第三章 盗賊領主はハンコウする編 「第二試合の前哨」
空気を裂く音と鋼の残響、戰場で踊る様に身を翻す黒いスーツのゴブリン。
対するのは鎖鎌を操る赤詠、そして太刀を振りし繕玄の嫡男である鋼鬼……。
「………。」
武舞台の下から戦いを見守るモンテ、傍らでは試合を終えて疲弊しきったであろうミシェルがまだ俯いている。
苛烈を極めつつある戦いに、半ば呆れた様な表情を浮かべモンテは思う……『何故こうなった』のかと。
ほんの10分前ーー
「じゃあ行ってくるわ。」
そう意気揚々と首を回し、武舞台へ足を乗せようとするモンテであったが不意に気配の変化を感じて振り向く。
「……遅れて申し訳ございません、ここは私にお任せ下さい。」
仰々しく跪きつつ、口上を述べる男……そこには音もなくロジャーが現れて居た。
これにいち早く反応したのはモンテやミシェルではなく周囲の鬼人達であったという。
彼等にとって、日に幾度となく自分たちの住処への侵入を許し、あまつさえロジャーが声を発するまで事態に気付く事さえ適わない始末だったのだから失態と言わざるを得なかっただろう。
何人かは歯軋りを軋ませて睨みつけており、彼等がこの居住区の警備に関わる者達であったかもしれない。
「………。」
乾いた風が抜けてゆく最中……何処か普段とは違う佇まいに気づき、跪いたまま言葉を待つロジャーの様子を見据えるモンテ、やがて。
「珍しいな、お前が怒りを秘めるなんて……分かった、任せるよ。」
「ありがとうございます、未熟者とお笑い下さい。」
ニヤリと笑い武舞台から下がる瞬間、モンテはすれ違うロジャーの肩を叩くと彼もまた照れくさそうに笑う。
……事実、さっきまでのロジャーは内心で猛り狂い怒りに燃えていた、いたのだが、今の彼はそれよりも敬愛する主人に心情を理解された喜びの方が大きかったのだろう、らしくなく咄嗟に笑みが出てしまっていた。
「ヤロウ同士でイチャついてんじゃねぇよ。」
疲労困憊にも関わらず、そう皮肉るミシェルのツッコミ体質も大概だろうと思うのだが……モンテは敢えて言葉にせず、彼女の傍らに置かれた椅子へ腰を降ろす。
「ンだよっ!?くっつくな、もっと離れろよ。」
「エッ!?ミシェルたんもイチャつきたいんじゃあないの!?」
「テメェ、殺すぞエロガキが!!」
しかしこの時、二人が他愛ない問答をしていたほんの僅かな時間で事件は勃発していた……そして次の瞬間、試合会場は騒然とし、怒号が巻き起こった事で漸く事態に気が付く。
「……今、何と言ったのかな?」
今度は一転して会場が静まり返る、小さく、聞き逃しかねない繕玄の呟きが吐息と共に洩れる直前、彼が差し出した右手によって鬼達は制され一斉に口を噤んでしまったからだ。
……明らかな示威を込めた眼光で見下ろす繕玄を見据え、その小柄なゴブリンは泰然とした態度で左手を腹部へ添えて、右手を後ろへ回す執事特有のお辞儀をとる。
だが決してそこには敬意等介在していない、社交辞令とも取れぬ皮肉めいた笑みだけが暗喩を示すのみであった。
「もう一度申しましょう、対戦相手は『鋼鬼』殿を指名したい。それが叶わぬなら、追加人員として二対一で、勿論の事、私独りで戦いたく存じます。」
「分かっているのか?鬼二人を相手どるのだぞ。」
「左様でございます。」
淡々と紡がれた簡素なる口上に、この瞬間、繕玄の心中で収め難い憤怒の情が吹き荒れかける。
「お前は我ら鬼人族を嘗めておるのか?それとも力量すら読めぬ愚者なのかね?」
「そのどちらでもございません、強いて言うならーー」
「……言うなら?」
「意地が故にでしょうな、虐げられし者どもの。」
意地……ロジャーのその言葉に繕玄はただ戸惑うしかなかった、一体このゴブリンは何を以て鬼人族に意地を通すと言うのか?否、そもそもその物言いや所作は従来のゴブリンと余りにかけ離れ過ぎているのではないか。
「父上、多対一など鬼の名折れ、ここは私がこの無礼な小鬼を滅しましょう。」
未だ戸惑いの沼から抜け出せぬ思考へ、目をかけた息子の声が突然に差し込まれ繕玄は我に返り視線を向ける。
そこには均整のとれた顔立ちと見事な体格を誇る、朱色を基調とした甲冑に身を包んだ若武者、いや、美丈夫が立っていた。
「……ふむ。」
鋼鬼の主張は最もである……確かに誇り高い鬼人族が多対一で戦うなどあってはならない、そんな事をすれば自らの手で面子を潰す様なものであろう、だがそれ以上に息子の表情に繕玄は危機感を募らせてしまう。
相手が矮小なゴブリンであるからと、鋼鬼は最初から力量を見ようともしていないのだ、弱者を甚振るという愉悦に完全に魅入られてしまっている。
本来であればそれでも善かった、弱者を甚振るのは強者の特権なのだから。
