第三章 盗賊領主はハンコウする編 「感覚のズレ」
幼き頃、何時も父の背中を探しては飛びついていた。
浅黒い肌と相反する様に、背中まで延びた銀髪が陽射しによって輝くのを見るのが好きで仕方なかったのだ。
母は私を産んだ直後に息を引き取ったそうだが、私は寂しいと思った事が無い……何故なら父と歳の離れた兄が側に居たし、里のみなもよくしてくれていた。
過去から現在へ紡がれる還りたい場所……。
私は首領の娘として何不自由無く暮らしてこれた……あの出来事が起こるまでは。
それは私が十六歳の誕生日を迎える数週間前に起きた。
鬼の里が正体不明の魔獣に襲われたのだ。
名だたる強者を指揮し、父は勇猛果敢に魔獣ヘ立ち向かった……なら、どれだけ救いであっただろうか。
父はみなを見捨て、敵前逃亡をしたという。
信じたくは無かった、だが父の副官であった者を含め、数名の兵がそれを目撃したと証言した。
結果として魔獣は里を壊滅させただけでは飽き足らず、地下水脈をも枯渇させてしまったのだ。
それは過酷な砂漠で暮らす者にとっては死刑宣告と言っても過言ではない。
もう二度とこの土地では根を下ろして暮らせない……あの里の風景は永遠に喪われてしまった。
けれどそんな失意の底でたゆたう私を余所に事態は僅かな余暇さえ許さない、生き残った有力者の中から新たに首領を選ぶ事になったのだ。
本来であれば兄が首領を継ぐのが筋なのだろう、しかし敵前逃亡の臆病者という誹りを受けた者の血族が首領の座に着くべきではないという声が上がり、里の人々の大半もこれに同意してしまった。
いや……それ自体は仕方が無かったのだろう。
何よりもまず、砂漠に放り出された一族郎党を安住の地ヘ導かねばならなかったのだから。
だが半数以下にまで戦力を落とした鬼人族では魔族領中辺の有力種族を追い落とす事など叶う筈もなく……新たに首領を拝命した繕玄は鬼の誇りを捨てて外縁部に進路を向けた。
その判断は正しかったと思う、最果ての町を支配下に置き、以前とほぼ変わらぬ暮らしにありつけたのだから。
変わった事といえば里のみなが私たちに向ける冷たい眼差し位だろう。
裏切り者の娘……かつて姫と呼ばれた事への皮肉と落差に私の心は荒んでいった。
変わらず側に居てくれる赤詠や兄である水蓮の存在は救いだったが、私自身が戦士として汚名を雪ぐと踏ん切りを着けるにはどうしても時間を要した。
どんな屈辱に塗れようとも、里を守り、忠義を尽くすと決めたのは何時だったか。
そして現在ーー私は珍妙な人間の男と戦っている。
◆
◇
「………。」
埃臭さにむせ、瞼を開けると視界が陽射しによって白く埋まる……。
「起きたか?ロジャーの旦那。」
聞き慣れた声に漸く思考が回り始め、ロジャーは眼に入る光を絞り、左手を眉間ヘ当てて日陰を作る。
「私は負けたのですね……これでは(マスターに)顔向けできませんな。」
「あん?あれだけの戦いを見せといてケチくせぇ事ほざくなよ、そのマスター様々が今戦ってんだから、旦那も見届けろよ。」
「………!?」
ミシェルのぶっきらぼうな物言いに一瞬で上半身を起こすが、視界はまだ戻っておらず、ロジャーはもどかしそうに表情を歪めてしまう。
……除々に白い世界の中へぼやけた輪郭と色が現れてゆく。
やがて最初に明確になったのはミシェルの華奢な背中であった。
「あいつさ……勝ちたいってさ、きっと旦那の戦いを見たからだぜ。」
「……情けない姿を晒しました。」
ロジャーのその言葉を受けた瞬間、微かにだがミシェルの背中に纏う空気が確かに変わった。
振り返るでもなく座したままに、だがそんな姿にロジャーは言葉を失う。
「悔いを残した勝負だったかよ?」
「そんな事は……決して、ですがーー」
