表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「嫌い、最低、近寄らないで」――なお全部好意です。呪われ魔女に愛される元勇者は現代帰還を諦めない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/38

第16話 それでも隣にいる理由

その日の《木靴亭》は、妙に静かだった。


 いつもなら女将の怒鳴り声がどこかでして、旅人の笑い声や食器の触れ合う音が続いている。けれど今夜に限っては、そういう日常の音まで、どこか遠慮がちだった。


 たぶん、俺のせいだ。


 いや、正確には、俺とエルセの間に落ちた空気のせいだろう。


 図書院から戻ってきてから、俺はずっと荷造りをしていた。森へ再び入る準備。前回より深く潜るための食料、紐、灯り、保存薬、簡易の魔除け。机の上へ道具を並べ、足りないものを確かめ、必要な順に袋へ詰めていく。


 手は動く。


 でも、頭の中はひどく散らかっていた。


 主陣がある。

 帰還陣の再起動条件が見えるかもしれない。

 ここまで来れば、あとは進むだけだ。


 そう思う自分がいる。


 その一方で、図書院の部屋で帽子のつばを押さえたエルセの横顔が、何度も頭に浮かぶ。


 そんなに、嬉しいのね。


 あの声は、まだ耳に残っている。


「……うまくいかないな」


 荷紐を引きながら、小さく呟く。


 何が、とは言わない。

 言わなくても、自分ではわかっていた。


 扉の向こうで、こつ、と小さな足音がした。


 反射的に顔を上げる。


 でもノックは来ない。


 しばらくして、足音はまた遠ざかっていった。


 たぶん、エルセだ。


 わざわざ来て、結局入らなかったのか。

 それとも、俺がいるかどうか確かめただけなのか。


 どっちにしろ、らしいなと思う。


 俺は荷造りの手を止め、しばらく扉を見つめていた。


    ◇


 夕食の時間になっても、エルセは食堂へ下りてこなかった。


 ミレナは珍しく空気を読んだのか、今日は図書院の整理を手伝うとか言って戻っていない。女将だけが、鍋をかき回しながら、何度かこっちをちらちら見てきた。


「……何ですか」


 たまりかねて聞くと、女将はふん、と鼻を鳴らした。


「自分で行かないのかい」


「どこへです」


「あの子のところへだよ」

 女将は当然みたいに言う。

「夕方から水しか飲んでないよ」


 思わず眉が寄る。


「食ってないんですか」


「食べる気分じゃないってさ」

 女将は鍋の火を弱めた。

「まあ、あんたがあんな顔して帰ってきたんだ。食べにくくもなるだろうね」


「あんな顔って」


「若いのは、自分の顔を見ないから困る」

 女将は肩をすくめる。

「嬉しいのと困ってるのと、両方を中途半端にぶら下げた顔さ。隣にいる子が一番つらいやつだよ」


 言い返せなかった。


 女将は小さな盆にスープとパンを載せ、それから少し考えて、林檎を半分に切って添えた。


「持ってきな」

「……食べないかもしれませんよ」

「食べないなら下げてくりゃいい」

 女将は俺へ盆を押し出す。

「でも、自分で行って、自分で顔見て、何か言ってこい。それくらいはしな」


 俺はしばらく盆を見た。


 それから諦めたように息を吐いて、それを受け取った。


    ◇


 エルセは、二階の一番奥の窓辺にいた。


 部屋じゃない。廊下の突き当たり。小さな腰掛けと、外が見える古い窓があるだけの、ほとんど物置みたいな場所だ。


 銀髪の魔女は、そこへ背中を預けるように座っていた。


 帽子は膝の上。

 黒い髪留めだけでまとめた銀髪が、窓から入る夜風に少し揺れている。


「……いたのね」


 足音で気づいていたらしい。

 こっちを見もしないで、エルセはそう言った。


「いたら悪いのか」


