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「嫌い、最低、近寄らないで」――なお全部好意です。呪われ魔女に愛される元勇者は現代帰還を諦めない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第29話 帰りたい理由を、言葉にしろ

 木札が候補に入ったことで、研究室の空気はほんの少しだけ前向きになった。


 たった一つ。

 それも補助媒介として、ようやく現実的な候補が見つかっただけだ。


 それでも、昨日までの「全部違う」「どれも薄い」しかなかった状態から考えれば、十分大きい。


 ミレナは完全にその空気に乗っていた。


「よし、次です!」

 見習い魔術師は机の上の記録紙をぱたぱたと整えながら言う。

「“今の世界の結び”に一本目の候補が立ったなら、次は“向こう側の由来”です!」


 元気なのはいい。

 いいが、問題はそこが一番重いことだ。


 オーウェンもそこはわかっているらしく、木札を布へ丁寧に包みながら低く言った。


「こちらはさらに厄介だぞ」

「物がないから、ですよね」

 ミレナがすぐに返す。


「そうだ」

 老人は頷く。

「今の世界の結びなら、場所や習慣や人との関わりに紐づいた物を探せる。だが向こう側は違う」

 俺を見る。

「お前は召喚時、元の世界の品を何一つ持っていない」

「ああ」

「なら、“記憶”か“誓い”を形にするしかない」


 記憶か誓い。


 言葉だけ聞けば単純だ。

 だが、それを媒介として主陣へ差し出せる形にするとなると、一気に難しくなる。


「形にする、って」

 俺が聞く。

「具体的には、どうするんですか」


 オーウェンは少しだけ考え、それから机の上へ新しい紙を一枚広げた。


「大きく二つある」

 指を一本立てる。

「一つは、記憶を核にして術式へ刻む方法だ。視覚、聴覚、匂い、触覚――そうした断片を“帰る側の原風景”として結び、擬似的な媒介にする」

 もう一本立てる。

「もう一つは、言葉だ。自筆の誓約文。何のために帰るのか、誰のもとへ帰るのか、それを術者自身の言葉で固定する」


 ミレナがすぐに反応する。


「後者の方が軽そうですけど」

「軽くはない」

 オーウェンは淡々と言う。

「嘘が混ざれば、陣の方が嫌う。曖昧でも揺れる。だから、むしろ言葉の方が残酷だ」

 そして、少しだけ目を細める。

「術者本人が、自分の本心と正面から向き合わねばならんからな」


 それは、たぶん今の俺に一番面倒なやつだ。


「じゃあ」

 ミレナが唸るように言う。

「記憶の方がいいんでしょうか」

「一概には言えん」

 オーウェンは首を振る。

「記憶は記憶で、輪郭が揺らぎやすい。召喚されてから長く経っているならなおさらだ」

「三年です」

 俺が言うと、老人はわずかに眉を寄せた。

「……微妙だな」

「微妙?」

「薄れるには十分長い。だが、核になる記憶だけが逆に濃く残ることもある」

 オーウェンは俺を見た。

「相馬、今でもはっきり出る景色はあるか」


 研究室の空気が、少しだけ変わる。


 たぶん、ここから先は術式の話だけでは済まない。


 俺はしばらく黙っていた。


 家の玄関。

 駅のホーム。

 雨上がりのアスファルト。

 朝の味噌汁の匂い。

 父さんが新聞を畳む音。

 母さんの「いってらっしゃい」。

 妹の、どうでもいいことで絡んでくる声。


 思い浮かぶものはある。

 あるが、それをこの場で切り分けて並べるのは、思っていたよりずっと難しい。


「……ある」

 やっとそう答える。

「いくつか」


「なら、まずそこからだな」

 オーウェンは紙とペンをこちらへ押した。

「書け」

「今ここで?」

「今ここでだ」

 老人は容赦がない。

「脳内でぼんやり抱えていても意味はない。紙の上へ出せ。そうすれば、どの記憶が“由来”として強いか、ある程度見えてくる」


