第11話 再編の苦悩
ハイドロジェン王国の王都、アクアリスの軍議室は重苦しい空気に包まれていた。
長机を囲む将校たちの顔に、疲労と焦りが滲んでいる。ギーレン将軍を失ってから二ヶ月。責任論の嵐がようやく収まりかけたところで、次の問題が浮上していた。
軍の再編だ。
上座にはオリヴァー・エリオット将軍が座っていた。熊のような巨体が、椅子の上で微動だにしない。その存在感だけで、室内の空気が締まった。
「現状を整理する」
エリオット将軍が口を開いた。
「ギーレンを失い、帝国との戦力差が広がった。このまま現状維持では、帝国が再び攻勢に出た時に対応できない。防衛線の再構築が急務だ」
将校たちが頷いた。異論はない。問題はその先だ。
「帝国との国境、東部防衛線を厚くする必要がある」
エリオット将軍は地図を指でなぞった。
「現在の三倍の兵力を東部に集中させる。ギフト持ちが不在の今、数で補うしかない」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、一人の将校が手を挙げた。参謀長のバルトロ中将だ。白髪交じりの、細面の男だ。
「将軍、一点確認させてください」
「言え」
「東部に三倍の兵力を集中させるとなると、他の方面が手薄になります」
バルトロ中将は地図に目を落とした。
「北のアルゴン連邦、南のカルシウム王国。特にアルゴンは——」
「わかっている」
エリオット将軍が短く遮った。
室内が静まり返った。
わかっている。だが答えがない。それが問題だった。
アルゴン連邦は今、帝国軍との合同演習を行っている。表向きは親帝国派の主導だが、連邦内部では反帝国派が軍備を拡張しているという情報もある。どちらに転ぶかわからない。
ちょっとまずいのは、そのアルゴン連邦において、オキシジェン帝国の皇女の暗殺未遂があったということだ。これを口実にして、アルゴン連邦への派兵となれば、アルゴン連邦の国力では簡単に併呑される。そうなると、ハイドロジェン王国は北にもかなりの目を向けなければならくなる。
そのアルゴンとの国境を手薄にして、帝国側に兵力を集中させる。もしアルゴンが帝国側についた場合、東と北から挟まれる。
「将軍」
バルトロ中将が続けた。
「東部を厚くすることには賛成です。しかし、アルゴンへの備えを薄くすることには……」
「代案はあるか」
エリオット将軍が問い返した。
バルトロ中将は口を閉じた。
他の将校たちも黙った。代案がない。兵力には限りがある。東を厚くすれば北が薄くなる。北を守れば東が手薄になる。どちらかを選ぶしかない。
エリオット将軍は腕を組んだ。
「帝国と平和条約が締結出来れば……」
将軍の言葉に一同がぎょっとする。
この二国は長い間戦争状態にあり、親、兄弟を相手国に殺された者が多い。つまり、庶民レベルでも悪い感情を持っているということだ。
祖先、家族の恨みを晴らすためにも、相手を倒さなければという気持ちがあり、平和条約を締結して終戦などということになれば、平民の不満が爆発して王家打倒となりかねない。
「将軍!」
バルトロ中将は諫める意味を込めて、強い口調となった。
「わかっている。俺達は軍人であり、敵を殺すことが仕事だ。しかし、部下、戦友が死ぬのも辛いんだ」
盟友であるギーレン将軍のことを思うと、戦争などないほうがよいと考えるようになっていた。ただし、公の場では言えないが。
――
全体会議が招集されたのは、軍議から十日後のことだった。
アクアリスの大会議室には、王国軍の将校が一堂に会していた。先の軍議とは規模が違う。上級将校から中堅の佐官クラスまで、五十人近くが長机を囲んでいる。
上座にはエリオット将軍。その隣にバルトロ中将。
そして、長机の中ほどに、ジャック・ラッシュ少将が座っていた。
二十代後半。細い金縁の眼鏡をかけ、軍服に一点の乱れもない。軍学校を首席で卒業し、参謀本部で理論畑を歩んできた男だ。戦場に出たことは一度もない。その白い手が、分厚い資料の束を卓の上に置いた。
会議の前半は現状報告に費やされた。各方面の防衛状況、兵站の現状、ギーレン将軍死亡後の士気の変化。どれも暗い話ばかりだ。
やがてエリオット将軍が口を開いた。
「東部防衛線の強化について、引き続き検討を進める。各部隊の再編案を——」
