第三章 盗賊領主はハンコウする編 「最果てで兎が見た夢。」
元来、自然界における生態系とはそれを構成する幾千、幾万を越える生物種が棲み分けをし、共生或いは敵対する事で生死を循環させつつ均衡を保ってきた。
種の起源から連綿と続く、残酷且つ美しく、単純に完成されたシステムと云えるだろう……。
だが悠久の刻は或る時代から矛盾を孕んでゆく。
ーー知的生命の誕生である。
その最たるもののひとつが『境界線』だろう。
地表に現れた、時として視えぬ『境界線』は本能を拠り所とする生物にとって、棲み分けを破壊しかねない異物であり、愚行でしかない。
国境……領界……詰まる所、知性の誕生は本能という根幹を引いては自然界すらも脅かす感性を生む。
知的生命が在る意味での退化と引き換えに得た感性、感情、それは『侵略』の概念であった。
更に時は流れ、大陸西方に位置する魔族領。
魔王軍が今の勢力図に落ち着いて数百年、否、落ち着いたと評するのは境界線の向こうで怯える人類のみか……。
今代の魔王の意図は不明である……それは領内に属する種族も同義だった。
ほぼ隔絶された世界において闘争が唯一の掟であり、強き種族のみが領内中央に座する魔王の庇護を受け、肥沃な土地へとその居住を許されるのだ。
権力闘争に破れた種族は領内の外側へ追いやられ、果ては境界線を越える選択を迫られるだろう。
この数百年、不可侵を貫く人類であっても国境を越える魔族、魔獣に対してはギルドの総力を以て対応してきた。
いや、実際には人類の力を脅威と感じる種族は多くない……彼等が恐れるのは『境界線』を越えると云う行為そのものに在る。
魔神、魔族、魔物、魔獣……隔たり無く一様に、魔族領を追われる事は種族の存在意義を捨てるに等しいのだ。
多くの種族が人類領へ分布し、その大半は淘汰されて消えてきた。
しかし稀に一族から離反し、国境線付近にて留まる者達が現れた。
やがて少数のコミュニティとも云える集団は規模を拡大し、砂漠のオアシスに町を築くに至る……最果ての町の誕生である。
が、当初は治安とは無縁の無法地帯に過ぎなかった。
権力闘争に破れ、新たに流れ着いた種族が争いの火種を持ち込む度、略奪は激化してゆく。
更に領内外縁を縄張りとする種族がオアシスに目を付けた事も事態に拍車を掛けた一因だろう。
否、この外敵こそ最果ての町を纏め上げる絶好の機会だと捉える者達が現れた。
それは非力な兎人族の青年と、旅の途中で訪れた小鬼族の女傑が始まりだったという。
外敵に対し、烏合の衆であるからこその多様性が自分たちの強みだと住民に主張したのだ。
弱肉強食の極致とも言える魔族領の永き歴史において、類まれなる異能を持ちながら単一種族では淘汰されるしかなかった弱き者達が遂に人類の様に『補い合う』に至る、真の意味で初めて異種族複合コミュニティが成された瞬間であった。
◇
◇
◆
ーーそして現代。
最果ての町は暮らし向きこそ苦しいが、基本的に種族間の侵略行為が領内の内側へ向いていた事も手伝い、外縁圏での内戦に対抗しうる規模に成長していた。
いや、正確には外縁圏であぶれる種族を取り込みほぼ平定したと言っていい。
残された脅威といえば知能の低い魔獣の類いだろうか。
ならば次代の発展は町の暮しに注力すべきである……商人の寄り合いを取り仕切っていた兎人族のガーチャはそう考えていた。
町の行政はコミュニティ結成時からの古参種族から選ばれた長老達がやってくれる、自分たちは商人として資産を回す事でまず資源を増やそう……。
商魂逞しい彼らが新たに目を向けたのは国境線を越えた人類領であったという。
アームベルン西方、ウエストバーク地方は悪名高い領主代理の元、あらゆる不正、汚職が長年に渡って横行していた……つまりは僥倖、ガーチャは商機が道端で拾える錯覚さえ感じてしまった程だ。
余談ではあるが、奇妙なゴブリンと出会ったのもこの年である。
(もう冬に大勢の餓死者を出す事も無い……家族がひとつでも着飾れる……もうすぐだ、必ず手が届く!!)