しかし眼下のゴブリンが纏う不穏な空気、予感を拭いさる事がどうしても繕玄には出来なかったのだ。
「馬鹿者っ!!驕るでないわ!!」
息子の力量を誰よりも知るが故に、父として繕玄は一喝してみせた……のだが、奇しくもその言葉は多対一を認めた事を意味していた。
と同時に、この言葉によって誰よりも愛情を注いできた筈の息子へ陰を落とした事に繕玄は気付いていなかった。
その表情を恥辱と怒りに赤く染め、鋼鬼は震えている、そこには先程迄の凌辱者たる色等微塵も感じられない。
「なぁ、ロジャーの旦那が言った事、覚えているか?」
武舞台上での予想だにしない展開に懸念を滲ませつつ、ミシェルが問う……。
「……戦闘能力で平均的な鬼に自分は劣るって言った事か。」
「実際に戦ってみて分かった、アイツらオレ達が考えていたより遥かに強ぇ。」
「信じろよ、あの時ロジャーは『負ける』『勝てない』とは一言も言ってない……今もそうだ、敵を前にして判断を誤るヤツだと思うか?」
淡々と表情を変えずに答えながら、モンテは小指で右の耳穴をホジっている、その様子に尚更不安感を煽られたのかミシェルは食って掛かろうと声を張り上げようとした……その時だった。
「ホッホッ……お嬢ちゃんの負けじゃの。」
突如として掛けられた声音に、思わず身構えるミシェル。
モンテを挟み、声の方へ視線を向けてゆくと彼の隣り、いや、地べたで寝そべり武舞台をぼんやりと眺めている小柄な老人の姿が見えた。
「何だよジィさんも鬼?、野次馬の上に盗み聞きとは感心しねぇな。」
「聞きたくなくても入ってきちまうンじゃよ地獄耳でな……まぁ気にすんな、面白い見世物を肴にしたいだけじゃからの。」
他の鬼に似た着物に近いオリエンタルな装いに紺色のバンダナを巻いたその老人は寝そべりながら徳利を呷り、気持ち良さそうに一気に息を吐くとほのかに酒の香りが漂う。
そんな様子にモンテは『酒クサッ!?』と呑気に笑うが、ミシェルだけは、いや、もしロジャーが側に居たなら同様の懸念を抱いただろう。
(このジジィ……何時からそこに居やがった!?)
尚も表情を強張らせるミシェルに対し、『にへら』とだらしなく笑いかけ……。
「騒ぐな、ほれ、試合が始まるぞい。」
刹那、眠たそうな老人の瞼の奥にミシェルは、ミシェルだけが底知れない寒気を感じ取り、結果、彼女は黙って座り込むしかなかった……。
一方で武舞台上では全ての怒りを元凶であるロジャーへ向けるべく鋼鬼が中央へと歩み寄り、その後方数m程で赤詠が何食わぬ顔で位置取って二人を見据えている。
「無事に済むと思うなよ、ゴブリン風情が。」
「ふむ、こちらも始まる前にお伝えする事がございます。」
そう言いつつ、ロジャーの視線は後方で成り行きを見守る赤詠へ向けられ、まるで自分を見ていない。
まさしく眼中に無いと言わんばかりの行為に鋼鬼は更なる激情を滾らせ、既に動いていた。
一足飛びによって即座に距離を潰し、腰に佩く太刀を振り抜く居合いの一太刀が真一文字の軌道でロジャーに襲いかかる……筈であった。
刹那、その光景を目撃した赤詠の眉が僅かに吊り上がる。
鈍い音を立てて、吹き飛ばされたのは鋼鬼の方であった。
「………。」
空中で翻り、鋼鬼は石畳に手を付く三点着地で体制を保ち……やがて異物を探る様に下顎の筋肉を動かすと何かを勢いよく吹き捨てる。
ーーかろんころん、と乾いた音をたて、血塗れた奥歯が二本転がる様を目にし、眼を剥いてロジャーを睨みつけた……が。
「………。」
「若……お戯れはそこまでに……まだ試合は始まっておりません。」
背後からの冷たい指摘に思わず段上の繕玄を一瞥する鋼鬼。
一切の情も伺えぬ、父とは思えない面差しにこれ以上なく最早混沌と化した激情に囚われてしまう。
美しい顔がみるみる吊り上がってゆく鋼鬼の様子等お構いなしに、両手を広げて誇示する様に胸を張るロジャー。
「その傷は手付けでございます……まだまだーー」
「………?」
「まだまだまだまだまだまだまだまだァ……あなた様から奪わせて頂きたく存じます。」
その瞬間、鋼鬼以外の全員が否応なしに理解する。
丁寧に壊れた言動や蕩ける程の鬼喜とした表情とは裏腹に、ロジャーが纏う圧力、殺気がより濃密さを増したと……このゴブリンは気配を悟られぬよう鋼鬼をワザと挑発したのだ。
(ワシら鬼が犇めく中において、本気で若を殺す気か。)
今度は赤詠が繕玄へ視線を向けた、試合を止めるならば今を於いて他に機会はないからだ。
それが叶わぬなら自分が勝負を放棄し、腹を切るしかないとまで瞬時に断じて彼は繕玄へ合図を送る……そう判断を下す程に赤詠はロジャーを危険視せざるを得なかったのだろう。
しかし、繕玄が赤詠の意図を汲む事はなかった……こうして第二試合の口火は切って落とされたのだった。
つづく