「別に」

 短い返事。

「そういう返し、今日はやめた方がいいわよ。私、あんまり余裕ないから」


 言い方はきついのに、声には力がなかった。


 俺は少し離れた位置へ盆を置く。


「女将さんが持っていけって」


「頼んでない」


「知ってる」


「じゃあ持って帰ればいいでしょ」


「食わないならそうする」


 そこでようやく、エルセがこちらを見た。


 灰青の瞳はいつもより静かだった。

 静かで、そのぶん疲れて見えた。


「……あんた、そういうところ本当にずるい」


「さっきも言われたな」


「何回でも言うわよ」

 エルセは視線を落とす。

「優しいなら優しいで、最後まで優しくすればいいのに。中途半端だから困るの」


 胸の奥が、少しだけ重くなる。


 俺は窓辺の反対側の壁へもたれた。


「中途半端なのは認める」


「認めるんだ」


「そこ否定しても意味ないだろ」

 少し間を置いてから続ける。

「……どう話せばいいのか、まだよくわかってない」


「何を?」


「お前と」


 夜風が、少し強く吹いた。


 エルセは何も言わない。


 言わないまま、膝の上の帽子のつばを撫でている。


「図書院で」

 俺は言葉を探しながら話し始めた。

「お前がああいう顔をしたの、ちゃんと見てた」


「……見なくていいって言ったでしょ」


「言われたな」

「だったら」

「でも、見えた」


 エルセが、わずかに顔をしかめる。


「それで?」

「それで、だ」

 喉が少し乾く。

「主陣が見つかるかもしれないって聞いて、俺はたぶん、かなりわかりやすく喜んだ」

「そうね」

 エルセの返事は、驚くほど穏やかだった。

「嬉しそうだった」

「……ああ」

「すごく」


 そこまで言われると、逆に逃げ道がなくなる。


「悪かった」

 小さく言うと、エルセは少しだけ首を振った。


「謝ってほしいわけじゃないの」

 彼女はゆっくり言う。

「だって、あんたが帰りたいのは最初から知ってる。知ってて一緒にいたのは私なんだから」

 そこで、少しだけ言葉が途切れる。

「……でも、実際にそういう顔を見せられると、思ってたよりきつかっただけ」


 その“きつかった”が、妙に生々しかった。


 俺は何か返そうとして、やめる。

 軽い慰めみたいなことを言ったら、たぶんそれが一番駄目だとわかったからだ。


 しばらく沈黙が落ちる。


 階下で女将が何かを片づける音がした。

 宿の外からは、遅い時間の馬車が一台、石畳を通り過ぎる音が聞こえる。


「……ねえ」

 エルセが先に口を開いた。

「変なこと聞いていい?」


「変じゃない質問の方が少ないだろ、お前」


 そう返したら、ほんの少しだけ唇の端が動いた。

 笑うほどではない。

 でも少しだけ、空気が和らぐ。


「じゃあ聞く」

 エルセは帽子を握りしめる。

「もし、主陣が見つかって、帰還陣が本当に再起動できるってわかったら……あんた、すぐ帰るの?」


 真正面から来た。


 予想していたのに、思っていたよりずっと答えに詰まる。


「それは……」

 口を開いてから、続きが出ない。

 自分でも驚いた。


 “当然だ、帰る”と即答するつもりだった。

 それが、できなかった。


 エルセがゆっくり目を細める。


「ほら」

 彼女の声は小さい。

「そうやって、少し黙るじゃない」


「……前なら、たぶん即答してた」


「前なら、でしょうね」


「でも今は」

 そこから先が、なかなか出ない。

「今は、条件が見えないのに答えだけ決めるのも、何か違う気がする」


 エルセは静かに聞いている。

 責めるでもなく、助けるでもなく、ただ待っている。


「帰りたいのは本当だ」

 俺はゆっくり言葉を置いた。

「そこは変わってない。向こうに戻りたいし、戻らなきゃいけないと思ってる」

「うん」

