第三章 盗賊領主はハンコウする編 「ツイてない遭遇」
「ーー!!?」
……暗夜によって輪郭だけを晒す木々の只中で、柔らかな果肉を潰し、また枯れ木を割るかの様な相反する不協和音が微かに余韻を残して消えてゆく。
すると死臭を振り撒き、徘徊する人影がいくつか同時に崩れ落ちた。
暗闇に溶け、止まる事無く駆け抜け様にグールを屠り、一匹の野獣と化したゴブリン……おそらくは野生の本能を以てしてもその姿を捉えるのは不可能であろう。
……あくまで居ればの話であるが。
数瞬の後、何体目かの首を鉈で叩き落とすとマイケルはすかさず木の幹を蹴り上がって跳躍を数度繰り返し、太い枝へと低い態勢で着地して眼下を見渡す。
刹那的に彼は『やはり』と心中で呟き、察してしまう。
現状、この森で生物は自分達しか存在していない……と。
ある程度のものはグールに喰われたかもしれないが、大半は本能に従い自ら森を捨てたのだろう。
広大な森林内を跋扈する、命の鼓動とは一線を画す異質な気配……それらは生命の循環から逸脱し、際限無く不毛な『死』を振り撒き続けるのみなのだ。
生存本能に重きを置く獣ならば、尚更相対する等しないであろう。
(俺も奴らの危険性を知らなきゃ逃げてたしな……。)
マイケルがそう漠然と恐怖を噛み殺していると、遠くから聞き覚えのある音色を耳にする。
昔に狩りで使えると婆がマイケルを含め、族内の主だった若者たちへ教えていたゴブリン族と一部の生物にしか聴き取れない指笛だ。
即座にその意図を汲み、彼は背中に携帯していた折り畳み式の弓を取り出し展開、中央の弓柄を合わせて捻じり押し込むと両端の弭が向き合い固定、弓をしならせ弦を未弭へ掛けて弾く。
続けて腰部のホルダーから手探りで鏑矢を取り出すと番え……ギリギリッと引き絞りながらマイケルは上空の枝葉の隙間へと解き放った。
一直線に放たれた鏑矢は自身の空洞内へ空気を取り込みつつ、耳障りな騒音を立ててゆく。
当然の事ながら、それは統率者の耳にも届いたのだろう。
矢の届く範囲ではなかったが森林上空を旋回していた一匹が訝しげに視線を向け警戒を示した。
「………。」
(……やはり降りて来てくれないか。)
枝葉の間を飛び移りつつ、眼下のグール達が活発に動きだしたのを認め、敵が殺到する気配に思わず舌打ちが洩れてしまう。
一方……マイケルとは別地点に居た婆もまた、鏑矢の行方と統率者を観察していた。
結果、反応によっては撃破に踏み切れると考えていた婆にとっては思惑を裏切られる事となった。
マイケルも感じた通り、統率者は自身の安全圏を維持するという行為が最も敵にとっての脅威となると認識しているのだろう。
代わりに地上を徘徊するグール共をけしかける、けしかけ続ける……今や鏑矢が放たれた地点を中心とし、森の外からも悍ましい数の死者が集結しつつあった。
だがこの状況に婆は臆さずに笑みを溢す、鬼喜としてグールの群れの薄い場を見抜き、飛び降りて奇襲に興じる。
(好都合よ……ヌシらが安全な高空に留まる限り、儂らの全容を掴む事もまた同様に出来ん。)
直後、全身を捻って一回転させると、鉄扇が円を描いて周囲のグールたちを撫でてゆく。
そして何事も無い様に婆がその場を走り抜けていくと一拍の間を置き、三体のグールの首が綺麗な断面を覗かせてーーゴトリッ!?と落ちた。
淀み無く、あたかも単純作業をこなすかの様に、婆とマイケルによって処理されてゆくグールの群れ。
それでも徘徊する死者の数は減少する気配すらみせない……だがそれで良いと二人はほくそ笑む。
ダナン達と別行動を取り、この時点で二十分は経過したであろうか?
