第三章 盗賊領主はハンコウする編 「命を賭けた遊びの作法。」
遥か昔……赤詠と云う男は鬼人族に在って一流の剣術を修めたとも謳われる侍であり、同時に悪鬼羅刹と揶揄される無頼漢でもあった。
味方からも恐れられる厄介者、荒ぶる若武者の行く末は戰場での野垂れ死にこそ相応しい……誰に謂れるでもなく、当の本人がそう望んでいたのだ。
だが時として運命の悪戯は気まぐれである。
魔族領内で幾度となく開かれる戦端……際限等ない、自身でも数え切れなくなった何度目かの戦場で鬼人族は敗走を強いられる。
元より酔狂で命を賭けてきた赤詠は、率いる小隊と共に殿を買って出るが、他を省みない彼に小隊は散り散りとなってしまう。
独りで戦線を引ける程、現実は甘くなく、敵軍に呑まれ押し潰されるのは瞬きであっただろう。
せいぜい数体の魔物や魔族を道連れとするのが関の山……ならば早足で駆け寄る『死』に、せめて艶やかな舞を披露せん。
しかし、そう嗤う赤詠に『死』が訪れる事は無かった。
事態を見越した鳳禅の率いる小隊が援護として参戦した為に、彼は生き残ったのだ。
死に場所を奪われた……そう激昂する赤詠に鳳禅は拳を叩き込み、意気揚々と宣う。
『死線で死ぬるは容易き事よな、つまらん遊びよ……どうせなら、死神の鎌を紙一重じゃろ。』
赤詠にとって、それは余りに衝撃的な天地を揺るがす言葉であったと云う。
ーー以来、何かにつけ張り合う赤詠を鳳禅が返り討ちにし、連れ立つ事の多くなった二人はやがて莫逆の友となってゆく。
他者との繋がりを知り、互いに家庭を持った、そして鬼人族の寿命で老齢に差し掛かる三百と二十五歳を数える年に、鳳禅は一族を率いる首領となり、赤詠は相談役として刀を置き一線を退いた……筈であった。
「………。」
現在、全盛期をとうに過ぎた老兵はゴブリンを相手取り鎖鎌を振るっている……おまけに現首領の息子のお守りまでこなさなければならないのだ。
せめて相手が従来通りのゴブリンであったなら、差したる苦労など無かったであろう。
がしかし、同じ武舞台へ上がった瞬間、赤詠の錆びついた闘争本能が警鐘を打ち鳴らす。
決して侮ってはならない相手だと……。
萎れた身体に鞭を打ち、色褪せた甲冑を纏おうとも、頭頂部まで禿げ上がった白髪を振り乱しながらでも敵の動向を油断なく睨めつける。
試合開始直後、ゴブリンは動きを見せなかった、赤詠が後方支援に徹するのを予見していたとしか思えぬ判断であった。
正確には前に出れなかったというべきだろうか、代わりにゴブリンへ猛進してゆく鋼鬼……。
まさしく猪突の如き荒々しさで太刀を振るうが、そのどれひとつも敵に届かず、あまつさえカウンターで双剣を合わせられかけて危機に陥る始末である。
鎖鎌の援護攻撃でカウンターを遮り、何とか凌げていた……そう、赤詠が後方支援に徹した理由、それは二人の連系が壊滅的であった事に起因していた。
現状、赤詠は単調な攻撃しか放っていない、多彩な軌道が鎖鎌の長所であるにも関わらずにだ。
しかしそれは裏を返せば鋼鬼の技量が低い事を示唆している、周りを見ようともせず、悉く鎖鎌の攻撃ルートを塞いでしまっていた。
赤詠からすれば、ゴブリンにそう動く様に仕向けられているようにさえ思えたのだ。
では一方で当のゴブリンはこの時、何を考えていたのか?
実の所、赤詠と同様のやり辛さを感じていた。
彼の最終目的は鋼鬼に屈辱的な死を与え、且つ赤詠に勝利する事である。
流転する状況において鋼鬼を赤詠の弱点として利用、牽制し、決定的な機会で目的の『半分』を遂げるつもりでいた。
だが守護に徹した赤詠は想像以上に堅牢であり、既に数度訪れた機会を紙一重で潰されている。
詰まる所、互いに決め手に欠ける展開……千日手とも呼べる『沼』が武舞台上に現れ、しかも一番の弱者である筈の鋼鬼がその『沼』を席巻、掻き回しているのだ。
最早、勝負の行方、天秤の傾きは鋼鬼の動向に委ねられていると言っても過言ではない。
いたずらに時間が過ぎてゆく……三人の疲労は加速度的に跳ね上がているが、鋼鬼以外の二人は更に精神を削られており、特に赤詠の消耗は凄まじかった。
ゴブリンは鋼鬼の攻撃を難なく凌ぎつつ、援護によって防御の薄くなった赤詠を直接攻め始めたのだ。
これにより赤詠は攻め手を捨てて鋼鬼と自身の防御に集中せざるを得ない。
戦況は最早、一進一退ではなくジリ貧の様相を呈してきた……この危機を打開し逆転するには生半可では駄目だろう。
粘り強く耐え忍びつつそれでも尚、ゴブリンの隙を覗い続ける赤詠。
だが不意に、疲労から鋼鬼の攻めが崩され看過出来ぬ隙を生じさせてしまう。
「………!?」
白痴に等しいその致命的な隙を敵が見逃す筈がない、舌打ちさえ惜しいコマ送りが如き刹那にゴブリンがカウンターを合わせてゆく。
一手……思案も迷いも許されぬ渦中において、意識より速く赤詠が放ったのは『味方』への攻撃であった。
通常より重い鎖分銅が鈍く、イヤな音を立てて背中へめり込むと甲冑が割れ鋼鬼が潰されたカエルの様に呻きを上げる。
……この事態を果たして誰が予想出来ただろうか?
