジョセフは肩をすくめた。


「それに、殿下がわざわざ嘘をつく理由もない」


 マルチは視線を落とした。椀の中のスープが、静かに揺れている。


「……隊長」

「うん」

「殿下は、なぜだと思いますか」

「さっきも言ったけど、わからないよ」

「でも、何か感じませんでしたか」


 ジョセフはしばらく考えた。食堂の窓から、朝の光が差し込んでいる。遠くで演習部隊の馬蹄の音がした。


「強いて言うなら」

「はい」

「面倒なことが増えた、という感じかな」


 マルチは力が抜けたように、ため息をついた。


「それだけですか」

「それだけだよ」

「……隊長は本当に」


 マルチは小さく首を振った。


「もう少し、いろいろ考えてください」

「何をかい?」

「いろいろです」


 それ以上は言わなかった。


 マルチは再びスープに視線を落とした。その耳が、ほんのわずかに赤くなっていたが、ジョセフは気づかなかった。

 食堂に静寂が戻った。パンをちぎる音と、スープをすする音だけが響いた。



―――



 宿の一室に、ダオ、タン、ノイ、ビンの四人を集めていた。テーブルの上には紙と羽ペン。マルチが黒板代わりの板を持ってきて壁に立てかけている。


「では始めよう。足し算の続きから」


 ジョセフが板に数字を書いた。

 ダオは神妙な顔で紙を見つめている。タンは腕を組んで唸っている。ノイはなぜか正座だ。

 ビンだけが、困ったように頭を掻いた。


「隊長、俺、やっぱり数字が苦手で」

「どのあたりが」

「全部です」


 マルチが呆れたように息をついた。


「ビン、昨日やったでしょう。三足す四は」

「……七、ですか?」

「正解です」

「あ、できた」


 ビンが嬉しそうな顔をした。犬人らしく、耳がぴんと立った。


「でも隊長、俺たちが計算できるようになって、何かいいことあるんですか」

「いいことだらけだよ」


 ジョセフは羽ペンを置いた。


 「例えば市場で買い物をするとき、騙されない。仕事の給料が正しく払われているか確認できる。商売もできる」

「商売、ですか」

「軍を辞めた後でも食っていける。マルチみたいに読み書き計算ができれば、帳簿をつける仕事だってある」


 マルチが少し照れたように視線を逸らした。


「そういえば」


 ビンが首を傾けた。


「隊長はなんで俺たちに教えようと思ったんですか」

「必要だと思ったから」

「人間の人たちは、亜人に教えたりしませんよ」

「そうだね」


 ジョセフはあっさりと頷いた。


「でも、僕は輸送部隊の隊長だから。部下が使えるようになるのは隊長の得だよ」


 ダオが低い声で笑った。珍しいことだった。


「隊長は正直だな」

「愛情だけじゃ飯は食えないからね」


 その言葉に、また笑いが起きた。

 ノイが手を挙げた。


「隊長、一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「数字って、難しいじゃないですか。亜人は数字の神様に嫌われているって、うちのばあちゃんが言ってたんですけど」


 ジョセフはペンを止めた。


「数字の神様?」

「はい。数字を司る神様がいて、亜人はその神様に嫌われているから、計算が苦手なんだって」


 マルチが小さく苦笑した。


「リシア教の話ですね。うちの村でも同じことを言ってました」

「リシア教では、そういう神様がいるのか」


 ジョセフは興味深そうに頷いた。


「でも、マルチは計算できるよね」

「嫌われ方が足りなかったんじゃないですかね」


 また笑いが起きた。今度はビンまで笑った。


「神様に嫌われているかどうかは知らないけど」


 ジョセフは続けた。


「練習すれば誰でもできるようになる。それは確かだよ」

「隊長はどうしてそんなに確信があるんですか」

「経験上、そうだから」


 前世での話だ、とは言わなかった。

 しばらく授業が続いた。タンが足し算で初めて満点を取り、ダオが掛け算に挑戦し始め、ノイが割り算で頭を抱えた。


 一段落したところで、ビンがふと言った。


「隊長」

「うん」

「俺たち、いつまでここにいるんですか」

「殿下が帰っていいと言うまで」

「殿下って、なんで隊長の部隊を指名したんですかね」

「さあ」

「さあって」


 ビンが耳を倒した。


「隊長、もしかして殿下に気に入られてるんですか」


 マルチの手がぴたりと止まった。


「どうだろうね」


 ジョセフはあっさりと答えた。


「よくわからない」

「隊長がよくわからないなら、俺たちにはもっとわかりませんよ」


 その言葉に全員が笑った。マルチだけが、少しだけ遅れて笑った。

 ノイが真剣な顔で言った。


「隊長、一つお願いがあるんですが」

「なに」

「俺、除隊してもどこにも行くとこないんで、死ぬまで隊長についてきていいですか」


 一瞬の沈黙の後、ダオが低く笑い、タンが肩を揺らし、ビンが吹き出した。


「死ぬまでって、重いな」


 ジョセフが苦笑した。


「僕が先に死んだらどうするの」

「その時はマルチ副官についていきます」

「私に振らないでください」


 マルチが即座に返した。また笑いが起きた。

 窓の外では、ヴェルタの石畳に午後の陽光が降り注いでいた。演習部隊の喧騒が遠くに聞こえる。

 輸送部隊の暇な午後は、まだしばらく続きそうだった。


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