 俺は紙を見下ろした。


 真っ白だ。

 この真っ白さが、妙に嫌だった。


「師匠」

 ミレナが少しだけ声を落とす。

「嫌なら、最初は箇条書きでもいいと思います。文章にしろって言われると、急に身構えますし」


 それは、たしかに助かる提案だった。


 俺はペンを取る。


 紙の上で、しばらく手が止まる。


「……そんなに難しい?」

 エルセが静かに聞いた。


 顔を上げると、彼女は帽子のつばに触れもせず、まっすぐこちらを見ていた。心配している時の目だ。たぶん、もう隠していない。


「難しいな」

 正直に言う。

「思い出せないわけじゃないんだ。でも、“媒介になる記憶”って言われた途端に、全部が重くなる」

「それは、そうでしょうね」

 エルセは小さく頷く。

「“懐かしいもの”を探すのとは違うもの」

「そうだ」

 俺は紙を見たまま言う。

「帰還陣に食わせても壊れないくらい、強くて、本物で、たぶん俺の帰りたい理由に近いもの」

 少しだけ呼吸が浅くなる。

「そう考えると、何を書いても軽い気がする」


 オーウェンがそれを聞いて、静かに言った。


「軽くていい」

「え?」

「最初から正解を引こうとするな」

 老人は机に肘をつく。

「書き出して、残るものを見ろ。最初の一つで決める必要はない」


 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。


 決めるんじゃなく、まず出す。


 そこからなら、できるかもしれない。


 俺はペン先を紙へ落とした。


 ――家の玄関

 ――母さんの「いってらっしゃい」

 ――父さんの新聞の音

 ――妹の声

 ――雨の駅

 ――学校の廊下

 ――帰るって約束

 ――終わってない日常


 書いてみると、思っていたより手が動いた。

 逆に、動いたことが少し怖い。


 オーウェンは書き終わるまで何も言わなかった。

 ミレナも、珍しく黙って待っている。

 エルセだけが、時々こっちを見ていた。


「……どうですか」

 書き終えた紙を置くと、ミレナが小さく聞いた。


「まだ何とも」

 オーウェンは紙を引き寄せる。

「だが、悪くない」

 老人の指が紙の上をゆっくり動く。

「“妹の声”は弱い」

「え?」

 思わず俺が声を上げる。


「嫌いなわけではない。ただ、“象徴”としては散る」

 オーウェンは冷静だった。

「この紙の中で、お前の中に最も重いのは、“帰るって約束”と“終わってない日常”に近い」

「……」

「さらに感覚として強いのは、“母の見送り”と“玄関”だな」

 そこまで言って、老人は少しだけ顎を引く。

「つまり、お前が帰りたいのは、場所そのものというより、“帰って当然だった日常”の方だ」


 その分析は、思っていた以上に刺さった。


 帰って当然だった日常。


 大仰な夢でも、大きな使命でもない。

 ただ、昨日まで続くはずだった普通の生活。

 それが途中で切れた。


 だから帰りたい。


 その整理を、こんなふうに他人の口から言われると、妙に現実味が出る。


「師匠」

 ミレナが少しだけ身を乗り出す。

「“玄関”って、物に変換できる可能性ありませんか?」

「玄関そのものを?」

 俺が聞くと、ミレナは慌てて首を振る。

「さすがにそれは無理ですけど! でも、“帰ってきた時に最初に触れるもの”とか、“出る時に最後に見るもの”とか」

 少し考えてから続ける。

「たとえば家の鍵とか、靴とか、表札とか。そういう象徴に近いもの」


 たしかに理屈はわかる。

 だが問題は、それらが今ここにないことだ。


「物がない以上、記憶を象徴に落とすしかないな」

 オーウェンが言う。

「描くか、書くか、刻むか」

「絵、ですか?」

 エルセが意外そうに聞く。


「絵でもいい」

 老人は頷く。