分銅の直撃によって更に前へと押し出された事で、カウンターのタイミングがズレただけでなく、へっぴり腰で繰り出す形となった鋼鬼の袈裟斬りが敵の胸元を捉えたのだ。
「馬鹿者!!態勢を立て直せ!!」
状況を理解出来ず、面食らう鋼鬼をそう叱咤し、現実へ引き戻すと即座に退らせる赤詠……その間も視線はゴブリンへと注がれていた。
(なるほど、敢えて私の死角である背中を打ち、想定を越えた挙動を生んだか……やはり侮れませんね。)
いや、全くの偶然であったのだろう、少なくとも鋼鬼が無傷(?)で済んだのは奇跡である。
赤詠の立場で視れば、あくまで致命傷を受ける確率を少しでも下げる為のヤケクソの一手でしかなかった。
「………。」
現況に変わりは無い……変わり様など無い筈なのだが……それよりもこの時、赤詠の脳裏に小さな疑問が湧き上がり、いつの間にか彼はゴブリンから眼を離せなくなっていた。
執事服の胸元がはだけ、ワイシャツが血で滲んでもその所作は乱れる事なく美しい、だが気になったのは所作ではない。
(あれは……あの眼は怒りだけではない。)
だけではない……思えば最初から気になっていた、『虐げられた者の意地』と云う言葉といい何故このゴブリンはここまで鋼鬼に執着するのかと。
赤詠が見た感情の正体……阿修羅の如き相貌で猛りながらも、その瞳の内にはやり場のない『哀しみ』が秘められていた。
かつて見た苦い記憶、同じ様な眼差しで相対した莫逆の友の顔がゴブリンと重なり合う。
……その時、ゴブリンもまた赤詠の視線に気付いたのだろう。
戦いの最中において、数秒という両者にとっては長い沈黙が流れる。
「貴殿に名は……有るかね?」
思いもよらぬ言葉に武舞台下の鬼達がにわかにザワつく……赤詠自身も戦場の慣らいとして憚られる事は理解していたが、それでも赤詠は確かめざるを得なかったのだ。
そしてその想いをゴブリンは汲んだのかもしれない。
「……ロジャー・ザ・スミスと申します。」
ロジャーの名乗りを二度反芻し、深く息を吐くと赤詠は構えを解いてみせる……次の瞬間。
「鋼鬼……ヌシは何をしでかした。」
背後から響く重苦しい声音……鋼鬼にとって、赤詠から『若』と呼ばれる様になって久しく呼び捨ては何時振りであるかも定かではない。
だがそれだけに振り返った瞬間、身体の芯から震え上がってしまう様な恐怖が心を侵してゆく。
「お、俺には覚えが無い、全くの言い掛かりだ!!」
「俺……だと?」
「……ヒッ!?」
赤詠の言葉によって青褪める鋼鬼に相対し、ロジャーの相貌が更に巌しさを増す。
「覚えて無い……まさに鬼畜に相応しい言い草ですな。ではガーチャ、リリー、ニチェ、三名の名前も覚えていない、いや、知らないでしょうね。」
『鬼畜』……ロジャーが言い放った言葉に赤詠の眉尻が僅かに吊り上がった。
視線を向けるとロジャーの言い様を証明するかのように鋼鬼が言い淀んでいる、本当に知らないのだろう。
その煮えきらぬ態度に、赤詠にも例えようのない苛立ちが芽生えていた。
「すまぬ、貴殿の口から聴く事は不躾であると承知の上で……頼めるか?」
「こちらもひとつお聞きします、貴方は敵であるゴブリンの言葉を信じられるのですか?」
至極真っ当な問いだろう……そしてその問い掛けにはおそらく事実の是非を証明するものが無い事を含めている。
否、実の所、証明など赤詠にとっては問題ではなかった。
「……信じるさ。」
「………。」
「ワシは貴殿の中に純然たる哀しみを見た、少なくともそこに嘘は無いだろうよ。」
そう言葉を紡ぎ、微笑む赤詠の眼差しはロジャーに向けられながらも、何処か遠くへと思いを馳せている様に思われた。
その瞬間、凄涼なる風が吹く……否、それは赤詠の気風であったのかもしれない。
敵として向かい合う自分を慮った、口には決してしないであろう祈りだとロジャーは理解した。
だからこそ彼もまた、双剣の構えを解き己が修羅を抑え込んで応えたのだ。
……やがて、何かを吐き捨てる様に息をつき、ロジャーは苦々しく語り始める。
つづく




