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帝国の燃素使い〜輸送部隊から始まる英雄譚〜  作者: 工程能力1.33


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第10話 依頼人と報告

 演習部隊が出発した翌朝、宿営地の食堂はがらんとしていた。

 本来であれば兵士たちの喧騒で満たされるはずの広い部屋に、今は二人だけが残っている。


 ダオもタンもノイもビンも、さっさと食べて自室に引き揚げてしまった。輸送部隊は演習に加わらない。今日も明日も、特にすることがない。兵士にとって暇は眠るに限る、という判断だろう。


 ジョセフとマルチは向かい合って座っていた。テーブルの上には、宿の厨房が用意した質素な朝食。パンと干し肉とスープだ。


 マルチはスープを一口飲んでから、ジョセフを見た。


「隊長」

「うん」

「浴場の件なんですが」


 ジョセフはパンをちぎりながら答えた。


「うん」

「セシリア殿下に、ギフトがばれましたよね」

「ばれたね」


 あっさりとした返答だった。マルチは眉を寄せた。


「それで済む話じゃないと思うんですが」

「どうして」

「どうしてって……」


 マルチはスープの椀を置いた。


「ギフト持ちが軍に発覚したら、処遇が変わります。輸送部隊じゃなくなる可能性もある。最悪、公爵家に報告されて、後継者争いに巻き込まれる」

「そうだね」

「なのに、なぜそんなに落ち着いているんですか」


 以前、ジョセフはマルチに言った。


『僕がギフトを持っていることがわかったら、後継者争いが起こってややこしいことになるから』


 それを思い出して、どうしてこんなに落ち着いていられるのかと不思議であった。

 ジョセフはスープを飲んだ。少し冷めていた。


「皇女殿下が秘密にしてくれるって言ったから」


 マルチがぴたりと止まった。


「……どういうことですか」

「あの夜、浴場を出る前に言われたんだよ。この件は殿下が処理する、自分は何もしていない、って」


 ジョセフはパンをもう一口かじった。


「つまり、暗殺未遂はなかったことになる。僕がギフトを使ったこともなかったことになる」


 マルチはしばらくジョセフを見ていた。


「なぜ殿下がそんなことを」

「さあ」

「さあ、じゃないですよ」

「理由はわからないけど、そう言ってくれたんだから、信じるしかないよ」


 ジョセフは肩をすくめた。


「それに、殿下がわざわざ嘘をつく理由もない」


 マルチは視線を落とした。椀の中のスープが、静かに揺れている。


「……隊長」

「うん」

「殿下は、なぜだと思いますか」

「さっきも言ったけど、わからないよ」

「でも、何か感じませんでしたか」


 ジョセフはしばらく考えた。食堂の窓から、朝の光が差し込んでいる。遠くで演習部隊の馬蹄の音がした。


「強いて言うなら」

「はい」

「面倒なことが増えた、という感じかな」


 マルチは力が抜けたように、ため息をついた。


「それだけですか」

「それだけだよ」

「……隊長は本当に」


 マルチは小さく首を振った。


「もう少し、いろいろ考えてください」

「何をかい?」

「いろいろです」


 それ以上は言わなかった。


 マルチは再びスープに視線を落とした。その耳が、ほんのわずかに赤くなっていたが、ジョセフは気づかなかった。

 食堂に静寂が戻った。パンをちぎる音と、スープをすする音だけが響いた。



―――



 ネオン共和国の首都、フロンティアは活気のある街だった。

 共和国らしく、街の中心には議会の建物がある。だが本当の権力がある場所は別だ。


 大統領府の奥まった執務室。ヴィクター・ハーンはそこに座っていた。


 七十がらみの老人だ。白髪を丁寧に撫でつけ、仕立ての良い服を着ている。温和そうな顔立ちだが、長年権力の座に居続けた者だけが持つ、底冷えするような圧がある。

 選挙のたびに笑顔で手を振り、国民に愛される大統領として振る舞う。それが彼の仮面だ。


 執務室に入ってきた男を、ハーンは無言で見た。


 ケイン・モレル。三十代。中背で細身だが、無駄のない動きをする。表情がない。感情が顔に出ないのではなく、最初から顔に何も載せていない、そういう男だ。


「失敗したそうだな」


 ハーンが先に口を開いた。


「はい」


 ケインは動じなかった。椅子にも座らず、部屋の中央に立ったまま答えた。


「説明しろ」

「実行犯は我々が誇るギフト持ちでした。暗殺の直前まで気配を殺せる。標的に気づかれることなく、確実に仕留められるはずでした」

「はずだった、というのは」

「殺そうとした瞬間、気配が漏れる。それがあのギフトの唯一の弱点です」


 ケインは淡々と続けた。


「標的——セシリア皇女殿下は、その瞬間を捉えて回避しました。ギフト持ちは伊達ではなかったということです」


 ハーンは指を組んだ。


「それだけか」

「ええ」


 ケインは一拍置いた。


「それだけあの皇女が手ごわかったということです。違約金はお支払いしますが、表には出せない金ですよね?」

「そうだ」

「それと――」

「何だ?」

「閣下、確認しておきたいことがあります」


 ケインが言った。


「何をかね?」

「今回の依頼、こちらが関与した痕跡は残っていないか、という点です」


 ハーンの目が、わずかに鋭くなった。


「それを心配しているのはこちらも同じだ」

「実行犯はすでに死亡しています。我々との繋がりを示すものは持たせていませんでした。雇用の経路も、複数の仲介を挟んでいます」


 ケインは続けた。


「ただ、アッシュ・ダガーの名前が知られている可能性はある。そこからネオン共和国まで辿られるかどうか」

「辿れるか?いや、お前がこうしてここにいることを誰かに見られたらなあ」

「そんなへまはしませんがね。ええ、通常の調査では難しい。ただし――」


 ケインは一拍置いた。


「もしポロニウム公国が動いていれば、別の話になります」


 ハーンの顔が、わずかに変わった。


「あの小国が」

「あそこは情報網が違います。我々がいつ動いたか、なぜ動いたか、知っている可能性がある」


 ハーンはしばらくケインを見ていた。それから、ゆっくりと息を吐いた。


「わかった。引き続き痕跡の処理を頼む。それと」

「はい」


 ケインは無言で一礼した。そのまま踵を返し、執務室を出ていった。

 一人残ったハーンは、椅子の背もたれに身を預けた。

 窓の外には、共和国の街並みが広がっている。議会の建物が、夕陽に照らされていた。


(セシリアが死んでいれば、帝国は混乱した。アルゴン演習は頓挫し、帝国のアルゴンへの影響力拡大は止まった)


 計画は失敗した。だが終わりではない。

 老いた目が、細くなった。


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