「でも、帰還陣が本当に動くとして、それがどういう形なのかはまだわからない。何を代償にするのか、何を残していくのか、何を切るのかも」

 少しだけ息を吸う。

「だから、今ここで“すぐ帰る”って言い切るのは……前より少し、違う気がする」


 言い終わると、自分でも変な感覚があった。


 これは決意の後退なのか。

 それとも、ようやく現実に近づいたからこその慎重さなのか。


 まだ判別がつかない。


 エルセは、それを聞いてすぐには何も言わなかった。


 やがて、ほんの少しだけ肩の力を抜く。


「……そう」

 それだけだった。

 でも、その一言に、さっきまでより少しだけ柔らかいものが混ざっていた。


「お前は」

 今度は俺が聞く。

「本当は、どうしてほしいんだ」


 言った瞬間、エルセの指先がぴくりと動いた。


「何、その聞き方」

「そのままだよ」


「……ずるい」

「またそれか」


 エルセは困ったみたいに笑って、それから視線を窓の外へ逃がした。


「本当のこと言ったら、たぶんだめになるから」

「今さらか?」

「今さらよ」

 小さく息を吐く。

「だって、あんた、ようやく少しだけ見ようとしてるところでしょう。そこで私が全部、ちゃんとした言葉にしたら……たぶん、あんたはまた逃げる」


 否定できなかった。


 図星だったからだ。


「だから、今は言わない」

 エルセはそう言ったあと、少しだけ口元を歪める。

「というか、言えないし」


 呪いのことだ。


 俺は壁から体を離し、少しだけ彼女の近くへ寄った。


「じゃあ、言える範囲でいい」

「何それ」

「全部じゃなくていいってことだ」

 自分でも不器用な言い方だと思う。

「お前が今、何を望んでるのか。その全部が無理なら、せめて今夜の分だけでも」


 エルセは長く黙っていた。


 その沈黙の長さが、どれだけ言葉を選んでいるのかをそのまま表していた。


 やがて、彼女は帽子を膝の脇へ置いて、両手を軽く握る。


「……今夜の分だけなら」

「うん」

「今夜の分だけなら」

 もう一度同じ言葉を繰り返してから、ようやく顔を上げる。

「明日、あんたが本当に主陣を探しに行くとして……」

「行く」

「そうでしょうね」

 そこで少しだけ目が細くなる。

 でも止めない。

「……そんなに嫌なら、って、あんた昨日聞いたじゃない」


 昨日の話だ。


 図書院のあと、たぶん一番痛いところで終わった会話。


「ああ」

「じゃあ答える」

 エルセは小さく息を吸う。

「嫌じゃない」


 そこまで言って、ほんの少しだけ喉が震えた。


 俺は言葉を挟まない。

 邪魔をしたら、たぶん二度と続きが出ない気がした。


「嫌じゃないし」

 エルセは続ける。

「一人で行かれる方が、たぶん、もっと嫌」

 声は小さい。

 でも、ちゃんと届く。

「だから……ついて行く」


 そこで言葉が止まる。


 たぶん、本当はその先がある。

 “ずっと一緒にいたい”とか、“離れたくない”とか、そういうのだ。


 でも呪いも、意地も、今の彼女にはその先をまっすぐ言わせない。


 代わりに出てきたのは、少しだけ拗ねたような、不器用すぎる言葉だった。


「一人じゃ心配だから仕方なくよ」

 エルセは目を逸らしたまま言う。

「勘違いしないで。別に、離れたくないわけじゃないし」


 その最後の一言が、ほとんど自爆に近いことを、たぶん本人も気づいている。


 耳まで赤くなっていた。


 俺はしばらく何も言えなかった。


 言葉と本心が逆だって、もうわかっている。

 だから、今の言葉をそのまま受け取る必要はない。


 でも、それとは別に、ここで俺が何と返すかはたぶん大事だった。


「……そうか」


 短くそう言ってから、少しだけ考える。


 そして、たぶん今の俺にできる一番まっすぐな返事を選ぶ。


「じゃあ、仕方なく頼む」