「術式は、術者の認識さえ通れば文字だけを好むわけではない。むしろ、“帰る場所の輪郭”として視覚化した方が強い場合もある」

 それから俺を見る。

「描けるか?」


 正直、得意ではない。

 だが、玄関の形くらいなら描ける。

 靴箱、扉、すりガラス、傘立て。

 そういう細部なら、まだ覚えている。


「……やってみます」

 俺が答えると、オーウェンは新しい紙を寄こした。

「なら今だ」

「今ですか」

「今だ」

 またそれか。


 でも、たぶんこの人は正しい。

 迷ってる時間が一番長い。


 俺は深く息を吸って、今度は線を引き始めた。


 絵というより、簡単な図に近い。

 扉。

 玄関框。

 靴箱。

 傘立て。

 その上に、母がよく買ってきていた季節の小さな花。

 描いているうちに、少しずつ匂いまで思い出す。


 石鹸。

 洗剤。

 雨の日の湿った靴。

 朝の味噌汁。


 気づくと、手が止まっていた。


「……師匠?」

 ミレナが小さく呼ぶ。


「いや」

 声が少しかすれる。

「ちょっと、思い出しすぎただけだ」


 エルセが、そこで初めて少しだけ席を立った。

 俺の横へ来るわけじゃない。

 でも、机の角のすぐ近くまでは寄ってくる。


「無理しないで」

 小さな声だった。

「今ここで壊れる方が、たぶんまずい」


 その言い方が、以前よりずっと近い。


 俺は少しだけ頷き、紙から手を離す。


 オーウェンがその図を見て、しばらく何も言わない。

 やがて、共鳴盤の上へ紙を置いた。


「少し流せ」

 老人が言う。


 言われた通りに魔力を流す。


 すると、紙の上の線が淡く光った。


 今までの物とは違う。

 弱くはない。

 むしろ宿の札に近い、静かで粘る反応だ。


「……出た」

 ミレナが目を見開く。

「これ、かなり強いです」


 オーウェンも頷いた。


「よし」

 老人は短く言う。

「“向こう側の由来”の補助媒介候補としては十分ありえる」

「補助媒介?」

 俺が聞くと、老人は冷静に返す。


「まだ“主”にするには弱い」

 その言葉に少しだけ肩が落ちる。

「だが、弱いのではない。複数の象徴を重ねれば、一本へ育つ可能性はある」


 それはつまり、“玄関”だけでは足りないが、“帰って当然だった日常”を構成するものを重ねればいけるかもしれない、ということだ。


「じゃあ」

 ミレナがすぐに言う。

「次は“約束”ですね」

 彼女は俺を見る。

「さっき紙に書いてありました。“帰るって約束”」

 その言葉に、胸の奥がわずかに動く。

「それ、たぶんかなり大きいんじゃないですか」


 オーウェンも否定しなかった。


「ありえるな」

 老人は静かに言う。

「むしろ、帰還陣は“戻る理由”より“戻る約束”の方へ強く反応することがある。意思よりも、すでに結ばれた線の方が安定するからだ」


 約束。


 その単語が、研究室の空気をまた少しだけ重くする。


 帰るって約束。

 誰と?

 どんな言葉で?

 その時の顔は、声は、空気は――。


「……師匠」

 ミレナが、今度はかなり慎重に言う。

「それ、書けますか?」


 すぐには答えられなかった。


 玄関の図は描けた。

 でも約束は、もっと直接的だ。

 言葉そのものに近い。


 エルセが、机の向こう側から俺を見ている。

 何も言わない。

 でも、その視線には「無理なら無理って言っていい」という色があった。


 俺は少しだけ呼吸を整える。


「……書けるかどうかはわからない」

 正直に言う。

「でも、避けてもたぶん意味ないんだろ」

 オーウェンが静かに頷く。

「じゃあ、やる」


 その一言に、エルセの肩がほんの少しだけ緩んだ気がした。


 帰りたい理由を、言葉にしろ。


 今度は、そこへ踏み込む番だった。

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