「だったら『情けない』なんて言うんじゃねぇよ……。」
「………。」
「死んでもおかしくなかった……ンな戦いで命を拾ったなら、そりゃもう負けじゃねぇし。なら得るもんも在るだろ。」
淡々とそれでいて一本筋の通った声だと、ロジャーは心の底から思う、第一試合において誰よりも不本意であったのはミシェルであろうに……。
水蓮は武人として、己が理の裡で戦った。
それ自体は孤高な行ないであるかもしれない、だが裏を返せば相対するミシェルを真に眼中へ入れているとは言い難い。
今、彼女の胸中にどんな思いが渦巻いているのだろうか、それは誰にも推し量れないのだろう。
だからロジャーは一言だけ、その華奢な背中へ投げ掛けた。
「私たちはもっと強くなれますよ。」
「………だな。」
◇
◆
息苦しい……何より身体がダルい……まるで水中で戦っている様にもどかしい。
とにかく重い、いや、最も重いのはこの女の攻撃だろう。
試合開始直後からダガーで『受ける』のが精一杯で、攻撃なんて打てやしねぇ。
相手が遊んでなきゃ即座に詰んじまう。
身体の不調だけじゃない、悪い事ってのは重なるらしい……時間操作だけでなく、俺のマストの能力である認識阻害スキルまで使えなくなっていた。
これはもう、不調云々の話というより能力の封印を疑った方が自然だろう。
「………ッ!?」
とか考えていたら、不意打ちの前蹴りが袈裟斬りのフェイントから飛んできた。
咄嗟にクロスアームで防御態勢をとったが……それが敵の狙いだったらしい。
直前で蹴りを引き、奴は俺の髪を掴み寄せて頭突きをブチかます!
刹那、眉間で何かが爆ぜた様な感覚に囚われ、俺は仰け反りながら後方へとよろける。
「…………。」
地面が無くなった様に両膝が揺れ、立って居られなくなった俺は片膝を着き、何とか顔を上げた……が視界はぐにゃぐにゃに歪み、夥しい流血と共に吐き気を催す。
「……どうした、降参か?」
ニタニタと笑みを浮かべやがって……しかしこの女の余裕は当然だろう。
スキルの全てを失い、一般ピーポーと変わらん俺では鬼人とやりあえという方が無茶だ。
肺が熱くてイテぇ……もう何も考えたくなくなってきた……。
「手間取らせてくれたね……人間風情にしたら良くやった方じゃない。」
……何を……言っている?……手間取った?……終始押せ押せでオラついてきたろ。
「…………。」
その瞬間、消え入りそうな意識の最中で俺は気づいた、気づいてしまった。
眼前の敵である華火も……その顔に汗を滴らせ、息を切らしていたのだ。
何かが起きている、いや、もうずっと起きっぱなしなのだが、少なくとも俺の印象とズレた事態が俺の内面以外で発生している。
だがそれが判った所で敵は待ってくれない。
「終わりだな。」
俺を見下し、冷徹に太刀を振り上げて構える華火……そして容赦無く切先を振り下ろした!!
刹那、コマ落しの様な時間の最中で、人生の終わりを確信した俺は走馬灯を見ていた……。
呆気ない幕切れ……目紛るしく脳内に流れる過去とは裏腹に、鈍く光る切先がゆっくりと迫ってくる、やがて目前数cmまで来た時、心臓の鼓動が……跳ね上がった。
「………。」
静かな凪の様に、終点へ帰結するかと思われた俺の時はーーまだ流ている。
何が起きたのか?まるで世界という巨大なフィルムを切り離し、別のシーンを繋いだかの様に……観衆は息を呑んでその光景を目撃したという。
カチンッ♪カチンッ♪カチンッ♪
「………!?」
武舞台の石畳へ降ろされた切先を呆然と見つめながら、背後で小気味よく鳴る金属音に底知れぬ悪寒を感じる華火……。
俺は……彼女の背後に立ち、上空へと咥えタバコの煙を吐き捨てていた……そして。
『……………。』
よぉ、やっとお目覚めかい……相棒。
つづく