「将軍、発言をよろしいでしょうか」
ラッシュが手を挙げた。
エリオット将軍は一瞬だけ間を置いた。
「言え」
「防衛線の強化という方針、理解はできます」
ラッシュは立ち上がり、地図を広げた。
「しかし、それは本質的な解決にはなりません。守るだけでは、じり貧です。敵はこちらが待ち構えているところに来てくれるとは限りません」
室内がざわめいた。
「続けろ」
エリオット将軍の声は平坦だった。
「帝国は今、アルゴン連邦との演習に兵力を割いています。さらに、アルゴン連邦内部では反帝国派が軍備を拡張している。帝国はアルゴンへの対応に追われており、我が国への本格的な攻勢は難しい状況です」
ラッシュは地図の帝国領を指でなぞった。
「今こそ、攻めに転じる好機です」
「攻めるとはどういう意味か」
バルトロ中将が静かに問うた。
「宣戦布告か」
「宣戦布告ではありません。大規模な軍事展開です。特別軍事作戦とでもいいましょうか」
ラッシュは資料を開いた。
「帝国との国境付近に、我が軍の主力を集結させる。攻めると見せることで、帝国に守りを強いる。帝国が守りに回れば、我が国への脅威は減る。攻めることで守るのです」
室内が静まり返った。
理屈としては、わからなくもない。それが余計に始末が悪かった。
「エリオット将軍を旗頭に、主力を国境へ展開させる」
ラッシュは続けた。
「将軍のギフトは、帝国にとって最大の脅威です。将軍が動いたという事実だけで、帝国は慎重にならざるを得ない」
その瞬間、エリオット派の将校たちの顔が一斉に険しくなった。
戦場を知らない男が、戦場を知り尽くした将軍を「旗頭」と呼んだ。その言葉の軽さに、怒りを覚えた者が少なくなかった。
「ラッシュ少将」
エリオット将軍が口を開いた。低く、静かな声だった。
「はい」
「その案で、兵が何人死ぬかわかるか?」
「シミュレーション上では――」
「シミュレーションの話は聞いていない」
室内の空気が張り詰めた。
「実際の戦場では、シミュレーション通りには動かない。地形が違う。天候が違う。兵の疲労が違う。何より、人間は駒ではない」
「将軍」
ラッシュは怯まなかった。
「このまま守り続ければ、いずれ帝国に押し込まれます。その時に死ぬ兵の数と、今攻勢に出て死ぬ兵の数、どちらが少ないか。それもシミュレーションです」
痛いところを突かれた、とエリオット将軍の周囲の将校たちは感じた。論理としては間違っていない。だからこそ、腹が立った。
バルトロ中将が口を挟んだ。
「ラッシュ少将の案は、リスクが高すぎる。帝国が想定以上の反応を示した場合、全面戦争になりかねない」
「だからこそ、将軍が必要なのです」
ラッシュはエリオット将軍を見た。
「将軍が動けば、帝国は全面戦争を避けようとする。ギフト持ちの将軍と正面から戦うリスクを、帝国も負いたくないはずです。聞けば氷の皇女は暗殺されかかったとか。普段よりも警護の手薄になる戦場に簡単には出せないでしょう。ならば、相手はルーカス・グレイのみ。であれば、エリオット将軍が負ける要素などないですよね?」
馬鹿にしたような態度であるが、エリオット将軍は黙っていた。
ラッシュの言葉には一定の論理がある。だが、その論理は人が死ぬ現場を知らない者の論理だ。整然とした数字と図形で語られる戦争は、実際の戦争とは別物だ。
しかし、それを言葉にすることが難しかった。
「結論を出すのは時期尚早だ」
エリオット将軍はそれだけ言った。
「引き続き、各自が案を持ち寄れ。次の会議で改めて議論する」
ラッシュは一礼した。表情は変わらなかった。反論を封じられた様子もなく、ただ静かに座った。
その落ち着きが、エリオット派の将校たちには余計に癇に障った。
会議が終わり、将校たちが退室していく中、バルトロ中将がエリオット将軍の隣に立った。
「将軍、あの男は諦めませんよ」
「わかっている」
「親が大貴族ですから、排除もできない。厄介です」
エリオット将軍は答えなかった。
窓の外には、アクアリスの街並みが広がっている。石畳の道を、市民が行き交っている。
この街が戦場になることを、あの市民たちは想像もしていないだろう。
(そうならないために、俺は何をすべきか)
答えはまだ、出なかった。