そんな考えを頭に過ぎらせつつ、森林という『目眩まし』の隙からまたもや鏑矢を二本……統率者を狙った体で引き放つマイケル。
絶対に脅威足り得ない無駄な弓矢、否、最初から敵を誘き寄せるブラフとしての布石、撒き餌であった。
ーーそしてそれはほぼ成就するに至る。
広大な平原地帯の方々へ散っていた統率者の内、二匹が異変に気づき森林上空に接近して来ており、それに引っ張られる様に地上のグール群が大移動を始めたのだ。
(それで良い……後は時間を稼いで彼奴らから逃げ切った上でダナン達との合流機会を伺う。)
この時点で婆の想定にズレは無い、間違いも無かったと断言してもいいだろう。
次第に森林内には無力化され、無惨に転がるグールで埋め尽くされつつあったが関係ない。
力量の差は天地の差であり、相手は駆け引きの出来る知能すら持ち合わせていないのだから物の数ですらないと踏んでいた……。
しかしその直後、ほんの僅かな予兆ともいえる異変に婆だけでなく、離れた場所で戦うマイケルも気づいてしまう。
「………!?」
突如として鉄扇に亀裂が疾ったのだ……また同様の事がマイケルの振るう、鉈の分厚い刀身にも起きていた。
その光景に目をやり、無意識にでも身体が強張ったのだろう、一瞬の隙間、四方から虚を突くように一斉に襲われて、マイケルは思わず鉈を前方のグールの頭へ叩きつけてしまう。
瞬間的にグールの顔までを潰し、砕け散る刀身の欠片……だが終わりではない、残りの三匹がマイケルに組み付こうと手を伸ばしてくる。
間一髪、鉈とは逆の手で持っていた弓を振り回して三匹の包囲網をすり抜けつつ、仕切り直す為にグールを踏み台に上空の大枝へ飛び上がった。
「………。」
背筋に感じる戦慄を歯噛みで抑えつけ、マイケルは柄部しか残されていない鉈を投げ捨てて弓の状態に目を向ける……嫌な予感がした、先程使用していた鉈も鉄扇もギャンビット号で譲り受けた最新武具だ。
本来であればどれだけ肉を切ろうが叩こうが傷つき刃毀れする道理はない、また同種の武具の扱いにも長けている。
だがその疑問は一瞬で氷解した、堅いカシマシの木を原材料とした弓体が黒く腐食し、弦が外れかけていたからだ。
その瞬間、更に押し寄せて来た戦慄に呼吸も忘れ、思考停止に陥った……そして。
「ーーー!?」
下顎から脳天へ突き上げるかの様な衝撃が突如として襲いかかり、マイケルの身体が闇の奥へと吹き飛ばされて……いった。
(……静か過ぎる。)
婆の足元には小間切れにされた無数のグールの身体がビクビクと脈打っていたが、今、彼女の意識は周囲へと張り巡らせていた。
自分とは一定の距離を保ち、月明かりの届かぬ暗がりの中で蠢き渦巻きながら取り囲んでいる……そして徐々に徐々にその距離を確実に詰めて来る無数の悪意。
(襲い方……いや、戦い方が変わったかよ。)
亀裂の入った鉄扇を握りしめ、婆は確信を以て鼻を鳴らす。
グールはアドの時点では無かった強化をされている。
おそらく武器を腐食させたのもそのひとつだろう……肉か体液かそれとも両方だろうか、いずれにせよ自分達の見通しが甘かった。
太陽を克服した蝙蝠ヤロウを視た時に疑うべきだったのだ。
そんな後悔を脳裏に残しつつ、婆はこの場を切り抜けマイケルとの合流を最優先と決する。
そして次第に意識を全方位へと研ぎ澄まし……風の向き、混ざる腐臭、闇の中から聴こえる葉擦れや枝を踏みつける音……肥大化した感覚はその時を待ちわびた。
「………。」
しかしふと、婆は己が心境に微かなわだかまりを見出す。
敵の戦力が不透明であるとはいえ、過剰が過ぎる警戒ではないのか?……と。
それは長年の戦闘経験において、冷徹に自身を客観視してきた婆にとって『驕り』とも断ぜられる心境であっただろう。
慢心を引き締め、更に感覚の先鋭化を図らねば……そう思う反面、何故なのか?『過剰である』と感じた部位に彼女は着目した。
……その思考自体は体感にして数秒、或いは数分にも思えたが、奇しくも答えが出たのとほぼ同時に敵も動いた!!
突如として暗がりから月明かりの射す婆のもとへ数十体の影が殺到するかの様に飛び掛かり、更にその刹那、周辺で散らばっていた筈の袈裟斬りに崩れた腕が婆の足首を掴む!!
絶対絶命の瞬間、畳み掛けられ、沸き上がってきた恐怖と絶望は奔流として婆の全身に駆け巡り……反して目に映る光景は走馬灯が如くスローモーションで流れーー。
「………。」
ーーだが何時にも増して口角を歪め、婆は牙を剥いて笑んだ。
次の瞬間、数十体もの影や足首を掴む腕も消え失せ、何故か婆は右腕を頭上より高く掲げていた。
視線をその先へ向けると……何も無い宙空に鉄扇が『刺さって』いる。
「幻覚……それも負の感情さえ付与するか。」
気配を察し、婆が数m程後退すると続けて上空から鉄扇ごと何かが落ちて物音だけを響かせる。
「………。」
「………。」
やがて現れたのは権威を示すかの様な白い法衣を纏った栗色の髪の女性が膝を着く姿であり、一見すると彼女は若く十代にも思えたが、だがその両眼は白黒が反転して瞳孔が濁っており、更に首筋に鉄扇が刺さり血飛沫を上げていても平然としている態度は異質極まりない印象であったという。
その出で立ちを見た途端、婆の脳裏へある記憶が過り重ねる……そして。
(ーーー。)
にわかに異形の眼を見開き、婆を視る少女。
「!?……その名前は誰から聴いた!!」
刹那、互いの表情に血管を幾つも浮き立たせた両者の間で濃密なる殺気が圧力という形をとって顕現し交わされてゆく。
確かに婆は記憶の片隅に何時も留めていた、ナボルの事件だけでなく、この場を鑑みてもグールと繋がりの深いであろうその名前を……確かにソニア・ハルバートと心の声で呟いていた。
しかし彼女は咄嗟に関連するニッカ・ボッカの名前を思考の奥底へ沈め、新たな決意を固める。
否、正確には諦めたと表した方が良いだろうか……ドス黒く、対象に遭遇した場合どんな手段を用いてでも拘束し、尋問し、全てを吐かせると考えていたが最早断念、断念せざるを得ない。
まず現状が許さない、これから仲間と合流し、コルカドへの救援に行かねばならぬ状況で捕虜を同行させるのは現実的ではない、ましてや情報を引き出そうにも、逆に相手に思考を覗かれ逃げられる危険性も孕んでいるのだ。
容認できない、冒せない、事態は圧迫の一途である、ならば全力を振るい一秒でも早く、目の前の女を殲滅他ない。
「………。」
婆の思惑を読んだのか……或いは察したのか、ソニアと思わしきその女はゆらりと立ち上がると顔色ひとつ変えずに、首筋に刺さっていた鉄扇を引き抜いた。
つづく