……事実、この頃の最果ての町は少しずつ潤ってきていた。
それから二年後、兎人族の長老が死去したのに合わせ、ガーチャにより近しい者が選出され彼は盤石の体制を築く……筈だった。
魔族領中層圏の古豪である鬼人族の里が壊滅したという一報を耳にした時から、全てが瓦解し始める。
まさしく激震であった……中層圏最強とも詠われる鬼人族が敗れた事実も信じられなかったが、何よりガーチャにとって脅威であったのは彼等が中層圏で再起を図るのではなく、外縁圏へ進路を向けた事だった。
十中八九狙われるのは、唯一オアシスを有する最果ての町であろう。
鬼人族は少数民族として有名だが、同時に傭兵稼業を生業とする戦闘狂としても知られていた。
そんな他種族の戦争へ出張る程の軍勢相手に果たして勝機は在るのだろうか?
ガーチャの疑念に反し長老達の出した結論は徹底抗戦であった。
壊滅した鬼の里から最果ての町までの道程は軽装でなら最短五〜六時間といった所だろう。
だがそれはあくまで正しい路順であったならの話しである……。
互いの地点の間には広大な砂漠と峡谷が存在している、特に砂漠は『死の砂海』とも呼ばれ、強力な魔獣群の住処となっており、魔術によって構築された路順を踏まねば迷わされる罠が仕掛けられている。
対する峡谷は高低差の激しさも相まって町まで行軍で抜けるには時間が掛かり過ぎるが、魔獣と出会す確率は極めて低い。
ならば峡谷の崖に陣取り、上から投擲武器且つ魔法で応戦するのが定石であろうと長老達は判断を下した。
「………。」
多種族混合軍の総員数は約二千……人類領に生活の場を移した各種族の者達まで呼び寄せ、先ず五百を威力偵察として峡谷へ進軍させ随時援軍を送れば良い。
例え鬼が砂海のルートを通ったとしても相当の損害を与えられる上に、こちらの防衛戦力は万全なのだ、如何に個人が強力な鬼であろうとも負ける道理はない……。
そう自身を納得させる様に幾度も諌めつつ、湧き上がる予感をガーチャは拭えない。
あくまで自分は商人なのだ、軍部の領分ではない……にも関わらず、まるで岐路に立たされたかの様な焦燥感に襲われ続けている。
何かを見落としている……そもそも強い種族程、中心圏への拘りが強く、領外に弾かれる事を最も嫌うと云う前提が既に崩れているのだ。
絶えず思考が回り、堂々巡りを繰り返す。
結局、彼はその焦りを肚に呑む事が出来ずに陸竜の手綱を引く選択を選ぶ。
数騎の護衛を引き連れ、自ら砂海へ出向いたのだ。
ガーチャにとって、この偵察が空振りに終わる事を祈っていたに違いない……。
しかしその祈りに反して、彼の予感は的中してしまう。
一報を受け、防衛策を講じ、作戦行動に移るまで約半日を要しており砂海へ到着した頃には月明かりも無い闇夜が拡がっていたが、遥か遠く地平線近くで確かにか細い灯の列を見つけた。
その灯に惹かれる様に、夥しい数の砂のうねりが集まり、今まさに砂柱を吹き上げる……間違いなく砂海を縄張りとするセンチネルピート(巨大百足)と共生関係にあるサンドラッドイーヴィル(巨大鼠)の挙動であった。
個体数こそ少ないが一匹の全長が300mをゆうに越え、堅い外皮に守られ溶解液を吐きかけるセンチネルピートは勿論、より厄介なのは体長5〜6mでありながら数万匹単位の群れで統率をとり、地形を活かした連携を得意とするサンドラッドイーヴィルだろう。
