第2話 これは...現実だ
そして司令室を出ると見慣れた艦内通路が続いていた。金属床を踏むたびに靴底から硬い感触が伝わり、静かに反響していく。遠くを行き交う乗員たちは、俺の姿に気づくたび足を止め、敬礼した。
相変わらず、細かいところまで作り込まれている。
艦橋前には警備兵が二名待機していた。俺の姿を認めると、一人が認証端末へ手を伸ばして重厚な隔壁が低い駆動音とともに左右へ開いた。
艦橋へ足を踏み入れる。
壁一面にはホログラム星図が広がり、将校たちは慌ただしく持ち場を行き交っていた。
次の瞬間。
「敬礼!」
号令とともに、数十名の将校が一斉に敬礼をした。
気づけば、なぜか無意識に敬礼を返していた。その自然すぎる動作に背筋に冷たいものが走る。
一人の壮年の男が一歩前に出る。敬礼の姿勢を崩さぬまま口を開いた。
「レオニス閣下、お待ちしておりました。」
彼はオットー・シュタイナー艦長。この艦隊でも三本の指に入る指揮官だ。
そう考えていると、艦橋中央へホログラムの少女が姿を現した。先ほど目を覚ました部屋で案内役を務めていた艦橋AIのエルだ。正式名称は艦橋自律型AI E.Lだからこれで呼ぶ奴はいないだろう。
「最高司令官の臨席を確認。」
「状況報告を開始します。」
エルの報告に合わせるように、やや中央にある大型スクリーンへ星図と艦の状態が映し出された。
「現在位置、特定不能。」「連邦標準星図との照合、全件失敗。」
「長距離通信、全周波数帯で応答なし。」
「推進機関、防御シールド、兵装、生命維持、すべて正常。」
「本艦および所属戦力に重大な損害は確認されていません。」
大型スクリーンに表示された艦のステータスは、すべて緑色を示している。少なくとも、本艦の機能に異常はないようだった。
すると細身のメガネをかけた参謀長が一歩前へ出てきた。
「ご覧のとおり、本艦の戦闘能力は維持されています。しかし敵情、航路、補給線、いずれも不明です。」
参謀長は一度言葉を切り、静かに続けた。
「幕僚会議でも方針がまとまらず、閣下のご判断を仰ぎたいと考えております。」
艦橋内の視線が一斉にレオニスへ集まる。しかし当の本人は、別のことが気になっていた。
第304機動艦隊は、自分がゲームで率いていた艦隊のはずだ。だが、記憶では旗艦一隻だけの編成だった気がする。寝ている間に大型アップデートで設定が変更されたのだろうか。
記憶を探るように小さく唸った。
「改めて確認したい、第304機動艦隊の編成を報告してくれ」
「旗艦を含め十六隻で編成されております。しかし現在確認できるのは本艦のみです。」
その報告を口にした瞬間、オットー艦長は息を呑んだ。
司令官閣下が今さら艦隊編成をお忘れになるはずがない……あえて我々の口から損失を言わせ、事態の深刻さを再確認させたのか!
艦橋内に緊張が走った。
「そうか、それはまずいよな」
レオニスは腕を組み、静かにうなずく。
その姿は重大な決断を下すベテラン司令官そのものだった。しかし、本人の頭の中はまったく別のことで埋め尽くされていた。もはやゲームでは説明がつかない。それに、この反応はNPCにしてはあまりにも自然すぎる。本当にゲームの中なのか……そんな疑念が胸の奥で大きく膨らみ始めていた。
司令官の沈黙を判断待ちではなく、議論を促す意思表示と受け取ったのだろう。幕僚たちは次々と意見を述べ始めた。
最初に口を開いたのは航空長のアリスだった。
「ここは偵察隊を派遣すべきです。敵を知らずして戦えば、無用な損害を招きます。」
しかし、その意見を遮るようにエレオノーラ・クロンベルク陸戦長が金属製の机を叩いた。
「敵に主導権を渡すべきではありません。周辺の小惑星帯に潜伏し、接近する敵を片端から白兵戦で拿捕するのです。攻撃こそが最大の防御です。」
ユリアン参謀長は航空長の意見に賛同した。
「陸戦長の積極性は評価します。しかし、未知の宙域で情報もなく主導権を握ろうとするのはリスクが高すぎます。まずは偵察による情報収集を優先すべきかと。」
ルイス・エミール副艦長が真ん中に割って入ってきた。
「みっ、皆さん落ち着いて下さい……、司令官閣下のご判断を仰ぐのが規定です。」
レオニスは彼らの話を半分だけ聞いていた。
議論の内容よりも、どこか聞き覚えのあるやり取りの方が気になっていた。陸戦長は相変わらず突飛な作戦を口にする。放っておけば暴走しかねない。航空長は慎重派。参謀長は理論家。そして副艦長は毎回その場を取りまとめる役回り。ゲームの幕僚たちと、まるで変わらない。そんなことを考えている間に、いつの間にか艦橋は静まり返っていた。
「……閣下?」
オットー艦長に呼びかけられ、レオニスはふと我に帰った。
こんなやり取りはゲームで聞いたことがない。決められた台詞を繰り返しているわけではない。互いに考え、自分の意見をぶつけ合っている。
今まで見てきたのは、所詮ポリゴンの塊だったはずだ。それなのに、目の前の彼らからは確かな意思を感じる。
「これは……偵察隊、偵察隊を派遣せよ。」
「はっ、直ちに無人偵察機および有人偵察機を展開します」
アリスが敬礼とともに即答する。
艦橋のオペレーターたちが一斉に持ち場へ向かい、コンソールを操作する。静まり返っていた艦橋に、機械音だけが規則正しく響いた。
エルの澄んだ声が報告する。
「無人偵察機発進、有人偵察機部隊に出動命令を伝達。」
数百メートル先の電磁カタパルトから偵察機が発射されても、その衝撃が艦橋へ伝わることはなかった。
「無人偵察機および有人偵察機の発進が完了しました。」
まもなく、再びエルの澄んだ声が響いた。
「第一観測データ受信、メインホログラムへ展開します」
艦橋中央のホログラムに未知の星空が映し出される。その一角には、星とは明らかに異なる不自然な光点が浮かび上がっていた。
「周辺宙域に人工構造物を確認。」
その報告に、艦橋内がざわめいた。
オットー艦長が目を見開く。
「人工構造物だと……?」
エルの声とともに、ホログラム上を無数のデータが流れていく。
「照合開始。」
一瞬だけ、エルの目が青く光り、ホログラムが更新された。
「連邦データベースとの一致率0.056%。」
それは、連邦の記録に存在しない未知の構造物だった。
艦橋の空気が張り詰めた。
次の瞬間、エルの目が赤く光った。
「警告、対象より高エネルギー反応。」
「対象が本艦の方向へ移動開始。」
「接触まで、残り七分」
誰もがホログラムから目を離せない。
ホログラムに映る未知の人工構造物を見つめたまま、レオニスは小さく呟いた。
「……新マップか?」
一瞬、そう思った。だが、その考えはもう通用できない。
「これは……現実だ」