 その瞬間。


 エルセの顔が、信じられないくらい赤くなった。


「っ……!」

 言葉にならない声が漏れる。

「な、何その返し!」


「お前がそう言ったんだろ」


「そうだけど! そうじゃなくて!」

 エルセは両手で顔を覆いかけて、でも覆いきれず、結局俺を睨もうとして失敗したみたいな表情になる。

「もっと、何かあるでしょ! 普通!」


「普通って何だよ」

「知らない! でも、もっと……!」

 そこで完全に言葉に詰まる。

「……もう、本当に嫌」


「嫌なんだよな?」

 少しだけ意地悪く聞くと、エルセがぎっと睨んだ。


「そうよ。嫌。最低。大嫌い」

 そう言いながら、声の調子はもうぐちゃぐちゃだ。

「……なのに、何でそんなふうに笑うのよ」


 言われて初めて、自分が少し笑っていたことに気づいた。


「笑ってたか」


「笑ってた」

 エルセは頬を赤くしたまま続ける。

「そういうの、ほんと反則」


「お前だってさっき少し笑っただろ」


「笑ってない」


「いや、笑ってた」


「……あれは」

 エルセは少し黙ってから、観念したみたいに小さく言う。

「……ちょっとだけ、安心しただけ」


 その一言は、たぶん今夜一番素直だった。


 俺は何かを返しかけて、やめる。

 今そこへ余計な言葉を重ねるのは、たぶん違う。


 だから代わりに、机の上の盆を彼女の方へ少し押した。


「冷める前に食え」

「今それ?」

「今それだ」

「……ほんとにもう」


 呆れた顔をしながらも、エルセはようやくパンへ手を伸ばした。


    ◇


 翌朝、王都はまだ薄い霧の中にあった。


 主陣へ向かう再出発の日だ。


 北門前には、前回と同じく荷をまとめたロバと、無口な猟師ガルム。そこへ、ミレナが大きく手を振りながら駆け寄ってくる。


「おはようございます! 準備万端です!」

「お前は外縁待機だ」

「わかってます! でも見送りくらいします!」


 エルセは俺の少し横に立っていた。


 昨夜よりはだいぶ落ち着いている。帽子も、服も、いつもの通り。だが、完全にいつものエルセというわけではない。


 時々、こっちを見ようとしてやめる。


 たぶん俺も似たような顔をしている。


「じゃあ行くか」

 俺が言うと、エルセは小さく頷いた。


「ええ」


 それだけのやり取り。


 でも前より少しだけ、言葉の間に迷いが少ない。


 ロバへ荷を積み、門番へ通行札を見せる。北門の朝はまだ人が少なく、見送りの声もまばらだ。


 その静かな空気の中で、ミレナがぽつりと呟いた。


「これ、あと何年かかるんだろ……」


「何が」

 俺が聞くと、ミレナは真顔で答えた。


「お二人がちゃんとくっつくまでです」


 エルセが一瞬で真っ赤になる。


「な、何言ってるのよ朝から!」

「朝だからですよ!」

 ミレナは胸を張る。

「旅立ちの朝って、そういうこと言うタイミングです!」


「どこの風習よそれ!」

「わたしの中の風習です!」


 俺は思わず息を吐いた。


「お前、本当にぶれないな」


「必要な人材ですから」

 ミレナはにやりと笑う。

「だってどう見ても、まだ始まったばかりですし」


 その言葉に、俺とエルセは一瞬だけ顔を見合わせた。


 始まったばかり。


 たぶん、そうなのだろう。


 帰還の鍵を求める旅も。

 言葉と本心がずれたままの、このどうしようもなく面倒な関係も。


 まだ何も終わっていない。

 むしろ、ここからなのかもしれない。


「……行くぞ」

 俺は言った。


「ええ」

 エルセが答える。


 王都の門をくぐり、朝の道へ出る。

 どう見ても両想いなのに、告白は一歩も成功していないまま。


 それでも、隣にはちゃんと銀髪の魔女がいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