この二種で特筆すべきは他の強者に生存圏を追われたのではなく、元来、最も適した環境として砂海を縄張りとしている事実にある。
彼等は本能に従順であり、目標の餌を見定め……『弱い餌』から咀嚼しようとする。
弱い餌……この時、ガーチャは驚愕の光景を目撃し、全てを察してしまった。
鬼人族の一団、目測ではあったがその数は七百人にも満たない。
しかもひと塊となって移動するその中心は……女性や子供、年寄りといった非戦闘員であったのだ。
そしておそらく、これらの護衛を担う戦士は多く見積って四百といった所だろうか……。
彼等は熾烈を極める魔獣たちの攻撃を必死に討ち払っていく。
確かにそれは想像を遥かに凌駕する強さではあった、が伝え聞く戦い振りとは印象が乖離しすぎていた。
(里が壊滅してんだ、疲弊しきっているのは当然じゃねぇか。戦力も少なくその上一族郎党を引き連れて峡谷へ進める訳がない。)
そう、彼等には前提として本来掛けるべき時間が無い……家財は無論、食糧も無いのだろう。
残された道はひとつ、飢餓で自滅する前に決死の覚悟を以て最果ての町へ攻め入り、殲滅してでも略奪する他にない。
ガーチャの推測を裏付ける様に、執拗に襲いかかる魔獣の波に対し鬼人の戦士達は水際を死守している。
一人一人が死兵と化してでも進む気概なのだ。
「今すぐ戻るぞ!!」
有無も言わさず撤退を告げ、即座に陸竜を反転させるガーチャ……心臓を握られたかの様な戦慄に苛まれながら、彼の心中に在るひとつの確信が去来していた。
勝てない、勝てる筈がないと……おそらくは鬼人の戦士達の大半はこの砂海で力尽きるだろう。
しかし確実に最果ての町へ辿り着く、その時こちらの防衛戦力で、否、峡谷へ送った兵力を呼び戻したとて勝てる見込みは薄い、最早数の問題ではないのだ。
例え勝てたとしても、町の被害規模は甚大であり、下手をすれば壊滅も有り得る。
(………。)
ここまで……ここまで尽力してきた全てが水泡に帰す、そんな現実などガーチャには耐えられなかった。
全速力で陸竜を走らせながら、彼は必死に思考を回し続けた、あとどれ程の時間が残されているだろうかと。
唯一の選択へ至る道程を模索し続けた……。
◆
◆
数時間後、町へ帰還したガーチャは直ぐに兎人族の長老の元へ赴く。
各長老衆へ緊急召集をかける為であった。
最早一刻の猶予も無い……半ば強制的に集められ、顔を顰める長老たちに砂海での出来事と私見を述べ、ガーチャが主張したのは『全面降伏』に相違なかったと云う。
確かに峡谷への派兵は徒労だったが、自分たちの予想の範疇で戦況は推移している。
にも関わらず、この若造は何を宣っているのか?如何に町の有力者だとて許される内容ではなかった。
当然の如く会議は紛糾を余儀なくされてしまう……そして、ここから最果ての町に訪れた出来事には当時の事情を知る者が少なく、切り取る角度によって真実が異なる。
……事実だけを述べるなら、ガーチャはこの時、満場一致での説得には失敗している。
規模は不明であるが、徹底抗戦派が戦力を割り訪れた鬼人族と戦闘に突入した事で町に血が流れた。
また『制圧後』、ガーチャの家財、資産、土地の全てを鬼人族が接収、及び商会協賛組織の解体が為され、最果ての町は再び無法地帯へ、そしてかつてコミュニティ創立の立役者として敬愛の念を集めていた兎人族は……唾棄すべき迫害の対象となったという。
だがガーチャの悲劇はまだ終わりではなかった。
つづく




